第51話

 天正九年 十一月 箱根




 秋も深まり、冬の訪れが感じられる今日この頃。俺は新五郎と共に、部屋で頭を抱える羽目になった。


「若様、これは誠なのですね? 」


「うむ、たしかめたところ、まちがいない……と」


『…………はぁ……』


 眼前に置かれた文を一瞥し、両者一斉にため息をつく。それ程までに、コレは頭痛の種だった。




 事の発端は、昨夜に届けられた一通の文である。


 夜も深まり、そろそろ寝ようかと思っていた時、大慌てで紫陽花が部屋に転がり込んできた。


 その様子を見ただけで、火急の用事であることが伺える。


「し、失礼致します。先程、小田原より文が届きました。御確認くださいませ! 」


「うむ、ごくろうさま。さゆをよういするゆえ、すこしここでやすみなさい」


「ははっ! 有り難き幸せ」


 俺は侍女に白湯を用意させると、早速とばかりに文を読み始めた。


『武田が北条との和睦を求める。穴山梅雪、小田原城にて北条氏直と謁見』


「…………はぁ? 」


 俺は、思わず首を傾げてしまった。それ程までに文の内容は、理解の範疇外であったのだ。


「あじさい。これは、だれがもってきたのだ? 」


 まぁ当然の事ながら、真っ先に間者の流言を疑った。この時代、リアルタイムで情報を入手することが出来ないため、使者を装った間者による情報操作等当たり前のように行われるからだ。


 しかし、どうやらそれは杞憂だったみたいだ。


「はっ! 風魔の者からでございます! 」


「…………そうか」


 俺は、それだけで信じるに値すると判断した。


 紫陽花が、ここまでキッパリ言い切るのだ。裏取りはしっかり取れているだろうし、何より風魔からってことが一番重要だ。


 前にも言ったが、俺が箱根にいることは北条家中でも上層部しか知らない機密情報だ。そして、その中で風魔を動かせる者等、もはや該当者は一人しかいない。


「はぁ…………おししょーだろうな。いたしかたなし、こよいはもうおそいゆえ、そうちょうしんごろうとはなしあうほかない……か。ごくろうだったなあじさい。もう、さがってよいぞ」


「ははっ! 」


 はぁ……全く師匠には困ったものだ。どうやら、俺が知りえぬところで事態は動き出しているみたいだ。…………今夜は、眠れそうにない。






 そして、冒頭に遡る。


 師匠と話す前に、自分の考えを纏めなくてはいけないし、何より新五郎の見解を聞いておきたかった。こういう難題は、一人で考え込むよりも周りと一緒に考えた方が良いものだ。


「しんごろうは、こたびのいっけんについてどうおもった? 」


「穴山殿と言えば、武田家の重臣中の重臣。武田二十四将に数えられる御方が、敵地である小田原に入るなど正気の沙汰ではございませぬ」


「だろうな」


 信玄より仕えし名将達も、今や極わずかになっている。そんな貴重な存在を、わざわざ敵地に送り込む理由が分からん。


 だが、新五郎には武田の狙いが分かっているのか薄く微笑んだ。


「故に、武田家の誠意が伝わりましょう」


「なるほど……な」


 逆手に取った訳か。重臣自ら動くことで、武田家の総意だと相手に思わせることが出来る。


 戦をすれば、民は死に田は荒れ国は傾く……戦をしないにこしたことは無い。それを一番理解しているのは、北条家だ。


 織田家と強い繋がりがある北条家から切り崩そうとする着眼点は、見事と言えような。


 だが、これには一つ大きな穴がある。


「しんごろう……じいさまは、たけだとのわぼくをみとめるとおもうか? 」


「……………………」


 そう、問題はただ一つじいさんの真意だ。


 俺が転生した影響なのか、それとも史実通りなのかは定かでは無いが、武田家は織田家に対して和睦を申し出た。だが、史実では武田家は来年滅びる。つまり、じいさんは武田家を許すことは無いんじゃないかな?




 暫くして、熟考していた新五郎は、不意に目を開くと静かに語り始めた。


「これは、他言無用でお願い致します。上様は甲斐武田氏を、滅ぼす気はございませぬ。それ故に、武田家から降伏するのであれば生き残るやも知れませぬな」


「……だが、じいさまはあそこまでたけだをせめているのだぞ? こうふくするからといって、ゆるすとはとうていおもえぬ」


 武田・上杉・毛利、どれも諸国に轟くその武名は、天下を我がモノにせんとする織田家の大敵として知られている。


 それ故に、その大敵を討ち滅ぼせば周辺の弱小勢力は、一斉に頭を垂れて許しを乞う。


 武田討伐は、天下統一の為の重要なプロセスと言えるのだ。そんな簡単に許せば、周辺諸国が付け上がるやも知れん。


 そう考えると、ますます武田家の滅亡は間違い無いように思えるのだが……。




 だが、新五郎は静かに首を横に振った。


「織田家の天下統一は、上様や殿の代では成しえません。若様、貴方様が征夷大将軍となり天下統一を成し遂げるのです。甲斐源氏の血を引く、貴方様が……」


「わたしが、せいい……たいしょうぐん……」


 開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だ。じいさんはまだ五十前だし、親父は三十前。確かに奥州や九州など敵はまだまだいるが、充分在命中に天下統一を成し遂げるものだと思っていた。


 でも、言われてみれば納得はいく。


 そもそも俺にとって、天下統一の基準が幕府を開くことだからだ。それ以外に、天下統一する方法が分からない。


 豊臣は天下統一を成し遂げたが、一代で終わってしまったし、方や幕府を開いた徳川はその後何百年も天下を治め続けた。


 そう考えると、この時代の天下統一は征夷大将軍となり幕府を開くことなんじゃないかな?


「上様が武田家との同盟が破棄されても、殿と奥方様の婚姻を続けたのは、一重に名門甲斐源氏の血を引く子を手に入れる為。それ故に、その甲斐武田氏を滅ぼすのは大義名分が必要なのです。降伏を申し出た武田家を、滅ぼすのはちと外面が悪いのですよ」


「…………なるほどな」


 確か征夷大将軍には源氏しかなれない。織田家は源氏では無いから、どこかの源氏の血を引っ張って来なくてはいけなかったのか。


 そして、俺を征夷大将軍にする以上、甲斐源氏の血を引く正統な将軍であると内外に示さなくてはならない。


 それ故に、大元である甲斐武田氏を無下に滅ぼしたら駄目なんだな。


「勿論、上様は武田家の影響力を無くさせる為に、様々な処置はされるでしょう。甲斐一国残れば御の字やも知れません……が、家は残ります。武田家当主として、勝頼殿は英断を為さったと言えましょうな」


「それが、たけだのいきのこるただひとつのみち」


「左様。合理的な上様でしたら、武田家を形だけ残す道を取る可能性は高いでしょう。わざわざ面倒な段階を踏まずに済みますし」


 そう言って新五郎は意味深に笑う。そんな、笑い方をされたら気になってしょうがない。


「めんどうなだんかいとは、いったいなんじゃ? 」


「本来ならば二十年は先の話しでしたが、武田家を滅ぼした後、若様の次男か三男を分家として甲斐武田氏を復活させる……ここまでが、上様の策でございます。ですが、これは先の長い話ですからな。武田家が残るなら、その面倒も無くて済みますしな」


 他家の乗っ取りは、戦国の常ってことか。はぁ……じいさんも良く考えたものだ。




 まぁ、とにかくコレは俺がどうこう出来る問題では無いな。岐阜へ帰る時が来たのかも知れない。


「若様、此度の一件は直ぐに上様へ知らせるべきでしょう。そして、若様は帰国の準備をしてくださりませ。時は一刻を争います」


「わかっている。すぐに、じゅんびせよ」


「御意」


 さて、最後に師匠と話さないと……な。

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