第58話

 天正十年 一月 安土城




 新五郎から報告を受けた俺は、早速じいさんとの面会を希望した。どうやら、俺の行動は予想済みだったらしく、直ぐに案内が来た。


 早いに越したことはないし、こちらとしても好都合。足早に進み、じいさんの部屋まで来た。


 安土城天守閣に存在するプライベートルーム。入るのはこれで二度目だが、前より南蛮渡来の品が増えている気がする。


「しつれいいたします」


「おぉ来たか! さぁ入りなさい」


 部屋の中へ一歩踏み込むと、温かい言葉で迎え入れてくれた。大広間の時とは別人のように穏やかな表情を浮かべ、大股で近付いて来ると両脇に手を添えて持ち上げてきた。所謂『高い高い』だ。


「はっはっはっ! 大きくなったなぁ三法師! 息災であったか? 」


「はい! 」


「そうかっ! ならば良い! 」


 正直、とても恥ずかしかったのだが、ここまで喜んでくれると、何だか嬉しくなる。


 政務の時には、決して見せない素顔。普段は、気の休める時が無いくらい忙しいって聞くし、こんな短い間だけでもリラックスしてくれているなら、万々歳だ。




 暫くじゃれあっていると、ようやく満足したのか俺を降ろしてくれた。


 改めて周囲を見渡すと、部屋の中にはじいさんと親父と俺の三人。武田討伐について話し合っていたのか、二人の間には大雑把な地図がある。


 本題に入るには、丁度良いタイミング。服の乱れを正し親父の横に座ると、じいさん達も察してくれたのか真剣な目付きになる。


「木曾義昌の内通……これは、三法師からの文に書いてあった通りに起こったな。話半分に聞いていたのだが、よもや真実だったとは……」


 そう言うと、懐から一通の文を取り出した。これは椿に届けてもらったヤツであり、師匠から授かった策を箇条書きで記したモノだ。


 今でも偶に夢に見る……あの、恐るべき策を……。






 箱根を出発する前夜、俺の覚悟を聞き遂げてくれた師匠は、一つの策を語った。


「子飼いの風魔の者に探らせたところ、武田勝頼は、軍議で織田家との和睦を提案したそうです。ですが、反対派の勢力の方が強く中々思うように進んでいないようですな。全体を十とするならば、和睦が四で反対が六っと言ったところかと」


「……ぐたいてきには? 」


「和睦派が長坂殿を筆頭に、穴山殿・真田殿、反対派が武田信豊を筆頭に、依田殿・仁科殿・小山田殿・土屋殿。他にもいますがおおよそは、このくらいでしょうか」


 淡々と語る師匠に、背筋に冷たい汗が流れる。こんなにも、詳しい内情を知っているなんて尋常ではない。まず間違いなく、内通者がいるのだろう。


 そんな気持ちを込め視線を送ると、師匠はニヤリと怪しい笑みを浮かべた。


「中立を保っている木曾殿は、既に武田勝頼を見限っております故、調略を促すと意図も簡単に釣りあげることが出来ました。これを、利用しない手はございませんな」


「手始めに、木曾殿が織田家に寝返ります。勿論、このことを武田勝頼に前もって知らせておくことが重要です。真実は伏せ、お互いにこの裏切りは予定調和だと思わせるのです」


「木曾殿の領地は対織田家の重要拠点故に、武田家にとってココを織田家に取られる訳にはいきません。ならば兵を送る他ございませぬ。そこで、反対派の者共を先鋒に攻撃を仕掛けさせるのです。和睦に反対しているだけあり、好戦的に攻めるでしょうから何の違和感も与えないでしょう」


 俺はその瞬間、師匠が言わんとすることが分かってしまった。


 反対派を罠にかけろ……そう言っているのだ。


 確かに、事前に侵攻を知っていれば相手を一方的に虐殺することが出来るだろう。


 例え武田家が生き延びても規模縮小は避けられない。ならば、口減らしにしてしまえば良い…………通りで覚悟を問うてきた訳だ。これは、大義の為に虐殺を許せと言っているに等しい。


「三法師様、戦をすれば敵味方関係無く多くの死者が出ます。此度のように、味方の被害を最大限抑えることが出来るのならば、躊躇せず敵を壊滅なさいませ。千載一遇の機会、生かすも殺すも貴方様次第でございます」


 恐ろしい表情を浮かべる師匠を見ると、思わず目眩がする。


 武田勝頼も木曾義昌も、師匠の掌の上で踊り狂うあやつり人形。真実を知らずに、その命が尽きるまで足掻き続ける。


 こんなこと、詐欺に等しい。勝頼は、義昌が真に裏切っているとも知らずに、まんまと人質を解放する羽目になる。義昌は、マッチポンプとも知らずに、人質を救出してくれたと勘違いして忠誠を誓う羽目になる。


 きっと反対派は、みんな死に絶えるだろう。国人衆だって、戦に参加すれば大損害を受ける。その後で、織田家によって善政が敷かれれば、武田家への忠誠なんて捨て去るだろう。


 所詮、自分が一番可愛いのだ。






 その後、俺は師匠の策に乗ることを決意し、じいさんと親父に伝えた。……何千人も死ぬのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。だが、一方的に虐殺した方が総犠牲者数が少ないのも、また事実なのだ。






 そして遂に策は動き出し、木曾義昌は織田家に寝返った。その事実を知っているのは、織田家上層部と武田勝頼のみ。


 あまりにも都合良く進む故に、じいさんも戸惑っているのだろう。未だに、疑うような目付きで文を読んでいる。


「父上、武田勝頼からは木曾義昌討伐軍に五千を派遣するとあります。木曾谷付近は大軍を展開することも出来ず、軍勢は縦に伸びることになりましょう。であれば、土地に慣れ親しんだ木曾殿の協力の元、横から奇襲を仕掛けられるやも知れませぬ」


 親父は、地図に碁石を並べながら戦略を考えている。確かに、それが成功すれば敵勢は瓦解するが、こちらも少数にならざるを得ず危険であろう。いつだって、安全マージンを取っておくに越したことはない。


「いえ、ここはわざとてきのおもうように、させましょう。ひとはうまくいったときほど、ゆだんしやすくなります。まんまと、おくふかくまでさそわれたてきぜいを、ほういせんめつするのはどうでしょうか? 」


「…………」


 俺の意見を聞くと、親父もじいさんも口を閉ざし考え始めてしまった。


 暫くすると、じいさんはゆっくり目を開け、俺をじっと見つめた。


「木曾が裏切らぬ保証はあるか? 」


「すでに、ひとじちになっているかぞくはわたしのしのびが、きゅうしゅつにせいこうしております。いまは、はこねでみをかくしていることでしょう。たいせつなかぞくをたすけられたとあれば、きそもちゅうせいをちかいましょう」


 そう、それは師匠にも指摘されたことだった。それ故に、新府城に居る高齢の母親と側室に娘息子を救出させたのだ。


 三日月の竹・梅に、十傑半数を動員する大掛かりな作戦だったが、無事に救出成功。箱根にいる師匠の元で、匿ってもらっている。


 作戦が成功したのは、竹達が頑張ったのもあるが一重に武田勝頼が承諾済みだったのも大きい。元々、木曾義昌が裏切るなんて思われていないおかげで監視も最低限だったし、病にかかったと言えばすんなり信じられた。今頃は、影武者が人質役を演じていることだろう。


 そのおかげで、木曾義昌からは感謝状と『この恩義は必ず返す』と、力強い返事を貰えた。


 おそらく、裏切る可能性は低いだろう。




「うむ……木曾谷の戦いで先鋒を壊滅させれば、日和見を決め込んだ者も一気に寝返るやもしれん。残された者共も、勝機を見出す為に短期決戦を仕掛けてこよう。未だに、毛利等の西国勢との戦を控えている中、早く済むに越したことはない。武田勝頼も、一度戦えば降伏しても面子は保つことが出来る。旧武田領も、城主が居なくなれば治めやすくなる……双方に利点があるならば、この策は上手くいくやもしれん」


 じいさんは、一度話を切ると真っ直ぐに親父を見据えた。


「こちらの軍備が整い次第、木曾義昌の寝返りを武田家に流す。事を起こすのは、来月の頭。決して、相手に悟られぬようにせよ」


「ははっ! 」




 遂に、武田討伐が始まるのだ。俺が出来ることは、作戦の成功率を上げるために白百合隊を使って、徹底的に情報規制をすること。


 さて、ここが正念場だ。

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