第22話 放たれる音色

 橘エチカは待っていた。

 旧東京中を光輝かせ、群衆を熱狂させる舞を踊りながら、ただその音だけを待っていた。

 突如、エチカの身体の芯に稲妻のような音の矢が突き刺さった。

 その衝撃に、エチカは一瞬、クリーンヒットをもらったボクサーのように頭がクラクラする。


(これよ! この不躾で野蛮な音を聴くためだけに、私は退屈な真珠杯に出場したのよ!)


 エチカは、舞台上で激しく舞いながら、思わず笑みを浮かべた。

 エチカの操るアバターの1体から応答が無い。

 当然、新山秀は気づいているはずなのだが、インカムを通してそれを知らせてくる気配はなかった。


(やりたいようにやれってことね)


 エチカはそう解釈する。

 失われたアバターからは、代わりに渦巻くような大きな音の塊が生み出され、幾重にも連なる大波となって周囲を飲み込み始めていた。

 エチカは、その巨大な音の波濤を真正面から受けとめて、熟練のサーファーのように自在に乗りこなす。



「なんか、音が変わってない? うまく言えないんだけど、よりダイナミックになったって言うか」


 エチカのパフォーマンスを見ていた伊月リコが、隣の白洲煕生にそう声をかける。


「ああ、なんかこれまでのエチカの音じゃないみたいだな。まるで……」

「私らとセッションしてた時のユイちゃんの音みたいだよね、これ」



 ユイは、エチカが自分の音をなんの障壁も作らないまま、ストレートに受け止めてくれたのを感じていた。


(エチカ、これは、あなたへの挨拶。これから私と一緒に新しい音を作り上げようよ!)


 目の前のエチカのアバターが、いつの間にか生身のユイに挿し替わったことに驚く観客の姿を見ながら、ユイは自然と笑みがこぼれた。

 ユイは、自分の身体でエチカの音を、その息吹を、その鼓動を、くっきりと感じていた。

 身体の隅々にまで響き渡り染み通っていくエチカの音色に、ユイは新たなメロディとリズムを吹き込んで送り返す。

 そうすると、エチカがまたそこに新たなメロディとリズムを載せてユイに送り返してくるのだ。

 そんな事を繰り返しているうちに、エチカのアバターはナギの手によって次々とユイの身体の中へ統合されていき、いつしかユイとエチカの1対1のセッションになっていた。

 ユイは、自分の目の前にエチカの存在を感じながら、渦巻くような華麗な音の流れに身を委ねる。


(ユイ、私の中にきて……)


 エチカの紡ぎ出す音を全身に浴びながら、ユイは、はっきりとそう呼びかける「声」を聞いた。

 その「声」に応じるまま、ユイはその鍛えに鍛え抜かれた全身の筋肉に、限界を超越した凄まじい力を漲らせて緊張させると、獲物を狙う野生の女豹さながらの激しい舞いを披露する。

 ユイの筋肉という筋肉は、筋線維を軋ませながら極限まで隆起し、そこから生み出された超高速の弾丸のごとき音のうねりが、何度も何度もエチカの身体の奥底に叩きつけられた。



 恐ろしいまでに力強い音の波動が、エチカのエージェントたるアバターたちを介して、自分の身体の中に次々と叩き込まれてくる。

 そのたびに、エチカはまるで苦痛に身悶えるような様を見せた。

 だが、それはエチカにとって決して不快な感触では無かった。

 それどころか、身体中の細胞一つ一つが歓喜に沸きかえり、悦びに満ちた音色を響かせてくるのだ。

 ユイの身体からもたらされる強烈な音の弾丸をその身に浴びながら、エチカは身体中でユイの存在を丸ごと感じ取っていた。

 やがて、エチカの身体の奥底から、眩く輝く光の玉が迫り上がってくる。

 光の玉は、ユイから放たれた無数の音の矢を受けながら、周りの全てを呑み込んで膨張していく。


(あなたの全てを私の中に注ぎ込んで!)


 エチカのその言葉が届いたのか、激しく舞い踊るユイの筋肉が極限まで硬く引き締まり、ハイレグのレオタードを引き裂かんばかりに異様なほど怒張する。

 ユイの並外れて強靭な筋肉から生み出される怒涛のような音の波濤が、ユイの中に取り込まれたエチカのアバターを通して、旧東京の街中に美しく野蛮な野獣の咆哮を響かせる。


(そうよユイっ! きてっ! あなたの中から生み出されるモノを全て私の中に受け入れてあげるっ!)


 光の玉ははさらに光度と大きさを増し、いつしかエチカの身体全体を飲み込んでいた。

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