第35話 覚醒
「それで、私んとこに来たってわけね」
三日月ミチルの前には、神妙な顔をしたナギと、いまだぼうっとしか表情のままのユイが座っていた。
「ミチルさんは、あの男のことをどこまで知ってたんですか?」
天堂仁を「あの男」呼ばわりするナギに、ミチルは苦笑する。
「カタストロフ以前の仁の経歴は、私もよく知らなかった。あなたの話も初めて聞く事が多くて、驚いてるぐらいだし。ただ、ちょっと気になってることがあってね」
そう言うと、ミチルはナギにヘッドホンを渡した。
「これ、聞いてみて」
ヘッドホンから流れてきたのは、どこか悲しげで、それでいて優しく包み込んでいくような、不思議で繊細な音色を響かせる女性の歌声であった。
「仁は、なぜかその歌にすごくこだわっててね、真珠杯の後の次のパフォーマンスでは、その歌を使おうって思ってたみたい。私にその歌を使ったパフォーマンスの構成を相談してたからね」
ナギとユイのこれまで行ってきたダイナミックなパフォーマンスと比べると、随分と地味な選曲のように思える。
だがその歌声は、心の奥底にある何かに呼びかけるような、不思議な旋律を響かせているのだ。
「この歌を歌っているのは?」
「さあ、この歌い手が誰なのかは、仁も教えてくれなくて。音源は、カタストロフ以前の古いものみたい」
「ユイもちょっと聞いてみなよ」
ナギはヘッドホンをユイに渡した。
ユイは目を瞑り、しばらくは流れてくる歌に静かに耳を傾けていた。
やがてユイは立ち上がると、歌声に合わせてゆっくりと手足を動かし始めた。
「ユイも何か感じる? その歌に……」
ユイは黙って頷きながら、ナギとミチルの前で無心に舞い続ける。
「これまでのユイちゃんのパフォーマンスとは、ちょっと雰囲気が違うね。なんだろう、踊りながら誰かに語りかけてるみたいな」
歌声と見事にシンクロしたユイのたおやかな踊りを見て、ミチルがそんな感想を述べた。
やがて歌が終わり、ユイは踊っていた姿勢のまま、その場に静止した。
だが、10秒たっても20秒たっても、ユイは静止した姿勢からピクリとも動かない。
「ユイ、もういいよ。歌は終わったんでしょ?」
ナギの呼びかけにもユイは答えず、まるで凍りついたように先ほどの姿勢を崩さない。
「ユイ! ねえユイ! どうしちゃったの!?」
肩を揺するナギの腕の中に、ユイは倒れ込んだ。
カリンと男は、再びあの巨大なドームの中にいた。
カリンの手枷はすでに解除されている。
男は、ドーム中央のカプセルに歩み寄ると、側面のボタンを操作した。
すると、カプセルの蓋が開かれ、中から美しい女性の姿が現れる。
女性は一見裸体のようにも見えたが、その全身はキラキラと光るごく薄い銀箔色の膜でコーティングされていた。
「真明智会が強欲な連中から匿ってくれていた『純粋存在』、あの教主の言葉に倣えば『常世神様』が、君たちの捧げた踊りによって、君たちの身体を通じて覚醒した。今後、君たちは『純粋存在』の『目』となり『耳』となり『口』となるのだ」
「久野原カリン、君は『純粋存在』の『目』だ。そしてここに眠る、橘エチカが『純粋存在』の『耳』、そして残るもう一人が『純粋存在』の『口』。彼女も、もう間もなくここに現れる」
男の言葉は、カリンにはまるで理解できない。
先ほどの気持ち悪い無数の『目』が自分の父親だと言うのもまるで理解できないし、あの『常世神様』が自分の身体を通じて顕現したと言うのも、全く自覚が無い。
「カリン、君がよく理解できぬのも無理はない。だが、そのうちにわかる」
カリンの心の中を見透かしたように男が言う。
戸惑うカリンをよそに、男はカプセルの台座に横たわっている橘エチカのそばに跪くと、耳元で何かを囁いた。
すると、エチカの目がうっすらと開く。
目覚めたエチカは、横たわっていた台座からゆっくり起き上がった。
「……これ、まだ夢の続き?……」
いまだ夢現といった面持ちのエチカは、周囲を見回しながらそう呟く。
「夢では無いよ」
「ソーカー様!?」
「そうだ、私だ。アゼル・ソーカーだ。ようやく目が覚めたかね、橘エチカ」
「ここは、一体どこです? 私はなぜこんなところに?」
「訳あって、君をここに連れてきたのだ。君はあの後夜祭のパフォーマンスを通じて『純粋存在』と同期し、それを覚醒させたのだ。新山秀には感謝しなけりゃな。彼の腕がなければ、ここまで早く『純粋存在』の覚醒に漕ぎ着けられなかった」
「『純粋存在』?……」
その時、ソーカーのリストバンドで通知音が鳴った。
「どうした?」
(国連の特殊部隊が施設内に侵入しました。)
だが、その緊急連絡にソーカーは薄笑いを浮かべる。
「ようやく気付いてくれたか。これから、彼らには生贄になってもらおう」
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