コト 6
あたしにしてはよく面倒みた、と思う。「み、ず」と言って起き上がれないトモの背中を支えて水を飲ませてやったり、自分のご飯ついでにトモの食料──お粥とか即席味噌汁──を買ってきて食べさせてやったりもした。ついでにコンビニで適当な燃料も買って木曜の朝には全部で13冊読了。
あ、あ、さすがに目が疲れてる。近くの物と遠くの物のピントの反射が落ちてる。うー! と体を畳に投げ出して伸ばしに伸ばす。はぁー、と息を吐いて見たことある天井をぼんやり眺めた。あたしの部屋とは蛍光灯のカバーが違うんだなぁ、なんて。
「……コト」
あたしはゴロンとしたままトモの寝ている部屋の隅を見た。丁度、トモが3時を差す短針だとすると、あたしは25分の長針。
「どしたの」
「今、何時。スマホの電源切れてる」
「あー」
本と本の間にサンドされたスマホはなんだか居心地が良さそうに見えたけど、仕方ないので救出して画面をタップした。
「今、朝の8:28だよー」
「……何曜日?」
「木曜。あーもう木曜かー、早いなぁ休みの1日って」
あたしはもう心の底からがっかりしてスマホをポイ、と投げた。常連から連絡が来てたみたいだけど放置だ。夕方ならともかく、朝から営業活動はご勘弁。ずっと本だけ読んでられればいいのに。
「なぁ」
「ん?」
「いつ来たんだ?」
「えー? 火曜の深夜かなぁ。日付的には水曜」
さっき読み終えたミステリのトリックが日付時間差だったから、思わずそんな風に言ってみた。あたしは結構影響されちゃうんだ。
「そか……その、ありがとな」
トモは布団から顔だけ出して、その顔がやたら赤くなってる。恥ずかしがってるのが一目瞭然。あたしは微笑ましく思って「ふふ」と笑ってしまった。若い若い。
「いいよ。あたし丁度今週休みでさ、たまたま電子レンジ借りに来たらあんた、ぶっ倒れてんだもん。ま、あたし、アル中なんて見慣れてるから気にしないで。まぁ、あたしが来なかったらヤバかったかもしれないけどさ」
「あぁ……電子レンジ? 壊れたのか?」
「ううん、あたしの部屋には置いてないから」
「は?」
あたしは、あたしの書斎のことをトモに話した。誰かに話したのは初めてだったし、トモも要領を得ないのか全部説明するのに薄い短編集だったら読めたかもしれないくらいは時間を使った。
「信じらんねぇ。よく2部屋借りれる程金持ってんな」
「うーんカツカツ? 本もかなり買うしね。仕方ない、それがあたしのストレス解消法だから。書斎がないと生きていけないもん」
「はー……」
トモは空気が抜けたみたいにゴロ、と布団に寝転んだ。途中からトモは、壁に寄り掛かってペットボトルの水を飲みながらあたしの話を聞いていたから疲れたのかもしれない。でも起き抜けより随分顔色が良くなったみたい。あたしはそう思って、意外にトモを心配していたんだな、と自覚した。そりゃ、このウチにトモがいないと困るもんね、と納得する。
「二日酔いはどう?」
「うん、大分いい。まだ胃が変、だけど」
「そっか。じゃ、もう大丈夫だねー。スマホ、一回も鳴らなかったけど、友達とかバイトには連絡したら? アル中でした(笑)ってさ」
ピタ、とトモの動きが止まった。いや何か動いてたわけじゃないけど、緩やかな空気が突然しん、とした。あたしは咄嗟に「ん?」と声に出していた。
あたしの書斎と違って全開になっているカーテン。そこから明るい光が昭和な磨り硝子を挟んで黄色い畳に降り注いでいた。日焼けしてしまうんじゃないか、ってくらい明るい。
でもトモは光の死角でひとり顔色を悪くしてゆっくり起き上がった。
「……友達なんていないし、バイトも辞めるからいい」
「え、なんで?」
確かバーで働いてたんじゃないっけ? 出会った頃、1度だけ大学とバイトの話を聞いたことがあった。大学の方はイマイチ分からなかったけど。
バーの方はこの界隈では本格的なバーで通っていて、滅多に女の子が使わない店だった。別にマスターがキャバ嬢を拒否してるわけじゃないけど、女の子が優位に動ける店ってのがある。そこは雰囲気的に客が主導権を握りやすい店だから、あんまり積極的に営業かけないあたし的には使いづらいってだけだ。
それにトモが働き始めてからは飲みに行ってない。面倒が起こったら嫌だったし、特に思い入れもないから。
「こないだの月曜、ヤクザが来て」
「うん」
「酒瓶、ほとんど割られて、今店休んでるはずなんだ」
「へぇ。そりゃ大変だ」
「……リアクション軽くねぇ?」
「うーん……まぁ、夜の店で働いてればそんな感じのことは遭遇するよー」
「そっか」
「うん」と答えて、あたしはトモをじっと見た。やっぱり育ちがいいんだ。確かに恐い人はいる。利害が伴うと厄介な相手だ。でも、そんなに落ち込むことだろうか。無事だったんだし。
変なの、とあたしは新しい本を手に取ろうとして、ハタと気づいた。無かった。新しい本が。
とにかくあたしは本を買いに出て、ついでに自宅で着替えも日用品も補充してすぐトモのウチに帰った。あの育ちの良さじゃ、命の恩人をもう来るなとは言わないだろう、と思ったからだ。案の定、トモはホッとした顔をして「なんで来たんだよ」と憎まれ口ひとつで後は何にも言わなかった。
でもトモが元気になったら、本を読んでいられなくなった。話し掛けてくるから集中できない。やれ友達がいないだの、同じ専攻の人はウザいだの、自分は馬鹿だ勉強が分かんないだの、他にバイトはないか、だのと本当にウザいのはお前だ、ってくらい話し掛けてきた。
1度本の世界に入れば集中するはずのあたしが、全然集中できない。もう、面倒くさいし元気そうだから書斎に戻ろうとした、その時だった。
充電中のトモのスマホが鳴った。
画面を見て固まるトモ。
「どしたの、出なよ」
「マスター」
「あぁ。辞めるなら辞めるって言いなよ」
その話はもう何度もしていた。これだから大学生は! と変に学生って奴を貶めたくなる。
トモはゆるゆると人差し指を画面に乗っけてゆっくりスライドさせた。耳に当てる。
「はい……はい……そうですか。良かったですね……はい」
あたしは思ったより落ち着いた声に目を逸らした。どれ、書斎に戻ろう。どうやら辞めるって言えそうだ、と荷物を持って立ち上がった。
でも電話はそのまま「はい」の連呼で、あたしが部屋を出る前に、辞めるのやの字も出て来ないまま終わってしまった。
あたしはなんでかカチンときて振り返った。「は? トモ、あんた辞めるんじゃないの」
眉を下げたトモの奥、磨り硝子2枚分越しの夜があたしを吸い込もうとした。
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