第17話 神の都

 墓標のような廃ビル群に取り囲まれた円形の広場に、薄汚れた衣服をまとった人々があちこちから集まり始めていた。 

 群衆には、男も女も、年寄りも若者も子供もいるが、皆一様に髪は乱れ、衣服はボロボロで、中には裸足の者もいる。

 広場が群衆で埋め尽くされた頃には、すでに夕暮れに差し掛かり、周囲には篝火が灯された。

 しばらくして、広場に集う人垣が左右に割れ、その中を白袴姿の一人の男が広場中央の演台に向かって進んでくる。

 目や口の周りをおどろおどろしい文様で縁取られた奇怪な仮面を被ったその男は、演台に上がると、広場に集まった群衆に向けて、大きく手を広げた。


「皆の者、復活祭の日が決まった!」


 『復活祭』、男の口から出たその言葉を聞いて、広場からどよめきが上がる。


「裏が表に、夜が昼に、漆黒の闇がまばゆい光へと反転する日が来たのだ! この記念すべき日に、我らは常世とこよの神に演舞を捧げる」

「常世神様へ演舞を奉納する選ばれし神子みこよ、ここへ」


 ジイに促され、カリンがその場に立ち上がった。

 群衆の視線を一身に浴びながら、カリンは仮面の男の元へと進み出る。

 カリンを見守るジイは、頬を紅潮させ誇らしげな様子である。

 カリンは、膝下あたりまで覆われた純白の貫頭衣姿で、顔面には朱色の文様を塗られ、頭には勾玉のような髪飾りをつけていた。

 カリンが演台まで上がってくると、男はその肩を掴み、彼女とともに群衆に向かって高らかに宣言する。


「復活祭の日、『彼の地』にてこの神子が演舞を奉納する。皆『彼の地』に集い、共に祈りを捧げよ! そして、常世の神を奉じる『彼の地』こそが、新生日本の『神都』である事を全世界に向けて宣言するのだ!」


 篝火に赤々と照らされた広場に群衆の歓喜の声が響き渡った。



 リンデル国連高等弁務官は頭を悩ませていた。

 それは、このところ旧東京内で急速に勢力を拡大している新興宗教団体、真明智会しんめいちかいについてである。

 真明智会は、数千人に達しようかという信徒を引き連れ、あろうことか旧東京のおよそ3分の1を占める汚染区域に無断で侵入して、そこを活動拠点としていた。

 第二次カタストロフによって、様々な生物、化学的な汚染が広範囲に及んでいるとされるこの立ち入り禁止地域は、国連軍やUNポリスですら足を踏み入れるのを躊躇う場所である。

 それをいい事に、真明智会は汚染区域の中に国連の統治から離れた独自のコミューンを作り、勝手に独立を宣言しているのだ。

 それだけならまだ良い。

 問題は、彼らがコミューン内の聖地としている場所にある。

 彼らが聖地とみなしているその場所こそ、旧東京に第二次カタストロフをもたらしたグラウンド・ゼロなのである。

 本来は国連によって厳重封鎖されているはずのその場所は、事実上真明智会に占拠されたも同然の状態になっているのだ。

 安全保障理事会を構成する一部常任理事国からは、国連軍を投入してでも彼らを排除すべきとの強硬意見も出ていた。彼らがそこに居座ることが、今後の『安全保障上の脅威』になりかねないとの懸念からである。


 リンデルの元には、そんないわくつきの場所で、近々真明智会が何らかの儀式を行うのではという情報がもたらされていた。さらに厄介なのは、その儀式が行われるという日が、ちょうど旧東京で初開催されるフィジカルミュージックの全国大会、通称真珠杯の日程と重なってしまう事だ。

 いまだに治安の不安があり汚染区域も広がる旧東京では、こういった外部から多くの人々が流入する大規模イベントの開催は原則禁止になっている。

 だがつい先日、某所からの強い要望があるとして、日本政府経由で旧東京での真珠杯開催が打診されてきたのである。ニューヨークの国連信託統治理事会は、この要望をリンデルの頭越しに何の協議も無いまま受け入れ、決定事項として一方的に通告してきた。しかも元々決まっていた開催予定地を変更してまでである。

 おかげで、現場を預かるリンデルは、急遽警備と治安維持に、大幅な予算と人員を割かなければならなくなった。


(まったく、ニューヨークの連中は金も人も寄越さぬくせに、こういう余計な事ばかりは押し付けてくる。)


 リンデルは執務室の机を苛立たしげに指で叩きながら、心の中で毒づく。


(旧東京の治安回復にも一応の目処が立ち、あと1年で退官というころなのだぞ。なぜこのタイミングで、どいつもこいつも厄介事を持ち込んでくるのだ!)


 そんなリンデルの思考を中断するように、秘書官から内線で連絡が入った。


「リンデル弁務官、ヴァーサルグループのソーカーCOOが面会を求めておられます」

「ミスター・ソーカーが?」

「はい、至急の要件とのことです」

「わかった、お通ししてくれ」


 観光事業からエンターテイメント事業まで幅広く手がける多国籍企業ヴァーサルグループは、真珠杯の大口スポンサーであり、以前からこの旧東京信託統治領に莫大な資金援助を行なってきた企業の一つである。

 ヴァーサルグループが巨額の資金援助を行う背景には、旧東京の治安が完全に回復したあかつきに、域内に巨大なカジノとリゾート複合施設を建設する目的があるのはないかと噂されてた。

 そのヴァーサルグループの若きCOO兼極東支社長が、アゼル・ソーカーである。

 リンデルは、真珠杯の旧東京開催の件も、このソーカーが裏で動いたのに違いないと考えていた。

 大方、残り少ない任期中に揉め事を起こしたく無いリンデルと交渉するよりは、ニューヨークの理事会に直接掛け合った方が話が早いと思ったのであろう。


(あの若造が余計な事を……)


 苦々しく思うリンデルであったが、少ない予算に苦しむこの信託統治領にとっては重要なスポンサーである。ソーカーの面会依頼をむげに断ることはできない。

 リンデルは不機嫌な顔のまま立ち上がると、ソーカーの元へと向かった。



「しかし、それは警備や治安の面でリスクがあり過ぎます。正直申しますと、私は、真珠杯のような大規模イベントの開催自体も、現時点では時期尚早だと考えているのですよ」


 爽やかな笑顔と共にソーカーの出してきた無茶な提案に、リンデルは難色を示していた。

 ソーカーは真珠杯の開催場所を当初予定されていた復興記念スタジアムでは無く、旧東京のストリート上での分散開催にしたいと持ちかけてきたのである。


「国連側で足りぬ警備要員は我が社で手配しますよ。旧東京へ『入国』する観客の数も身分照会を義務付けた上で、これまでより人数を制限するつもりです。それに開催場所も、そちらの警備が届く範囲内に限定する予定ですよ」


 若きCOOは、穏やかな口調でリンデルに語りかける。

 だがその目つきは鋭く、相対すると、自分の内面まで見透かされてしまいそうな感覚をリンデルは覚えた。


「その、そちらが入念な準備をされている事はわかります。ですが、何分街中での開催となると、色々と想定外の事態も懸念されますし……それにご承知の通り、この街はいまだにマフィアが隠然とした力を持っています。一般観客の身の安全を考えますと、今回のご提案はとても……」

「このイベントを成功させる事で、あなたは花道を飾れるというのに残念です。退官された後は、弊社の重役ポストもご用意する予定でしたのに」

「お気持ちは嬉しいですが……」


(お飾り重役を餌とは軽く見られたもんだな。)


 リンデルは内心で毒づく。


「あなたをヴァーサルグループのCEOにぜひお迎えしたかったのですがね」


 そう言って、ソーカーは笑みを浮かべて見せた。

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