第57話

 天正十年 一月 安土城




 あれから、およそ三時間もの間生き地獄を味わう羽目になるとは思いもしなかった。


 澱んだ瞳で近付いてくる二人があまりにも恐ろしく、咄嗟に逃げ出そうとしたが……時既に遅く秒で拘束され、そのままとある一室に隔離された。


 つい先程まで、一触即発な関係だったにも関わらず見事な連携プレーで俺を追い詰める様は、実に見事なモノだった。


 ……俺はこの時、理詰めでコンコンと問い詰められるのが、一番怖いのだと知ることになる。




 俺からも何度か説得したかいあって、ようやく二人共話しが出来るまで落ち着いた。


「では、本当に……本当に椿殿とは何も無いのですか? 」


「あたりまえじゃ! たしかに、つばきはたいせつなひとじゃが、それはかぞくとしてじゃ! おなごとしてあいしておるのは、ふじとかいだけにきまっておろう! 」


『旦那様っ! 』


「……すまぬ。そなたらをふあんにさせてしまったのは、ひとえにわたしのせきにんじゃ……」


『う……うぅぅぅ…………』


 感極まり泣き出してしまった藤姫と甲斐姫を、必死に慰める。こうなってしまったのも、全て俺の所為だろう。


 あれだけ気丈にふるまっていたのも、何度も俺を慰めて抱き締めてくれたのも、もしかしたら不安の裏返しだったのかもしれない。


 彼女達は、一途に俺を愛していると言ってくれたが、果たして俺はそれに応えることが出来ていただろうか……。


 もしかしたら、足りていなかったのかもしれない。どれだけ自分が愛情を注いでも、それに応えてくれなかったら、どうしようも無く不安に駆られるのは自明の理だ。




 そんなことは、俺が一番分かっていた筈だったのに……。




 今回の件で、二人の不安が心から溢れてしまったのだろう。ならば、二人を咎めるのは酷と言うもの罪を科すべきは己自身だ。


 言葉だけでは駄目なのだ。ならば、行動で愛を示す他あるまい。


「ふじ、かい……」


『旦那様? ……んぅっ!? 』


 優しく二人の頬に手を置くと、そっと唇を重ねた。思えば、これが俺達のファーストキス。


 視線が絡み合った刹那に降り注いだ口づけは、他者からしたら味気無いものに感じるかもしれない。だけど、この三人の間では何よりも尊く、儚く特別なモノなのだ。


「くちべたなわたしを、どうかゆるしてほしい。きのきいたことばのひとつやふたつを、そなたらにおくることができたら、なんてうれしいことだろうか」


「だが、わたしのむねのおもいは『あいしている』いがいに、あらわすことができない。それほどまでに、わたしのこころはそなたらでいっぱいなのだ。それを、どうかわかってほしい」


『っ! ……だ、旦那様っ!!! 』


 泣きじゃくる彼女達を、ぎゅっと抱き締める。まるで、一つになるように抱き締め合う姿は、本当の意味で想いが通じ合った様であり、何とも尊い瞬間であった。


 彼女達は未だ九歳、幾ら大人びていようとも未だ子供なのだ。お互い未だ未熟者同士、これから三人で欠点を補っていこう。




 抱き締め合う俺達の視界には、もう他の人のことなど綺麗さっぱり消え去っており、三人だけの世界に入り浸っていた。


 そんな俺達を現実に戻したのは、やや恥ずかしげに間に入ってきた茶々であった。


「あ〜……ゴホンっ! お主らいつまでそうやって、抱きしめ合っているつもりじゃ? 」


「……っ!? 」


 茶々の言葉で正気に戻った俺達は、顔を赤くしながら咄嗟に離れた。流石に、人前でイチャつく程面の皮が厚くない。


 恐る恐る茶々の方を向けば、そこには青筋を浮かべながら微笑む姿があった。


「なんじゃお主ら、別に続けて良いのじゃぞ? 所詮、妾は部外者じゃからのぅ。部外者のことなど気にせんで、婚約者同士逢瀬を重ねるがよい。頃合いを見て、部外者の妾は部屋を出ようかのぅ」


 あからさまに、『部外者』を強調させながらいじけている。しかし、何故彼女がここまで怒っているのか見当もつかない。


 一年前に、少しだけ遊んだだけの仲なのに……。親戚のおばちゃんが、お節介を焼くみたいなモノなのだろうか?


「そういえば、なぜちゃちゃがあそこまでおこるひつようがあったのじゃ? べつに、ちゃちゃにはかんけいないじゃろ」


「なっ!!! 」


 そう言うと、カッと目を見開きわなわなと身体を震わせ始めた。固く握られた拳には、怒りの重さが滲み出ており、先程同様大噴火直前だ。


 しかし、どうにも様子がおかしい。確かに怒りは感じるのだが、それ以上に目尻に浮かぶ涙や引きつった口元が、悔しさを表しているようにも思えるのだ。


「う……うぅぅぅ……うっさいわこの馬鹿ぁっ! この女ったらしめぇ! わ、妾だって……良く分からんのじゃ…………もう勝手にせい! 二度とその面を妾に見せるな!!! 」


 そうまくし立てながら、足早に部屋を出て行ってしまった。俺は、ただただ呆然と見送ることしか出来ず、部屋には気まずい空気が流れていた。




 この時、追いかけなかったことを、俺は生涯後悔することになる。








 それから遅めの昼餉は済ませて、今は部屋に戻っている。もう少し藤姫と甲斐姫に、構ってあげたかったが……もう夕方も近い。


 そろそろ評定も終わるだろうし、これから仕事だと告げた為、俺の傍らには松と白百合隊第三席桜しかいない。


 彼女と会うのは久しぶりだが、任務の報告に来てくれていたのだ。


「では、ほんのうじふきんと、みつひでのりょうちにいじょうはない……と」


「はっ! 」


「ありがとう、さくら。こんごもたのむよ」


「御意」


 桜は小さく返事をすると、音も無く消えていった。一年以上も張り込みをするなんて、精神的にキツい任務だと思うが、桜は一言も文句を言わないで任務にあたってくれている。


 正直、ローテーションで回した方が効率は良いのだが、桜並の実力者である十傑のみんなには他にも任務があるのでそれも難しい。


 それに、最悪の場合を想定すると桜以上の適任者がいないのだ。だから……頼んだよ、桜。




 それから少し経ち、新五郎が帰ってきた。傍らに親父の姿は無く、どうやら新五郎一人みたいだ。


「……若様、人払いをお願い致します」


 やけに険しい顔をした新五郎は、開口一番そう申し立てた。唯ならぬ雰囲気から察するに、余程重要な話だと思う。


「まつ」


「はっ」


 短く指示を出すと、松は静かに部屋を出て行った。暫くしてから周囲に人の気配が無くなると、新五郎は険しい顔のまま静かに告げた。


「……木曾義昌が、織田家に寝返りました。上様から『家臣一同戦支度をするように』と仰せ仕りました。おそらく、一ヶ月後には武田討伐へ出陣されるでしょう」


「…………ときはみちた……か」


「はっ」


 遂に武田討伐が始まる……が、ここまでは予定通りだ。








 史実によれば、二月一日に織田家に調略された木曾義昌が武田家から離反する。その後、武田侵攻が行われるのだが……三法師の行動によって、その時は僅かに早まった。


 果たして、これが吉と出るか凶と出るか。


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