第50話

 天正九年 十月 鳥取 白百合隊第一席 桔梗




「……大きな瞳に輝く黒髪、いつ見ても良い女だなぁ。今夜は、わしの閨に来んか? 極楽浄土へ送ってやるぞ? ギャッハッハッハッ! 」


「…………お戯れを。私の身も心も、全て我が君に捧げております故……」


「むぅ……それは残念だ……流石に三法師様の女には、手は出せんのぅ」


 心底残念そうに語る男に対して、平伏を続ける。


 何故、私がこんな助平親父に頭を下げねばならないのか……屈辱に身を震わせながらも、必死に耐える。これも、我が君の為なのだ。




 もはや恒例行事になりつつある夜伽の誘いを、回避した私は懐に忍ばせていた文を取り出す。


「こちら、我が君からの文にございます。どうぞ、御確認くださいませ……筑前守様」


「うむ、ご苦労じゃ! さてさて、早速内容を確認して返信を書かねばいかんのぅ。少し待っていてくだされ! 」


「はっ」


 そう言うと、筑前守様は筆を取り文を認め始めた。おそらく、一刻程度で出来上がるだろうし、少し手持ち無沙汰になってしまったな。






 それから一刻程経つと、一人の男が入って来た。目の下にある隈が印象的なその男、彼こそが筑前守様の軍師黒田様である。


「……殿、失礼仕る」


 黒田様は私を一瞥すると、どうでもいいと言わんばかりに視線を逸らした。


 どうやら、相も変わらず嫌われているようだな。黒田様からしたら、私のような下賎の身など視界に入れたくもないのだろう。


「おぉ官兵衛か! 良いところに来たな。先程三法師様より文が届いたのだ。ほれ、見てみよ」


「……はっ………………北条家との婚姻ですか」


「そうなのじゃ! いやぁ実に目出度いのぅ! 早速祝いの品を準備しなくては、いかんのぅ! 」


「………………」


 筑前守様は大層嬉しそうにしていたが、黒田様はどこか浮かない顔をしておられた。


 北条の姫と我が君が婚姻を結ばれたことは、私にも報告があった。


 全ては我が君の計画通り。これで、我が君の地位は磐石となり、天下人の後継者として相応しい実績を残された。


 織田家中にも我が君を賞賛する声は多く、諸国にも我が君の名がより一層轟いた。


 まさに、最上の一手と言える素晴らしい策、私も心から祝福の言葉を送らなければいけない。


 ……だが、素直に喜べない自分がいる。こんなこと、許されないと言うのに…………。




「よし! 出来たぞ! 」


 筑前守様のお言葉で、一気に思考の海から帰還する。少し物思いにふけり過ぎた。反省しなければと顔をあげると、満面の笑みで筑前守様が文を差し出してきた。


「では、三法師様に宜しくお伝えくだされ」


「ははっ」


 恭しく文を受け取ると、無くさないように懐に忍ばせた。後は、これを我が君に届けるだけ、早速向かうとしよう。


 踵を返し出て行こうとする私を、引き止める声がかかった……筑前守様だ。


「あいや待たれよ。丁度良く鳥取城攻めが終わりそうなのだ。見て行かんか? 」


「……殿、何もこんな者に構う必要は……」


 案の定と言うべきか、黒田様は苦々しい顔で苦言を申された。正直、この時ばかりは助かったと心から強く思う。……アレを見に行く等、正気の沙汰では無い。


「何を言うか! 桔梗殿は三法師様からの使者。であれば、丁重に扱うのが筋というものよ。それに、わしかて出自はそこらの農民と変わらぬ下賎の身よ。せっかくわしの勇姿を、三法師様にお伝えしてくださる良い機会なのだ。これを逃すなど、愚か者のすることよ。…………良いな? 」


「…………はっ」


 一瞬だった。見落としてしまうくらいの、そんな刹那に恐ろしい程黒い顔をしていた。


 まるで、底無し沼のようにどす黒い顔…………思わず鳥肌立つ程の狂気、これが筑前守様の本性か。


「ささ、桔梗殿参りましょうか? 三木攻めでの反省点を生かし、まさにこれ以上無い程の策を練りました。どうぞ、存分にご覧下され」


「…………有り難き幸せ」


 先程までとは打って変わって、人懐っこい笑顔を向けてくる。ここまで来たら致し方無し、鳥取城の最後を見届けよう。






 鳥取城攻めのことは、勿論知っている。毛利攻略を託された筑前守様による徹底的な兵糧攻めだ。


 少し探っただけで、その凄惨さは伝わってくる。巧みに米相場を操り、味方からの補給を途絶えさせた策謀の数々……凄まじいの一言だ。


「おぉ、ここからならば良く見えますな」


「……………………」


 筑前守様のお言葉で顔をあげると、そこには地獄絵図が広がっていた。


 鳥取城を囲うように立てられた柵の向こうには、多くの人が見受けられる。


 だが、その姿はまさに餓鬼の如く荒れ果てており、救いを求めてこちらに手を伸ばす姿は思わず目を背けたくなってしまう。


 あの日の出来事を思い出してしまうから……。




 私達の里が襲撃され家族を失い。避難した冬の山では、幼き子供から息絶えていったあの日……私は思い知った。


 所詮この世は弱肉強食。力無き者は、理不尽に晒されても泣き寝入りするしか無い……のだと。


 僅か二つだと言うのに、腕の中で冷たくなっていく弟を見て私は誓ったのだ。もう二度と、こんな光景を見たくない……と。


 だから、私は我が君に忠誠を誓うのだ。その理想の先に、私が思い描いた夢があると信じて。




 だが、目の前に広がる光景は、まさに私が見たく無かったモノだ。


「ケケケッ柵を越える奴は、射殺さねぇとな? 」


「おいおい、やり過ぎんなよぉ。奴らに食料を渡したら重罪だからな? 」


「へいへいっと………………」


『ギャッ!? 』


 兵士から放たれた矢が、唸りをあげながら城内の民に突き刺さる。その者は、地面に倒れ伏したまま微動だにしない。


「命中っと。おいおい、あいつら死んだ人間を奪いあってるぜ? 」


「全く、卑しい奴らだなぁ! 」


『ギャッハッハッハァ! 』


 戯れで城内の民を殺し、それに群がる餓鬼達を後目に笑い合う兵士達。


 これが……人間のすることかっ!




「実は先程、吉川経家殿から降伏の申し出があってな。今頃、切腹しているところじゃろうて」


 筑前守様は、兵士の狼藉等知ったことかと呑気に話し始めた。私は、思わず拳を握り締めながら問いかけてしまった。


「失礼ながら、ここまでする必要があったのでしょうか? 私には…………」


 これ以上は、言ってはいけない。私が何を言っても、この光景は変わらない。ただ、筑前守様の機嫌を損ねるだけだ。


 力いっぱい食いしばった奥歯から、ギリッと嫌な音が聞こえる。私は……無力だ。


「これは、見せしめじゃ」


 筑前守様は、そこで言葉を切ると私の顔を覗き込むように見上げてきた。


「織田に仇なす者は、天下に仇なす大罪人じゃ。逆らう者は皆、こうなるんじゃ。分かるであろう? 」


「…………は……いっ…………」


 真っ黒な顔が、私を見詰めている。お前は敵なのか? そう問いかけているようで、身体の震えが止まらない。


 怖い怖い怖い怖い怖い…………我が君、この男は危険です!!!














「行ったか……」


「殿、あのままで良かったので? 」


「良い。まだ後始末が残っておる。付いてこい官兵衛」


「御意」


 これで良い。手を汚すのはわしらだけで、もう充分じゃて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る