第25話 憑依

 ナギが病室に入ってきた時、ユイは起き上がって窓の外を見ていた。


「ユイ! いつ意識戻ったの!?」


 驚いて呼びかけるナギの声にゆっくりと振り向いたユイの顔には、表情というものが無かった。


「七頭ナギ。あなたは、七頭ナギだな」

「そ、そうだけど、ユイ、どうしちゃったの? まさか、私のこと忘れたわけじゃ無いよね」


 その言葉に、ユイは頭を振る。


「覚えている。正確に言えば、脳の記憶領域をサーチして、荒屋敷ユイの中に、七頭ナギという存在の記憶を確認した」

「ユイ、一体何を言ってるの?」

「私は今、荒屋敷ユイの意識領域を『間借り』して言葉を発しているのだ。その間、荒屋敷ユイの意識を一時的に活動休止状態にさせている」

「あなた一体誰?」


 話しているのは確かにユイではなのだが、ナギの目の前で言葉を発しているのは、何か得体の知れない存在であった。


「私に名前は無い。強いて言うなら『るモノ』とでも言おうか……」

「何それ!? あなた何者なの? 知らぬ間にユイの意識を乗っ取ったってわけ? だったら、今すぐユイの意識を返して!」

「荒屋敷ユイの意識を乗っ取ったわけではない。私は、あの舞を通じてユイの意識の最深部に顕現したのだ。それはもう、ユイの一部と言って良い。正確に言えば、元々ユイが持っていたモノの中に私の方が取り込まれたと言ったほうが良いだろう」


 ナギは、白洲煕生、伊月リコとのセッションの最中に、自分のチューニングを無視して聞こえてきた音色のことを思い出した。


「あなたもしかして、あの時の音色の主?」

「私は、荒屋敷ユイの肉体が持っていた、生命の根源ともいうべき波長に同調し、その存在を意識領域に固定化したのだ」

「このままユイの身体をあなたのものにしちゃう気?」

「既に私とユイは不可分の存在。心配無い。この後、以前までのユイとしての意識は復活する」


 その言葉の後、急にユイの「身体」はベッドに倒れ込んだ。


「ユイ!」


 ほどなくして目を覚ましたユイは、心配そうな顔で覗き込むナギを不思議そうに見つめている。


「ああ、ユイだ! 本当のユイが戻ってきた!」


 ナギは今にも泣き出しそうな顔でユイに抱きついた。



 カリンは裸足のまま濃い霧に覆われた荒野を歩いていた。

 自分の周りには、ジイも教主様もあれほどいた信徒たちの姿も誰一人見当たらない。

 それだけでは無い。自分の目の前にいたはずの「あの人」の姿もどこにも見当たらないのだ。

 荒野に一人取り残されたカリンは、途方に暮れる。

 しばらくカリンが霧の中を手探りで進んでいくと、突如目の前に、黒々とした巨大な『穴』が出現した。

 『穴』の直径はざっと十数メートルはあろうか。

 カリンが恐る恐る『穴』の中を覗き込むと、風切り音と共に、中から外に向かって風が吹き上がってくる。

 『穴』は底が全く見えず、どこまでも深い闇が続いていた。

 その目眩を起こしそうになる感覚に、カリンが一歩後退りした時である。

 誰かがカリンの背中を思い切り押したのだ。

 カリンは悲鳴を上げる間も無いまま、闇の中へと吸い込まれて行った。



 真珠杯のフィナーレを飾る後夜祭、しかもその最後のパフォーマンスの最中に、橘エチカは観客の目の前から忽然と姿を消した。

 真珠杯優勝者の突然の失踪という前代未聞の事態は、当然大騒ぎとなった。

 大スターの失踪に、UNポリスは総動員体制を敷いて、旧東京中をそれこそ汚染区域も含めてくまなく捜索したのだが、エチカの手がかりすらつかめなかった。

 身代金を目的に、エチカはマフィアに拉致されたのではとの噂も立ったが、マフィア側も身の覚えの無い噂を打ち消そうとしてか、UNポリスに全面協力を申し出る事態となった。

 しまいには、彼女のパートナーでありチューナーでもある新山秀にまで疑いの目が向けられた。

 彼がエチカを密かに監禁しているのではというのである。

 もちろん、それも根も葉もない噂に過ぎなかった。

 その後も、誰一人エチカの姿を目撃した者は現れず、ただ時間だけが過ぎ去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る