早紀ちゃん 告白編

 天辺の『星』が取り除かれた。


「早紀、落ち込んでんの?」

「そんなこと、ないよ」


 奏太が珍しく心配そうな顔を向けるから、私はちょっと顔を強張らせた。

 ツリー型に積んだ本が、見る見るうちに崩されて運ばれていく。


 残念なことに、奏太と一生懸命積み上げたクリスマスブックツリーは、クリスマスを前に片付けることになってしまった。仕方ないよね。貸し出し用の文庫を使ってるし、明日から冬休みだから、と無理矢理納得した。

 でもクリスマスブックツリーはとても好評で、普段熱心に読書をしない生徒も何度も見に来てくれたらしい。こっそりスマホで写真を撮った子もいたって話だ。本当は駄目なこと──緊急時以外スマホを使ってはいけない──だけど、私はそれを聞いてちょっと、いやすごく嬉しかった。

 私も本を借りなくても当番でなくても、何度も見に来た。北側の図書室はいつもツリーは逆光で、本物のもみの木の尖端みたいに見えた。

 どうやら奏太も気に入ってたみたいで何度も鉢合わせしたのにはちょっと笑った。


 だからせっかく苦労して作ったツリーを片付けないといけないのは、残念。


「早紀、なんかホントに元気ないけど大丈夫か?」


 一緒に本の仕分けをする奏太が怪訝な目を向ける気配に、私は「うん、なんで?」と返事をした。目の前にどんどん積まれていく本の分類分けが忙しいから、奏太の方は見ない。「別に。……変に大人しいからさ」と奏太は機嫌を損ねたようにぶっきらぼうに言った。心配してくれてる、って分かったけど何て返して良いか分からなくて私は黙ったまま、手だけ動かしてた。


 私は奏太と、崩して平積みした本を棚ごとに分類する作業をしている。分けたら他の委員の子がバケツリレーみたいに運んで、棚に五十音順で並べる。

 完全に流れ作業で次から次へと表紙を見ては仕分けする。

 私は何も考えずに次の文庫を手に取った。と、白い星が浮かぶ背景にイラストの惑星と王子様……『星の王子さま』だ。

 

 見た瞬間、心臓がぎゅっと突然縮んだみたいに苦しくなって眉をしかめた。海外小説の棚、後ろの机に回す。

『あ、俺がやるよ。何か早紀だと危ない』。穂高が飾った『星』……穂高。


 私の顔に、ごく近くまで寄った彼の長い睫毛の映像がよぎる。きゅ、と予告なく握られた手の感触を思い出すと、未だに驚きと恥ずかしさで手が震えてくる。

 『早紀が好きだ。付き合って下さい』

 お便りの写真を撮るために呼び出された図書室。翳った夕方の空気に立っていたブックツリー。真剣な穂高の顔。あの日から何度も思い出しては戸惑っている。

 ──いきなり穂高に告白された。

 ……どうしよう。どうしよう私……何て返事すればいいの?

 『返事はゆっくりでいいから』

 もうずっと考え続けてるけど、全然分からない。答えが出ない。

 私は思わず手を止めて、さっきまでツリーがあったところを見上げた。もちろん、もう何もなくなっている。頭に焼き付いた映像と全く違っていることが、早く返事をしなければと私を責めているように感じた。

ただ本が平積みされたカウンターに朝の真っ白な光が差し込み、そこを空っぽに頼りなくも見せていた。


 ***


 四時間授業で冬休みの過ごし方をぼんやり聞いて学校が終わった。部活も生徒会もないからさっさと帰ろうとした時、昇降口で奏太に呼び止められた。


「早紀。見せたい物があるからちょっと家に来いよ」


 私は驚いた。奏太が自分から誘うなんて珍しかった。それに、奏太の家に最後に遊びに行ったのは小学校の頃だったから。

 私は「え、見せたい物って何?」と奏太を見返した。全然分からなかったから。でも奏太はそれには答えないで突然また不機嫌そうに「……来んの? 来ないの?」と言った。私は何の用か分からなくて首を傾げた。

 と、私が答えるまでに同じクラスの子達がぞろぞろ階段を降りてくる気配がして、奏太は私の前をあっさり通り過ぎていった。「ちょっと奏太……」と私は追いかけて、彼に並んで歩いた。どうせ家は近所で同じ方向だから、どうせなら一緒に帰った方がいい。


「……母さんがお前に貸したい本があるって」


 そうならそうと言えばいいのに! 


 私は少しムッとしながら「じゃあ行くよ」と返した。「ん」と短く答えた奏太の表情はよく見えなかったけど、彼がホッとしたように息を吐いたのは聞こえた。

 そうか冬休みだし、久しぶりにどっぷり読書もいいかもしれない、と思いながら、私はちょっと歩調の早い奏太に遅れないよう頑張って歩いた。


 ***


 奏太の家はしん、として誰もいないみたいだった。玄関から1歩入ってすぐ懐かしい匂いがした。本の紙の匂い。

 小学校までは奏太と一緒に奏太ママの書斎で本を読んだり、リビングで遊んだりしてたから勝手知ったる他人の家ってやつだった。でも中学に入ってからは数える程しか上がったことがないから、ちょっと緊張した。

 「お邪魔します」と一応挨拶をしてから上がり込む。


「早紀、こっち」


 奏太はリビングと反対側の廊下で私を待っていた。


 あれ、こっちって……?


「奏太、もしかしてオススメって書斎の本?」

「……母さんからは入室許可出てるから」

「いいの?」


 奏太ママはすごい読書家で、書斎は本が溢れている。これは本当で溢れかえって床が見えないくらいだ。私が最後に入ってから1年以上経ってるから、また増えてるかも、と思ったら緊張で口の中に唾が溜まった。

 確か4年生の時、不用意に書斎のドアを開けて本の山を崩しちゃって大目玉を食らったっけ。「絶対汚い手で触りません! 中でおやつを食べません!」と言ってから、中に入る約束だった。それくらい、奏太ママは本が好きな人だ。だから奏太も負けないくらいの読書家になるんだろうなぁ、なんて前を歩く彼の左巻きのつむじを見て思う。


 と、奏太は廊下の行き止まりのドアノブを握ると、勢いよくドアを開けた。


「ちょ! 奏太! 本が……!」


 思わず目を瞑った私の耳には本の崩れる音は一向に聞こえてこなかった。怖々目を開けた。

 

 床に何もない……。


 細く開いた部屋の床を観察して、「あれ?」拍子抜けした。小学校の頃に見た、床に敷き詰められているような本の塔はなくなっていた。奏太が大きくドアを開いた。

 そこにあったのは──


「わ……!」


 天井に突くほどもある、クリスマスブックツリーが部屋の真ん中から私を見下ろしていた。私はあんぐり口を開けたまま、言葉を失った。はくはく、と正常な呼吸もあやしくなる程だった。


「早紀、どう?」


 いつかのように、奏太は照れたように尋ねた。

 私は、口元がわななくほどの感動が湧上がって「すごい……すごいよ! すごいよ奏太!」と叫んだ。そして大声で本が崩れちゃったらまずい! と慌てて口を塞いだ。


「いやそれくらいじゃ崩れないだろ、バカだな。……気に入った?」

「も! もちろんだよ! すごい、すごいよ! もう……すごいよ!」


「語彙力失うくらいか。良かった」と奏太は素直な笑顔を見せて「中、入りなよ」と手招きした。

 私は手も心もまだ感動で震えていて、歩いて転んで崩れたら……と思うと怖くてすり足で中に入った。

 1歩近付く毎にそのツリーは大きて高くて、私は更に興奮で胸が高鳴った。部屋は記憶の通り遮光カーテンで閉め切られていて、蛍光灯がツリーを青白く照らしていた。幹や下の方は装丁本、枝葉や天辺には文庫本が使われているようでとても精緻に組まれ積まれていることが分かった。


「もしかして、奏太。これ、ひとりで作ったの?」

「いや……そう言いたいのは山々なんだけど、さすがに無理だった。父さんと母さんも手伝ってくれたよ」


 ははっ、と乾いた笑い。でも、奏太の顔は達成感に溢れていて、とっても誇らしげにツリーを見ていた。私はじわ、とまた別の種類の感動が込み上げて目尻が濡れるのを感じた。


「そっか、だからあんなに手際よく図書室のツリーを作れたんだ……」

「ん、まぁね。この書斎の床が見える日が来るとは、家族の誰も思ってなかったよ」

「確かに!」


  本当はこの書斎に子どもは入室禁止だったけど、いつのまにか私は目こぼししてもらっていた。何でもかんでも読むママは、ジャンルなんて関係なく積んでいっちゃうけど、いつの間にか児童文学だけは同じコーナーにあったりして。

 そして2人で、話もせず書斎で読書をして過ごした。そう思い出すと懐かしい気持ちが込み上げた。すごい、すごいよ奏太。私は本当に感動していた。


「そうだ、電気消すぞ」と、奏太がすたすた歩いてツリーの裏へ消えた。「え?」

 パチ、とスイッチを押す音が聞こえた瞬間、部屋は薄暗いオレンジ色になった。と、思ったら同時にツリーの内側が白く光り始めた。

 暗くなって分かったことだけど、よく見るとほんの小さな電飾が内側から枝葉の部分に絡められていたようで──遠目では分からないくらい小さい──それがささやかにでも絶え間なく虹色にちかちか光り始めた。


 まるでそれは光の塔。

 色分けされて緻密に積み重ねられた幹の本の隙間から温かい輝きが漏れ出て、表紙カバーに反射してそれが雪のように白く光る。ちかちか、と瞬く毎に色を変える電飾の光は、枝葉の上で線香花火の芯みたいにまあるく青や赤や白や緑に変化する。

 本物のもみの木に繊細な電飾をつけたような神秘さに、私はまた声が出なくなってしまった。


「……図書室で本のツリーを作りたい、って、早紀が話したときから、作りたいなって思ってさ。母さんを説得したんだ。……何かお前、最近元気なかったし、見せたら元気になるかなって」


 私はいつの間にか傍に立つ奏太を呆然と見上げた。奏太の目はツリーを見たままで、その顔はちかちか、と色を変える。「ちょっとは元気になったかよ」奏太はこっちを見ないで呟いた。


 その瞬間、ぶわっ、と涙腺が決壊して、私は「ぅあぁぁぁん」と声を上げた。奏太がギョッとしてこっちを見たのがぼやけた視界に映った。


「奏太……ありがとう……うぅ……元気になったよぉ! なり過ぎだよぉぉぉ……うわぁぁぁ!」

「ちょ、お前なんでそんなに泣いてんだよ」


 ツリーの感動はもちろんあったけど、奏太が私を心配してくれてたってことが嬉しくて、ありがたくて涙が出た。

 穂高の告白を誰にも言えなくてひとりで悶々と考えて考えて考えて……もう辛くて仕方なかった。そう、もう辛かった。穂高のことを考えるのが辛くなっていた。

 好きかどうか、じゃなくて断ったらどうなるかを悩んでた。

 もう、答えは出ていたんだ。

 

 私は泣きながら穂高に告白されたことを奏太に話した。初めて帰った時手を繋がれたことも、図書室で告白されたこと、ずっとひとりで悩んで苦しかったこと。何て返事をしたらいいのか、分からなくて辛かったこと。


「……じゃ、それ断わるんだろ?」


 奏太は素っ気なく言った。私はもやぁ、とその先の不安が込み上げてきて、また涙が出て来そうになった。でも、もう自分の気持ちが分かったから迷わなかった。


「うん断わるよ……。私、穂高のこと嫌いじゃないし、告白されたことは嬉しかった。それに断わったら嫌われるんじゃないかって心配だった」

「え」

「でも、私、付き合うとか、恋愛ってよく分からない。好きな人とか分かんない。これって、穂高のことは好きじゃないってことでしょ? 好きじゃないのに付き合うなんて、変だよね?」


 奏太は少し間を置いて「ん……だと思う」と言った。そして私から目を逸らして、ツリーを見上げるとポツリと言った。


「無理、しなくていいだろ。まだ、誰も好きじゃないんなら」


 その言葉はとっても小さい声だったけど、しっかり私の胸に届いた。

「うん、ありがと、奏太……」拭っても拭っても溢れてくる涙の分、奏太は私に付き合ってくれた。



 まるで本物みたいなブックツリーが代わる代わる虹色に揺らめく光景を、2人でずっと見ていた。

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