第34話 妄執

 カリンは男とともに、白い光に包まれた長い廊下を進んでいた。

 廊下の突き当たりで男が手をかざすと、それまで全く継ぎ目の見当たらなかった壁面が左右に割れて、その向こうに大きな部屋が現れた。

 先ほどのドームとは打って変わって部屋の中は薄暗く、壁にポツポツと光るオレンジ色の照明だけが、あたりを照らしていた。

 部屋の中には、先ほどのドームと同様に、人一人が入れるほどの大きさの白いカプセルが置かれていた。

 男に手招きされ、カリンはそばに寄ってカプセルの中を覗き込んだ。


「きゃっ!」


 カプセルの中を覗き込んだカリンは小さな悲鳴を上げ、その場に尻餅をついてしまう。

 カプセルの中に無数の「目」が浮かんでいて、それが一斉にカリンの方を向いたからだ。

 カリンの驚く様子を見て、男が笑い声を上げる。

 男に笑われて、カリンはブスッとした表情で下から睨みつけた。


「驚いたかい? でもね、そこにいるのは君ととても近しい人なんだ。今は、色々なものと切り離され、ただ薄汚い我欲の塊だけになって、その中を永遠に漂ってる」


 すると、男の言葉に答えようとするかのように、白いカプセルが微かに震え、その中から唸り声とも呻き声ともつかぬような、異様な音が鳴り響いた。


「ハハッ! 自分の『娘』が来たことがわかったのかね、この薄汚い魂の抜け殻にも」

「『娘』って、どういう事?」

「カリン、君のお父さんだよ、目の前にいるのは。かつて人間だった時の名前は『久野原宏樹』という」



「凛か? お前は凛なのか?」


 天堂仁は、荒屋敷ユイの身体を借りて語りかけるその存在に問うた。


「私は『久野原凛』と言う固有名詞で表される存在ではもはやない。だが、私を構成するものとして『久野原凛』は確かに存在する。それだけではない、私を構成するものの中には『塩海エリカ』も存在するのだ」

「三神立志、お前ののぞむ『久野原凛』は、二度のカタストロフを経て、もはや物理的な実体としては存在しない。『久野原凛』という物理的実体はすでに解体、再構成され、二度と復活しない。お前の望みは妄執だ」

「10年以上も待たせた上に、オレに対する答えがそれか。正直、失望したよ。オレはな、別に凛の魂や肉体を復活させたいわけじゃない」

「では何を望む、三神立志。そのために、わざわざこの荒屋敷ユイの肉体を利用したのだろう」

「凛、お前は何一つわかっちゃいないな。オレの望みはただ一つ、お前と一つになること。そのためだけに、オレはこのクソみたいな世界で生きながらえてきたんだ!」

「ただな、塩海エリカ、アイツは邪魔だ。防衛省の連中が、あのクソ親父だけはなんとか追い出したみたいだが、お前の中にゃ相変わらず不純物が混じってる。本当の意味でお前を『純粋存在』にするためには、オレはそいつを除去しなきゃならねえ。オレとお前が一つになるのはそれからだ」

「愚かな。凛もエリカも私の中では不可分の存在、それはもはや不可能だ」

「そいつはどうかな? 現に、お前はユイという存在を自分の中に完全に取り込めちゃいないだろう。エリカはな、単にお前の中で眠ってるのよ。あの歌を聞かせてやりゃ、嫌でも起き上がってくる」

「その歌とやらを誰に歌わせる?」

「決まってるだろう。お前の、凛の『娘』さ。お前の娘は、お前がこの旧東京に残した『傷痕』の中で立派に育ってるぜ」


 天堂仁こと三神立志とユイ(の身体を借りた存在)が言い合っているさ中、突然、七頭ナギが二人の間に割って入った。

 ナギはユイの手を強引に引っ張ると、そのまま外に連れ出そうとする。


「ユイ、行こう!」

「おい、ナギ待て!」


 天堂仁が、外に出て行こうとするナギの肩に手をかけた。


「仁さん、アンタの世迷い事はもう聞き飽きた。でも、お陰で私らはアンタに利用されてただけって十分にわかったよ。だから、私とユイはここを出て行くことに決めた」

「そうかよ。だがな、ユイの身体はもう覚醒しちまったんだ。どこへ行こうが、ユイの存在そのものが、今後は周囲にある一定の旋律を響かせるようになる。そのうちに、橘エチカも、凛の娘も、その他の有象無象も、ユイの放つその旋律に惹かれて姿を現すぜ。それまでに、せいぜいどこかで大人しくしてるんだな」


 天堂仁の捨て台詞を背後に聞きながら、ナギは心ここに在らずといった表情のユイの手を引っ張って、13街区のスタジオを後にした。

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