第27話 二人の少女
それはまだ寒さの残る3月のことだった。
「高校卒業おめでとう」
「う、うん……」
半年以上の病院暮らしで高校を卒業できなかった凛にそう声をかけられると、エリカは言葉に詰まってしまう。
「その、体調の方はどう?」
凛の両腕に巻かれた包帯をチラリと見ながら、エリカは尋ねる。
すると凛は何を考えたのか、自らの両腕に巻かれた包帯をほどき始めた。
「ちょっ、凛! 何やってんの!」
エリカが止めるのも構わず、凛は両腕の包帯をスルスルとといていく。
やがて包帯の下から現れた凛の両腕を見て、エリカは言葉を失った。
凛の両腕は、本来皮膚や筋肉に隠されているはずの血管や神経が剥き出しになっていたからである。
正確に言えば、皮膚や筋肉が半透明状に透き通っていて、その下の血管や神経が丸見えになっているのだ。
「お腹とかも見てみる?」
信じられない光景に絶句しているエリカに構わず、凛はそんなことを言う。
「だ、大丈夫なのそれ……」
エリカはそう言うのがやっとである。
「うーん、体調は問題無いんだよ。って言うか、入院前よりも元気なぐらい。ただ。身体がこんなことになってるだけでね」
「最初はね、右足の足先ぐらいだったんだよ。それがだんだん脚全体に広がってきて、ここ1ヶ月ぐらいで身体の3分の1ぐらいまで急に広がってきてるんだ」
「お医者さんも、色んな検査してるけど原因はわからないみたい。ただ、身体の機能自体には全く問題ないみたいなんだよね」
凛から初めて病状(?)の説明を受けたエリカだが、目の前で見た両腕の有様からは、とても大丈夫そうな状態には見えない。
「そのうち、透明人間とかになったりして」
そんな洒落にならない冗談言う凛に、エリカはどう言葉を返して良いかわからなかった。
「ねえエリカ、私エリカの歌が聞きたい」
戸惑っているエリカをよそに、凛は突然そんなことを言い出す。
「えっ! ここで?」
「うん、聞かせて」
凛はベッドから身を乗り出すと、半透明になった両腕をエリカの首に回した。
仕方なしに、エリカは凛が好きだと言う歌を小声で歌い始める。
すると、凛はエリカの身体をさらに両腕で引き寄せて、耳元で囁く。
「もっと、大きな声で」
「ええっ、外まで歌声が漏れちゃうよ……」
「構わないでしょ、さあ続けて」
凛に促されるまま、エリカは先ほどよりほんの少し声を張って歌い始めた。
歌い続けるうちに、エリカは次第にここが病室であることも忘れて、歌の世界にのめり込んでいった。
気がついた時、エリカの目の前で虹色に輝く光が踊っていた。
光は、エリカの歌に合わせるようにクルクルと舞い踊り、病室全体を眩いばかりの散乱光で彩っている。
それは、自分の身体が巨大な万華鏡の中に入り込んだような不思議な光景だった。
エリカは、病室に満ち溢れているその光が、凛の両腕から発せられていることに気がついた。
凛の両腕は、渦を巻きながら揺らめく眩い光に包まれ、もはや輪郭がはっきりとわからない。
そればかりか、上着の隙間からも光が漏れ出していて、いつの間にか凛の身体全体が眩い光に包み込まれようとしていた。
凛の身体に起こったこの変異に驚いたエリカは、急に歌をやめてしまう。
すると突然、凛がベッドに倒れ込んでしまったのだ。
「凛っ!」
慌てて呼びかけるエリカに、凛はうっすらと目を開けて微笑みかける。
「看護師さん呼ぼうか?」
「大丈夫……驚かせてゴメン」
凛はそう言いながら、ゆっくりと上半身をベッドの上に起こす。
「凛、無理しないで。寝ててよ」
心配するエリカを凛は手で制する。
「今の歌でやっぱわかったよ。エリカの歌が私の身体をここに繋ぎ止めていてくれてるんだって」
「私ね、入院中ずっとこれでエリカの歌を聞いてたんだ」
凛は、枕元に置いてあったイヤホンをエリカに差し出して見せた。
「エリカの歌がなけりゃ、今頃私ここにいなかったかも」
そう言うと、凛はエリカの両手を握り微笑んだ。
その時、凛の両腕が一瞬だけ元の姿に戻ったように見えた。
「ねえ、これってあなたでしょ」
昼休み、一人静かに本を読んでいたエリカに、一人の同級生が声をかけてきた。
ビクッとして思わず身をすくめるエリカに構わず、その同級生は空いている前の座席に腰を下ろす。
恐る恐る本から顔を上げたエリカの視線の先にいたのは、ややつり目気味のセミロングの美少女である。
彼女の名前は久野原凛。
エリカと同じくクラスの中に溶け込めない、いわゆるボッチなのだが、内気で人見知りが激しくなかなか友達を作れないエリカとは異なり、凛はどこか超然としていて、他人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。
凛は、美人で背が高く、立ち居振る舞いも颯爽としているので、仲良くなりたいと声をかけてくる女子も多かったのだが、歯に衣着せぬ物言いと、自分から壁を作ってしまう性格が災いしてか、皆次第に離れていってしまうのである。
そんな凛が、自分の方からクラスメイトに声をかけてくるなど珍しいことなのだ。
突然のことに挙動不審になっているエリカの目の前に、凛はスマホを差し出す。
スマホには、覆面を被ったまま歌う少女の動画が映し出されていた。
「これって、塩海さんだよね」
「えっ、あっ、その……」
スマホに映し出された動画は、紛れもなくエリカのものである。
エリカは、密かな趣味として、様々な歌をカバーしては動画サイトにアップしていた。
エリカは、プロの歌手を目指していたわけではないのだが、好きなように歌う自分の歌に僅かながらでも反応がもらえるのが嬉しくて、細々とこうした動画をアップしていたのだ。
だが、クラスメイトへの顔バレが怖くて、わざわざ覆面をして歌っていたのである。
「ど、どうして……」
「わかったのかって?」
「この動画であなたの歌声を聞いた瞬間、私の身体の中に電撃みたいなのが駆け巡ったんだ。で、これどこかで聞いたことのある声だなって思ってたら、午前中の現代文の朗読でね」
「そ、それだけで?」
「うん、それだけ」
そう言いながら、凛は悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。
そんな凛の表情をエリカは初めて見た。
その後、エリカと凛はたびたび行動を共にするようになった。
エリカにとって、凛は高校入学以来初めての友人と呼べる存在であった。
クラスから孤立していたとはいえ、性格的には正反対に見える二人が一緒にいる姿をクラスメイトたちは不思議がった。
凛は、エリカの歌を高く評価してくれていた。
エリカは、たびたび凛にせがまれては、彼女の目の前で生歌を披露した。
その度に凛は目をつぶり、うっとりしたような表情でエリカが紡ぎ出す歌の世界に没入した。
ただ、ここまで入れ込んでいるのに、普通の友人なら言い出しそうな、アイドルのオーディションでも受けてみればとか、動画の再生回数をアップするため顔出ししてみればといったことは、凛は一切口にしない。
純粋にエリカの歌だけを楽しんでいるのだ。
むしろ凛は、エリカの動画の再生回数が少ないことを喜んでいるかのような節もあった。
以前、凛は口にしたことがある。
「エリカの歌は私だけのものだよ」
告白めいたその言葉に、エリカは何も返せず顔を赤らめるだけだったのを覚えている。
そのうちに、エリカは自分で作詞作曲を行い、凛の前でその歌を披露するようになった。
それは、本当にただ凛のためだけに作った曲で、動画サイトにも投稿せず、凛の前でだけ歌うのである。
他のクラスメイトが皆帰った後のひっそりとした夕暮れの教室の中で、エリカが初めてその自作の歌を歌い終えた時、凛はまるで当たり前のようにエリカを抱き寄せると口づけをした。
そんな風に、二人だけの小さな世界を作り上げる高校生活を過ごしながら、エリカと凛が高三になった時の事である。
夏休み明けから、凛が学校に来なくなってしまったのだ。
時々、不意に欠席することの多かった凛のことだから、夏休み明けで登校するのに気が乗らないのだろうぐらいにエリカは考えていた。
だが、二日経っても、三日経っても、凛は登校してこない。
1週間たっても学校に来ない凛に、エリカがさすがに心配になってきたところに、担任の教諭から凛が入院しているという事が知らされた。
病名ははっきりしないのだが、凛はかなり大きな病院で精密検査を受けているのだという。
エリカは、担任の教諭にその病院名を教えて欲しいと頼んだのだが、担任ですら凛の入院先を知らないのだ。
夏休み明けからこっち凛の携帯も通じないので、エリカは途方にくれるばかりである。
思い切って凛の家を訪ねてみようと思って、エリカは、はたと気がついた。
(そういえば、私、凛の家に一度も行った事がない。)
凛がエリカの家を訪れたことはあっても、逆は今まで無いのだ。
そういえば、これまで凛の口から家族の話を一度も聞いた事が無かった。
(私、凛のこと何も知らないんだ。)
エリカは、凛が自分の歌を喜んでくれることだけに夢中で、凛自身のことについては、何も知ろうとしなかった事を改めて思い知らされた。
エリカは凛に会うことも叶わぬまま、悶々として思い悩むだけの日々が過ぎていった。
ところが、凛が入院して1ヶ月ほどたったある休日のこと、エリカの自宅に突如スーツ姿の一人の男性が訪れたのである。
「塩見エリカさんですね」
「えっ、そ、そうですけど……あの、私に何の用ですか?」
「久野原凛さんのことでお話をうかがいたくて参りました」
「えっ、凛の! 凛は今どこに入院してるんですか?」
男は、凛が入院している病院の関係者だと名乗り、名刺を渡した。
「久野原さんの病状に関することで、塩見さんにも少しお聞きしたい事があるのです。ご同行頂けますか?」
エリカは母親に許可をもらって、男に同行することにした。
凛の入院先は、都内の有名な大学病院だった。
この辺りの人間であれば誰もが知っている病院なのに、入院先を今まで伏せていた理由が良くわからない。
病院に着いたエリカは、凛への面会の前にやって欲しい事があると言われ、上下白の病院着に着替えさせられ、様々な検査を受ける羽目になった。
エリカは、病気なのは凛の方で私じゃないでしょと何度も言い出しそうになるが、まるでいつもの定期健康診断ですとでもいう様に、淡々と検査が進められた。
その後、医師の問診と、エリカとの学校での関係などを聞かれて、ようやく凛との面会が叶った頃には、すでに夕方になっていた。
病室のベッドに起き上がっていた凛は、思いのほか血色もよく、見たところ元気そうに見えた。
病室にはスマホなどの携帯機器類は持ち込み禁止になっているようで、今まで凛に連絡が取れなかったわけがようやくわかった。
病気の事については、あまりあれこれ凛に聞かない様にと言い含められていたため、エリカと凛は当たり障りのない話だけに終始した。
「それじゃ、またお見舞いにくるね」
30分ほど二人で話し込んだ後、エリカが病室から立ち去ろうとすると、凛がエリカの腕をつかんだ。
「今度さ、お見舞いの品持ってきてよ」
「あっ、ごめんね。今日、色々慌ただしくってお見舞いの品準備できなくって」
「ううん、全然大丈夫。で、お見舞いの品だけど、エリカの歌が欲しい」
「私の歌?」
「そう、あのオリジナル曲」
「わかった、今度まとめとくよ」
次に凛と面会できたのは、その1ヶ月後だった。
ちなみに凛との面会は自由にできるわけではなく、病院側から指定された日にちに限られていた。
エリカは、これまで作ってきた全てのオリジナル曲をCDにコピーし、プレイヤーごと凛に手渡した。
CDを受け取った凛は、本当に嬉しそうで、エリカは自然と自分の頬も緩んでしまう。
「ここって、スマホもパソコンも持ち込めないしさ、これからこの歌をずっと聞いて過ごすよ」
「ずっとって、そんな大袈裟な」
だが、その凛の言葉は大袈裟でもなんでもなかった事をエリカは後から知ることになった。
卒業式の後に見舞いに行ったのが、エリカが凛と会った最後になったのだ。
凛は帰らぬ人となったのである。
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