襲来
天正九年二月 安土城
突然開けられた襖の先。射し込む光。その奥には、一人の少女が立っていた。その子はつり目だがキツくはなく、スッと高い鼻、桜色の唇、勝気な表情がなんとも魅力的な美少女であった。
……はっ! いかんいかん、見惚れてる場合ではないだろ。しっかりしろ。もし、これが刺客なら今頃死んでいるぞ!
「お主は誰じゃ!! 」
いや、こっちのセリフだわ!
「お主こそ誰じゃ! 名を聞くならそちらから名乗るのが礼儀であろう! 」
「!? 」
まさか、自分を知らないと思わなかったのか? 目に見えて狼狽え始めた。なんだ? この子、そんな有名なやつなのか?
「コホン! 妾は茶々じゃ! ……当然、知っておろうな? 」
「しらん! 」
「知らんのかっ!? 」
初対面の人間を知るわけないだろ。まったく、自意識過剰なお嬢様だぜ。
てか、ヤバい。なんか、プルプル震え始めたぞ。こんなガキンチョのことだ。泣くか怒るかの2択だろうし、今のうちに逃げとこっかな。
俺は、松にアイコンタクトを入れながら少しずつ後退していった……その時、ガバッと少女が顔をあげたと思うと、同時に満面の笑みで笑い始めた。
「わっはははは! まさか、妾を知らぬ者がこの城におろうとは思わなかったぞ! そうじゃ、妾が答えたのなら貴様も名乗るがよい」
コイツ……頭イカれてやがるなっ! しかし、あちらが礼を尽くしたのなら、こちらも応えねばならないか!
「三法師じゃ! 」
「……うむ、三法師じゃな。あいわかった。本来ならば手打ちにしてやるところだが、妾の家臣になるならば特別に許してやろう」
「!? 」
な、なんじゃこのクソガキャ! 断るわけないよな? と言わんばかりに見下しやがって!
「ガキンチョのくせに……っ」
「ガキンチョっ!? わ、妾はもう十二じゃ! 」
十二? ハッ! 小学生じゃねぇか、充分ガキだわ。
「十二なんてガキじゃろ! 」
「な、なんじゃとー!! そういうお主こそいくつなのじゃ! 」
「二つじゃ」
「それもう赤子じゃろうがっ!? ……ふふふっ、こんなもちもちしおって! お仕置じゃ! 」
俺の歳を知った途端、ニヤリと笑ったと思ったら、ガキンチョはガバッと飛びかかってきて頬をぷにぷにし始めやがった。
「にゃ、にゃにおする〜!? 」
「わっはははは! 妾を愚弄した罰よ! 存分に堪能させよ! 」
貴様ぁ! なんという辱めか、絶対許さん!
なんとか脱出しようとするが、いかんせん赤子の筋力には限界があり、なすがままにされるしか無かった。ちょっと、松? なんで助けてくれないんだ? もう誰でも良いから助けてくれ……。
正直、この時もう目は死んでいたと思う。大人が通りかかってくれる事をただただ願っていると、トタトタと足音が聞こえ始めた。来た! これで勝つる!
「姉上〜朝餉が出来ましたぞ〜何処ですか〜」
これは、またしても子供か? 甲高い声がだんだん近付いてきて、遂に部屋に辿り着いた。
「あ、いた。……姉上、何してるの? 」
「赤ちゃん……」
部屋に入って来たのは2人の少女。どこか、このお茶野郎に似ているから姉妹かもしれない。
一人目の女の子は顔立ちは、お茶野郎に似ているものの八重歯が印象的なわんぱく印の美少女だ。是非、このお茶野郎を引き取ってくれる事を願わんばかりである。
問題は、二人目。まだ、幼さを残す幼女は先程からずっと俺から目を離さない。これは、あれだ。興味津々です! って感じのやつだ。危険さで言うならお茶野郎より上である。
「むっ! もうそんな時間か。のぅ、三法師はもう朝餉は済ましたか? 」
「食べてない」
誰かさんが来たおかげでな! だが、奴はそんな気も知らないでニカッと笑うと、俺を易々と両手で抱き抱えて歩き始めた。
「ならば、共にゆくぞ!初、江、待たせたなゆくぞ! 」
「もう母上待ってますぞー」
「赤ちゃん……」
おい! マジで何処連れて行く気だ!? 誘拐だぞ誘拐! っていうか、俺まだ離乳食なんだけどコイツら絶対分かってねぇだろ!?
***
お茶野郎に拉致されること数分。どうやら目的地に着いたみたいで、そこにはまぁまぁの大人達がいた。着物を見た感じほとんど侍女だなぁ。こんな人数がついてるなんて一体何者なんだ?
チラッと部屋の中央を見ると、そこには絶世の美女が座っていた。艶のある黒髪にどこか憂いを帯びた眼差し。お茶野郎の面影があるあたり、この人は母親だろうか。部屋に入って来たお茶野郎にやっと来たのかと安堵の息を吐くも、その胸に抱かれた俺の姿に気付いたのか何か問いたげな眼差しを向けてきた。
「茶々、何処に行っていたのですか? もう朝餉の用意は出来ていますよ」
「うっ……すまなかったの母上。だが先程面白い童を見つけての! 早速連れてきたのじゃ、朝餉を共にしても良いであろう? 」
「あらあら……そなた名はなんと申す」
「……三法師じゃ」
『――っ!? 』
流石に、大人であれば俺の事を知っているのか、目を見開いてまじまじと顔を見てきた。侍女達など、一同青い顔になって微動だにしない。まぁ、俺はしないけど当主の嫡男拉致ったら普通手打ちにされるわな。
「そうか、そちが三法師か。兄上からよく聞いておるぞ、大層聡明な子である……と。妾は市である、娘達が粗相をしたようで申し訳ないのぅ」
……えっ? お市って確か戦国一の美女だよな、そんで信長の妹。じゃあ、お茶野郎って信長の姪か!? そりゃあ、家中で知らん者はおらんと思うわな。道理で、松が助けないわけよ。
しゃーない、今度からはお茶と呼んでやろう。しかし、俺とは……なんだ? 信長の姪と孫だから……う〜ん、わからん! まぁ意外に血は離れてるっぽいかな?
「いえ、構いませぬ。こちらも、ご挨拶が遅れ申した故。……お初にお目にかかります。私、三法師にございます。今後とも、よしなにお頼みまする。お市おねぇ様」
きちんと礼を尽くしたあと、そっと顔をあげるとお市お姉様の目がハートに変貌していた。さ、寒気が。嫌な予感しかしない。
「まぁまぁ、なんとも愛らしゅうてたまらんのぅ。ほれ、妾にも抱かせよ……」
じりじりと、こちらへ近付いてくるお市お姉様に恐怖しか感じない。あぁ、やっぱ母娘なんだなぁ。
「ほほう。柔らかいのぅ、もちもちじゃ。茶々達にも、このような時があったのぅ。懐かしゅう限りじゃ。妾の膝で、一緒に朝餉を食そうのぅ」
お茶達も母親には強く出れないのか、俺を奪っていった事に不満はあるもののグッと耐えているようだ。こうなったら離されないだろうし、仕方がない耐えるか。
***
その後、なんとか解放された俺は部屋に戻り、新五郎を呼び寄せる事にした。
はぁ……、やっと帰ってこれた。また会うことになってしまったが、致し方ないか。
それより、安土城に来た最大の目的である家臣達との会談はどうなってるんだ? 全然知らされていないんだが。
それから少しして、新五郎が部屋にやって来た。どうやら接待やらで疲れてる様子、俺への窓口新五郎しかいないからね。そりゃ、仕事集中するわな。
「お待たせ致しました若様。本日は官位の勉強をいたしましょうか」
「いや、それより家臣達に会いたい」
俺からの問いはある程度予想がついていたのか、少し躊躇うもやがて諦め、溜め息をついた後にズイっと俺に近付いて小さな声で話し始めた。
「実は、三法師様にお目通り願いたい方々は多くいらっしゃいます。そこで、一門衆からとなったのですが、三七信孝様と三介信意様でどちらが先に挨拶するか争っておりまして……」
あぁ、なるほどな。主家筋の方々の騒動だから大っぴらに言えないわけだ。
「二人は仲が悪いのか? 」
「そうらですな。なんでも母親の身分で出生が逆になってしまったらしく、それ以来互いにいがみ合うようになったそうです」
えぇ、そんだけかよ。マジでくだらん理由だな。いや、乱世ではそれが充分戦いのタネになるってことか。
「くだらんな。それなら、いっそ一門衆全員で来ればよかろう。横一列に並ばせておけ」
「……ほう」
俺の提案は余程意外だったのか、目をパチクリさせた後に新五郎は腹を抱えて笑いだした。
「いやはや、それはまっこと良き案かと。早速、使いの者を向かわせましょう」
「うむ、頼むぞ」
本当、勘弁して欲しいよ。時間ないってのにさ。
溜め息を吐く。
「……しかし、乱世とは兄弟でもいがみ合うのだな」
「そうですな、兄弟だからこそやも知れませぬ。己と最も近い他人でもあります故、兄弟仲が良いのは稀でしょうな。某の知る限り、毛利と北条くらいですかなぁ」
毛利と北条……か。
「それより、先程御二方を諱で呼ばれておりましたが、仮名で呼ばねばなりませんぞ」
「いみな? けみょう?」
「左様。主人や親以外が、人を諱で呼ぶことは大変失礼な事とされております。例えば、某でしたら、斎藤新五郎利治の斎藤は家名、新五郎は仮名、利治が諱でございます。正式な公の場では諱が使われますが、普段は仮名もしくは官位で呼ぶのが礼儀でございまする」
「うむ」
……あれ? 漫画とかじゃよく信長様! って家臣が言ってるけど、あれ嘘だったのかよ。
「しかし、おじい様が柴田を権六と呼んでいたのは何故だ? 勝家ではないのか? 」
「あぁ、あれは主人があえて仮名を呼ぶことで、他にこの者を信頼している事を表しているのでしょう」
うわぁ、めんどくさっ! そんなん頭ごっちゃごちゃになるぞ。……俺が当主になったら、ほとんど名前呼びしそうだわ。
まぁ、家臣達に会う前に知れてよかったか。危うく、恥をかくところだった。
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