第31話 対面

 その男は、まるで幽鬼のようだった。

 頬はこけ、首は皺だらけで異様に筋張っており、ベッドから覗く指や腕は枯れ枝のようである。


「初めまして、久野原くのはら宏樹ひろきさん」


 三神は病室のベッドに横たわる、まるで生けるミイラのようなその男、凛の実の父親である久野原宏樹に声をかける。

 ベッドの上で窓の外をぼんやりと眺めていた久野原は、三神の呼びかけにゆっくりと振り向いた。

 落ち窪んだ眼窩の底から、表情の無い大きな目がギョロリと覗いている。


「君は……誰だ?」

「オレは、三神立志って言います。凛の母親の再婚相手の息子。つまり、凛の義理の兄ってわけです。もっとも、今では父親が離婚してるからその関係は消滅しちゃってますが」

「凛の兄妹……」

「そうです。ちなみに久野原さん、あなたは離婚なさった後、凛がどうなったのかをご存知ないんですか?」

「どうなったとは?」


 久野原は、実の娘の名前にもぼんやりとした反応しか見せない。


「死んだんですよ。数ヶ月前に亡くなったんです」

「死んだ……誰が?」

「あなたの実の娘、久野原凛です」


 三神の念押しによってようやく理解したのであろうか、久野原はベッドの上で俯いたまま押し黙った。

 だが、しばらくすると、久野原は肩を揺らしながら不気味な笑い声を漏らし始めた。


「凛が死んだだと? 君は、凛の最後がどのようなものだったのか、誰かから聞いているのかね?」

「いえ、その辺は聞いてません。凛の母親も何も話してくれないんで」

「誰も、死顔すら見ていないんだろう」

「そうですね。オレも葬式で凛の死顔を拝めませんでしたから」

「三神君、と言ったかな? 安心したまえ、凛は死んじゃいない。ただ、純粋なる存在に生まれ変わっただけだ。そうか、やはりそうか。あの『種』が凛の中で発芽したのか……」


 久野原はブツブツとわけのわからぬことを呟いていた。


「久野原さん……あなた、実の娘を犯したんでしょう?」


 三神がいきなりぶつけたその問いかけに、久野原は初めて三神の目を真っ直ぐに見た。


「『犯した』か……確かに、傍目に見ればそう見えるかもしれん。だがな、あれは『実験』だったのだ。いや、実験というのは正確では無い。まだ汚れを知らぬ苗床に、この宇宙という存在そのものの種を植え付けるための『神聖なる儀式』と言った方が良い」

「実験だろうが、儀式だろうが関係ない。事実として、あなたはまだ初潮もきていない実の娘を無理やり犯した」

「君も妻のように私を断罪するのかね?」

「断罪? オレにとってそんな事はどうでも良いです。ただ、アンタにムカつくだけだ」


 三神の言葉に、久野原は笑い声をあげた。


「君は凛のことが好きなのか?」

「だったらどうなんです?」

「残念だな。凛はもうすでに誰のものでも無い。凛という存在は、この汚れた地上に縛り付けられている肉体という牢獄から解き放たれたのだ。そのうちに凛という存在は世界そのものになる。近々私もこの肉体から離れて、そこに合流する予定だ」

「アンタのイカれた戯言なんざどうでも良い。凛は、あいつの身体は今どこにある? アンタは知ってるはずだ。アンタが『発芽』って言ってる凛の病気が進行していって、最後に『仮死状態』になったら、その身体をどう管理するのか細かく手順を指定してたぐらいだからな」

「それを聞いてどうする?」

「決まってるじゃないですか。凛をアンタらジジイどもが張り巡らせた牢獄から救い出してやりますよ。このオレがね」


 その後、三神との面会からひと月もたたずして、久野原は亡くなった。



 エリカは防煙マスクを身につけ、黒服の男達のうち一人と数名の機動隊員とともに、黒煙を上げ続ける研究施設の中へと足を踏み入れた。

 迷路のような研究施設の廊下を進むうち、やがて行き止まりになってしまう。


「防火扉が閉まってます」

「この1ブロック先なんだが」


 黒服の男が手元のタブレットを操作しながら言う。


「この先は煙が充満してて危険かもしれません。ここは消防に応援を頼みしょう」


 機動隊員の言葉に、黒服の男は首を振る。


「この建物の構造上、あの辺りは恐らくまだ大丈夫だ」


 黒服の男がタブレットを操作すると、エリカ達の目の前の防火扉が開いた。

 幸いにも煙は回っていないようである。

 非常用の電気だけがポツポツと灯る中をエリカ達が先に進むと、突き当たりに1基のエレベーターが現れた。


「電源は大丈夫そうだな。ここから先は私と塩海さんだけで中に入る。機動隊の諸君はここで待機していてくれ」

「し、しかし……」

「この先の地下施設は核攻撃を受けても大丈夫な作りだ。安心したまえ」


 黒服の男がエレベータ横の生体認証装置を片目で覗き込むと、セキュリティロックが解除されエレベーターの扉がゆっくりと開いた。 

 黒服の男に促され、エリカはエレベーターに乗り込む。


「30分で戻る」


 黒服の男は機動隊員達にそう言い残すと、扉が締まり、エレベーターは凄まじい勢いで下降し始めた。

 エレベーターの下降は1分ほど続いただろうか。

 ガコンという大きな衝撃音とともにエレベーターが止まった。

 エレベーターが開いた先には、さらに廊下が続いていて、そこを進んで行った先に白い扉が現れた。

 先ほどのエレベーターと同じような生体認証装置をやはり男が片目で覗き込んで、その扉が開かれる。

 エリカは、黒服の男に続いて、恐る恐る開いた扉の中へと入っていく。

 扉の内側は真っ白な壁に包まれた廊下が続いていて、しばらく歩くと広大なドーム状の空間が現れた。


「ここ、何ですか?」


 エリカは口をあんぐりと開けて、周りを見渡す。

 広いドームの中央には、白い棺のような形の物体がポツンとひとつだけ置かれていた。


「凛さんはあそこにいる」


 黒服の男が、その白い棺を指差した。


「塩海さん、待ちなさい!」


 黒服の男が止めるのにも構わず、エリカはその白い物体に向かって駆け出していた。


「凛っ!」


 エリカは白い棺の中を覗き込む。

 次の瞬間、黒服の男はドーム内に響き渡る悲鳴を聞いた。

 ドーム内にエリカの悲鳴が反響する中、下から突き上げるような激しい揺れがドーム全体を襲った。

 首都圏を襲った、第一次カタストロフの発生である。

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