第59話

 天正十年 一月 安土城




 翌日、遂に秀吉との対談が実現した。お互いに、明日には居城へ帰らないといけない為、本当に短い時間しか取れなかったが贅沢は言うまい。


 相手は天下統一を成し遂げた伝説の男、こちらも気を引き締めていかないとな。




 親父と共に部屋で待っていると、案内人として向かわせた小姓が帰ってきた。


「失礼致します。羽柴筑前守様が、参られました」


「うむ、通せ」


「ははっ」


 親父の言葉に従うように、小姓は素早く横に捌けると静かに襖を開いた。


「失礼致します」


 そう言って中に入って来たのは、背の低い男性。少し猫背気味なその男は、親父と俺の顔を見るとにこやかに笑った。


 どこまでも純粋なその笑顔は、俺達に会えたことを心から喜んでいるようだった。


「これはこれは奇妙様、お久しゅうございます。いやはや、お会いするのは何年ぶりでしょうか……。三法師様が御生まれになられた時も、祝いの品と文を贈ることしか出来ず、誠に申し訳ございませぬ」


「これこれ、頭を上げよ。藤が謝ることは無いのだ。昔と違い、今は軍を率いる立場にある。そう易々と、岐阜に来ることも出来まい。藤の気持ちは充分伝わっておるぞ」


「……忝のぅございます! 」


 深く深く頭を下げる秀吉と、それを慌てて止めようとする親父。そんな二人の姿は、お互いへの気遣いに溢れているように感じた。


 親父と秀吉が、こんなにも仲が良いだなんて知らなかったけど、まぁ悪いことでは無いか。




 親父に促されゆっくり顔を上げた秀吉と、バッチリ目が合ってしまった。思わず動揺してしまったが、秀吉の笑顔を見ていると段々緊張が薄れていくのが分かる。


「何度も、文を交わしていたからでしょうか。三法師様とは、初めてお会いした気が致しませぬ」


「そうじゃな。わたしも、おなじきもちじゃ」


 すると、どちらからともなく笑いが零れた。軽く言葉を交わしただけなのに、どうしてこんなにも心地良いのだろうか? もっともっと話したい……そう自然と思えてしまうのだ。


「きょうはじかんもないなか、わたしのためにあってくれて、ほんとうにありがとう。はしばどののごかつやくは、よくみみにする。これからも、どうかおだけのために、じんりょくしてほしい」


 深々と頭を下げて礼を尽くすと、秀吉はギョッとしながら詰め寄ってきた。


「あ、頭を上げてくださいませ! わしのような下賎の身の上の者に、貴方様のような高貴な御方が頭を下げるなど、あってはなりませぬ! 」


「しかし……わたしは、ちちうえやじいさまのように、ほうびをわたすこともできない。それゆえ、はしばどのにれいをつくすしか……」


「礼など! そのお気持ちだけで、この藤吉郎全てが報われる思いにございます! しかし、どうしても礼を尽くされたいのでしたら、どうか羽柴では無く藤吉郎とお呼びくださいませ! 」


 ……あまりにも必死に説得してくる様子に、思わず笑いが零れる。秀吉は、天下を取ったとは思えない程、腰が低い男だった。


「では、ちちうえにならって『とう』とよぼう。これからも、よろしくのぅ」


「……っ! ははっ! 」






 暫く談笑していると、だいぶ場がほぐれてきた。親父も藤も楽しんでいるし、今回の対談は大成功かもしれない。


 今なら、あの事も聞けるかもしれない。そう思った俺は、遂に本題を切り出した。


「ひとつききたいことがある……とっとりじょうぜめのことじゃ。はいかのものからきいた。ことばでは、いいあらわせないものだと。……とうは、つらくなかったのか? 」


 俺の言葉を皮切りに、場に冷たい空気が流れる。正直、しまった……そう思ったが、肝心の藤は乾いた笑いを漏らしていた。


「はははっ……三法師様は、誠にお優しいですな。どうか、その清らかな御心をいつまでも保ってくだされ。わしには、もう辛いとも悲しいとも思えなくなってしまいました。…………人間失格ですな」


 一度言葉を区切ると、静かに俺を見据えた。その時の諦めたような顔は、生涯忘れないだろう。


 藤は、自らの手を掲げるように語ってくれた。


「わしの手は、もうどうしようも無い程穢れております。そんなわしが願いを持つなんて、烏滸がましいとは存じておりますが、どうしても願ってしまうのです。このどうしようも無い乱世が終わり、平和な世が来ることを」


「三法師様、どうか平和な世を築いてくだされ。穢れなき御身だからこそ、皆が崇拝するのです。穢れなき御身だからこそ、皆の希望に成り得るのです。貴方様ならば、真の天下泰平を成し得るでしょう。その為ならば、この藤吉郎幾らでも血に汚れ、泥を啜りましょうぞ! 」


 藤の覚悟を聞いて、俺は数瞬前の己を恥じた。鳥取城や三木城の惨劇も、全ては天下泰平の為にやったこと。主君に……俺に手を汚させるまいと、己を殺して泥を被る覚悟を決めたのだ。


 何たる忠義、何たる覚悟かっ! 俺が師匠に誓った覚悟なんて、藤からしたらとうの昔に決めていたことなんだ。


 だけど、俺は悲しい。きっと、藤が思い描く未来には自らの姿はない。天下泰平の礎として、死ぬつもりだ。


 本当に、こんな男が本能寺の変の黒幕なんだろうか? こんなにも、平和を夢見て自分を犠牲にするような優しい男が、野心家だなんて思えない。


「……とうは、やしんはないのか? 」


「はははっ! そうですなぁ……見目麗しい女子を沢山傍に付けたいものですなぁ! 」


 藤は、一頻り笑うと不意に天井を見た。その瞳は、ここでは無い何処か遠くの光景を思い浮かべているように思えた。


「三法師様は、きっとご存知無いかと思いますが、織田家は一国すら持たない小さな小さな領主でございました。わしなんて、何時死ぬかも分からぬ道草にございました。それが、今では天下を見据える大大名です。この二十年、誠に夢見心地にございました」


「三法師様。わしは、上様の後ろを又左と共に駆け回っていた頃が、一番楽しかった。隣りには大切な友がいて、前には悪戯な微笑みを浮かべる上様がいる。わしは、この思い出だけで幸せなのですよ。もう、わしの心は満たされております」


 そう言って笑う藤の姿は、まるで少年のような幸せに満ちた表情であった。






 こうして、無事に対談を終えた。


 明日には、岐阜へ向かって発たなければならない。…………武田討伐が、始まる。

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