第18話 真珠杯

 今年の真珠杯は異例づくめであった。

 旧東京での初開催なのはもちろんの事、開催地の突然の変更、そして予定されていた復興記念スタジアムではなく、旧東京各所のストリート上での開催。

 今年の真珠杯は、元々ストリートパフォーマンスから発展したフィジカル・ミュージックが、原点回帰したという触れ込みだった。

 前夜祭も含め、4日間で旧東京の『国外』から、およそ1万5千人の観客が集まった。

 これでも例年に比べて大分少ない観客数なのだが、第二次カタストロフ以降、『壁』の外側から観客を迎えての大規模なイベントがほとんど行われていなかった旧東京は、久しぶりの賑わいを見せていた。


「しかし、思ったより警備が厳重だね。ストリート開催って言うから、もっとフリーダムなのかと思ってた」


 旧東京ではもはや珍しくなってしまった人混みの中でナギがつぶやく。

 真珠杯がストリートで開催されるといっても、街の一部区画を区切っての開催で、大量の警部員が貼りつく規制線の内側に入るには、チケットの提示が必要である。

 天堂仁と三日月ミチルが方々を駆け回ってくれたおかげで、ユイもナギもなんとか真珠杯のチケットを手に入れることが出来ていた。

 初日の今日は1回戦で、シード権のあるエチカたちを除き、計14組のパフォーマンスが披露されている。

 本戦に出場するユニットは、確かにどこもパフォーマンスのレベルが高い。

 だが、ユイとナギの琴線に触れるようなパフォーマンスを繰り出すユニットは中々現れなかった。


 そんな中、観客の歓声と笑い声に惹かれて、ユイとナギはあるユニットのパフォーマンスに足を止めた。

 観客を沸かせていたのは、筋骨隆々で禿頭の大柄な男性パフォーマーと、アフロヘアの女性チューナーのユニットである。

 男性の踊りは力強くダイナミックなもので、その跳躍はユイにも勝るとも劣らぬ高さである。

 だがその力強い踊りが奏でていたのは、男性の筋骨隆々の外見からは想像もできないような、なんとも繊細で可愛らしい音色なのだ。

 そのチグハグさに、観客から思わず笑いが漏れる。

 しかし、パフォーマンスが進むにつれ、その可愛らしい音色が強烈なビートを刻みだし始めたのだ。

 観客たちは、そのビートがいつの間にか自分の心臓の鼓動と正確に同期していることに気づいて驚く。

 より正確に言えば、観客たちの心臓の鼓動の方が、男性の生み出すビートに同期し始めていると言った方が正しいかも知れない。

 やがて観客たちは、男の生み出すビートに操られるがまま、まるでジェットコースターに乗っているような激しいアップダウンの感覚を味わう。

 最初は、ただのキワモノ扱いしていた観客たちも、文字通り自分の心臓を鷲掴みにされる様なこのユニットのパフォーマンスに、次第に引き込まれていった。


「このユニットって面白いでしょ。ちょっとあなた達のパフォーマンスに似てるとこがあるかもね」


 いつの間にか、ユイとナギの隣に立っていた三日月ミチルがそんな事を言う。


「動画だけだとわかんないですね、この感覚は」


 あらためて納得したと言うようにナギが答えた。


「パフォーマーと観客がその空間を共有することで、はじめて成立するとこがあるのよね、フィジカルミュージックって」


 男性のパフォーマンスが終わり、ストリートには割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。

 アンコールを求める声が、その場から立ち去ろうとするユイとナギの背後から聞こえてくる。


「そうだな、次はあそこにいる彼女らと演りたい。おーい、そこの二人、ちょっと待ってくれ! 俺らとセッションやろうぜ!」


 男性に呼びかけられたユイとナギに、観客が一斉に振り返る。


「あれ、荒屋敷ユイと七頭ナギじゃねーか? 一般推薦枠で3位に入った」

「確かにそうだ!」


 すでにその世界では有名人になりつつあったユイとナギに気づいた観客達が騒ぎ出す。


「どうするナギ?」

「行こうよ。なんか面白そうじゃん」


 ユイとナギは顔を見合わせると、そのままUターンして、先ほどまでパフォーマンスをやっていた男性の元に進む。

 男性は、厳つい顔に精一杯の笑顔を作り、ユイとナギの手をその大きく無骨な手でしっかりと握った。


「無理言ってすまんな。一度、アンタらのパフォーマンスを生で見たくてな。俺は、白洲しらす熙生ひろお、中部地区の代表だ」

「私は、チューナーの伊月いづきリコ。動画見たわよ。凄かった。あなた達が真珠杯に出場できないのは、この大会最大の失点だったと思ってる」


「あ、ありがとうございます!」


 思わぬエールにユイもナギも恐縮しきりである。


「そんでさ、私らがあなたたちのパフォーマンスに合わせてセッションするってのはどう?」


 伊月リコがそんな提案をする。


「えっ、でも伊月さんたちへのアンコールなのに……」

「何言ってんの。みんなも、この子らのパフォーマンス見たいよね!」


 伊月の呼びかけに、観客から一斉に(おう!)という同意の声が上がる。


「ほらほら、みんな見たがってるじゃん。やろうよ! 私らも精一杯盛り上げるからさ!」


 ノリノリの伊月リコに、ユイもナギも苦笑するが、悪い気はしない。


「ユイ、じゃアレやろうか」

「うん」


 ユイとナギが披露しようとしているのは、元々この真珠杯に向けてミチルと共に試行錯誤しながら作り上げてきたパフォーマンスである。

 せっかく作り上げてきたそのパフォーマンスを披露する機会を失っていたユイとナギにとって、白洲煕生と伊月リコの提案は、思ってもみないチャンスであった。


 ナギはヘッドホンを被ると、チューニング作業を行いながら、さっそく伊月とその場で打ち合わせを始めた。


「俺は、アンタの繰り出すパフォーマンスに一度身を委ねてみたかったんだ。それがどんな感じなのか、今からワクワクしてる。動画だけじゃ、その辺の感覚がわかんないからな」


 そんなことを言う白洲は、ユイたちとのセッションができることが本当に嬉しそうである。

 先ほどのパフォーマンスを見ていてもそうだったのだが、このユニットからは、フィジカルミュージックというものを全身で楽しんでいる感覚が伝わってきて、ユイは好感を覚えた。

 エチカに少しでも近づき、そのパフォーマンスを超えるようなものを作り上げることばかり意識してきたユイにとっては、新鮮な感覚である。


(そういえば私、これまでパフォーマンス自体を楽しむって事をしてなかったかもな……)


 そもそもフィジカルミュージックは、ストリートチルドレンだった自分が、この旧東京で生き残っていくために始めたようなものである。

 そんなわけで、フィジカルミュージックに対して、ユイは最初から「楽しむ」などという感覚を持ち合わせていなかったのだ。


「ユイ。気負わずに自分のやりたいようにやってみようよ。そうしたら、きっと観客もノってくれるよ」


 ユイの思いを見透かしたように、ナギが言葉をかける。


「うん、今の方が変に肩の力が抜けてる分、良いパフォーマンスを披露できそう」


 観客の中には、ミチルの姿もあった。

 ミチルは、ユイとナギに微笑みかけると、二人に向けてビシッと親指を立てて見せる。


「じゃ、いってみようか」


 伊月リコがユイとナギに声をかける。

 うなずいたナギの合図とともに、ユイの右足が、ゆっくりと天に向けて持ち上がった。

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