第14話 回帰する音

「あそこから移りたいのかい?」

「ああ、結構派手に動いちまったからな。マフィアの連中が嗅ぎつける前に移りたい」

「この辺りとかどうだい。13街区の中でも、汚染地区ギリギリで人がほとんど近づかないとこだ。マフィアもここいらで麻薬や武器の取引はあんまやんねえしな」


 不動産業者兼、レンタル業者兼、リサイクル業者兼、修理業者兼……、要は何でも屋の浮越うきこしりょうは、ディスプレイ上の地図を指し示しながら天堂仁に答えた。


「ふーん、まあ良さそうだな。ついでに広めの倉庫とかも近場に借りれるかい」

「ああ、探しとくよ」


 天堂仁のような訳ありの人間や、スネに傷持つ旧東京の人間たちにとって、違法スレスレ(とは浮越の談だが)の仕事や仲介を引き受ける、浮越のような何でも屋は重宝する存在であった。

 おまけに浮越は、かつて天堂仁から多額の借金をしていた。

 今はろくな仕事も無い天堂仁が、何かと浮越から便宜を受けられるのは、かつての借金とのバーターなのだ。

 ユイとナギを『セブンス・トーキョー』から脱出させた時の車も、実は浮越からレンタルしたものであった。



「仁さん、ここから移るの?」

「おう、スタジオもここより広くなるぜ。さあ、これから引越しの準備だ。」

「えっ! もう!?」


 急に引越し準備を急かす天堂仁に、ナギは驚く。


「そういや、ユイはどこ行った?」

「なんか、さっきふらっとスタジオの外に…… 第9街区でのストリートライブからこっち、ユイの様子、少し変なんだよね」

「大丈夫か、あいつは……」



「ユイ、こんなとこいたの。仁さんが呼んでたよ。あそこから引っ越しするんだって」


 声をかけるナギに返事もせぬまま、ユイは、そこら中に廃材や粗大ゴミが散らばる河川敷に立ったまま『壁』の方を眺めていた。


「ナギ……」

「ん?」

「今、私らのやってるのって『音楽』なのかな?」

「フィジカルミュージックって言うぐらいだから、音楽でしょ」

「いや、そう言うことじゃなくて……」

「まあ、ユイがそう思っちゃうのも仕方ないよ。なんだか見せ物じみてるもんね、このところのパフォーマンス」

「でも、一般推薦枠を勝ち取るにはあれぐらいのインパクトが必要だよ。現に、こないだのストリートでのライブ動画も滅茶苦茶バズってる。つい最近のネットの予想じゃ、真珠杯の推薦枠に選ばれる可能性があるユニットの第1位になってたしね。これまで私たち無名同然だったのに快挙だよ」


 ナギの説明を聞いて頷くわけでもなく、ユイはそれきり押し黙る。

 二人はそのまま、無言で『壁』の向こうに沈みゆく夕陽を眺めていた。


「ユイ……あなたの奏でる音、私には確かに届いてるから」


 隣でナギがポツリと漏らした言葉を聞いて、ユイは微かに微笑んだ。



「おおっ、前のとこの少なくとも4倍以上の広さはあるね。ユイの身体能力だったら、これでも狭いぐらいだけど、でも前とは比較になんない」


 新しいスタジオとなる倉庫を見て、ナギは大はしゃぎである。


「今度は、寝室つきの部屋も用意したぜ。今までみたいにスタジオの中で雑魚寝はしなくて良くなる」

「それは嬉しいなあ、でも、ここお高いんでしょ?」

「そうでも無いぜ。場所が場所だからな」


 天堂仁は窓の外を顎で指す。

 新しいスタジオ兼住居から数十メートルも離れていない先には、有刺鉄線が張り巡らされた廃墟が広がっていて、そこら中にハザードシンボルとともに「KEEP OUT」と書かれた薄汚れた看板が掲げられている。

 それは、その場所が第二次カタストロフによる汚染区域であることを物語っていた。


「まあ、こんな場所だが、かえって余計な雑音が入らずに集中できる」


「とりあえずこれまでのゲリラ的なライブで、世間に十分なインパクトは与えられた。だが、ああいったパフォーマンスだけじゃ、真珠杯に出られたとしても勝ち進めねえ」

「まあ、あれって飛び道具みたいなもんだしね」

「でだ、今後はあのパフォーマンスをもっとまともな『音楽』にする必要がある」


 天堂仁の言葉を聞いて、ナギはチラリとユイの表情を窺う。


「『音楽』って言っても前にも言った通り、その辺にごまんと転がってるような、ありきたりな音色を響かせるだけのもんじゃ無いぜ。その辺は二人とも理解してるよな」

「わかっちゃいるけどね……」

「ナギ、お前はチューニングの腕はプロ顔負けだ。なんせ、ユイみたいな暴れ馬を御してるんだからな」


 天堂仁に暴れ馬扱いされたユイは複雑な表情である。


「だが、決定的に欠けてるもんがある」

「わかってるわよ。音楽的なセンスというか素養が足りてないってことでしょ」

「それにユイ、お前も自分の身体の御し方をもう少し覚えろ。今はナギがなんとか音にしてるが、ナギの腕がなきゃ、脳髄をかき回すだけのただのノイズになってるとこだ」

「でも、これからその辺りを修正するにしても、真珠杯まであんま時間がないけど……」

「ああ、だから今後お前ら二人にコーチをつける」

「コーチ!?」



 翌日ユイとナギの目の前に、一人の女性が現れた。


「荒屋敷ユイさんに、七頭ナギさんだっけ?」

「私、三日月みかづきミチル。仁から聞いてると思うけど、あなた達のコーチ頼まれたの。これからよろしくね」


 三日月ミチルと名乗ったその女性は、年齢20代後半ぐらいであろうか、目鼻立ちのはっきりとした美女で、スリムな長身をTシャツにスキニーパンツというラフな格好で包んでいる。


「そんで、さっそくだけど、あなた達のパフォーマンス、見せてくんない?」


 ユイとナギは、真珠杯に向けて調整している最中の新しいパフォーマンスをミチルの前で披露することにした。

 ミチルの前で披露したユイの舞は、これまでのパフォーマンスよりもはるかに洗練されたものになっているのだが、フィジカルミュージックで披露されるダンスとしては、やはりあまりにも異質なものだった。その異様な舞から奏でられる音色は、良く言えば野性的、悪く言えば神経を切り裂いてしまいそうな野蛮で暴力的な響きである。そこは以前からのパフォーマンスとあまり変わっていない。


「んー、そういうことかあ。こりゃ、ちょっと大変かも……」


 ミチルは、スタジオの床の上にあぐらをかいたまま、手のひらに顎をのせて考え込む。


「あの、三日月さん……」

「ん? ミチルでいいわよん」

「あの、ミチル……さん、仁さんからどこまで私らのこと聞いてるんです?」


 ナギが恐る恐る尋ねる。


「仁から聞く前に、ネットであなた達のパフォーマンス見てたけどね。評判になってたから」

「その後、仁から連絡あって、あなた達のプロフィールは一通り聞いたわ。あなた達『セブンス・トーキョー』の専属パフォーマーだったんだって? 私も仁がいた頃、あそこの専属パフォーマーだったのよ」

「ちなみに仁からは、あなた達が『セブンス・トーキョー』でドラッグパフォーマンスをやらされてたって事も、一応聞いてるわよ」


「まあ、それはともかくとして。ねえ、さっきのパフォーマンスもう一度やってくれる?」


 その日はそれだけで終わってしまった。

 ミチルは、また明日来るからと言って、アドバイスらしいアドバイスも無しに、そのまま立ち去ってしまったのだ。


「どうだった? 今日のミチルとの初顔合わせは」


 天堂仁に聞かれるが、ナギは首を傾げる。


「どうって言われても、パフォーマンスを見せて終わりだよ。特になんのコーチも無し」

「ははっ、あいつらしいな。お前らのパフォーマンスを生で見て、何か考えるところがあったんだろ」

「あいつはな、ああ見えて一流のパフォーマー兼チューナーだったんだぜ。一人で二役を完璧にこなす稀有のパフォーマーだったんだ。今は、訳あってパフォーマーは引退してるがな。ただ時々、こうしてお前らのような若いパフォーマーのコーチをしてるんだ」



 翌日、再びスタジオに現れた三日月ミチルは、ナギを呼び出して何やら語りかけた。


「えっ! それやって大丈夫かなあ……」


 ナギの口から漏れ出た不穏なセリフを耳にして、少し離れた場所でトレーニングしていたユイは眉をひそめる。


「ユイ、ちょっとこっち来てもらえる?」

「どうしたの?」

「ユイ、ループバックって知ってる?」

「ループバック?」

「自分で生み出した音をまたそのまんま自分に返すってやつ。変換ユニットに、あらかじめそういう設定してやるの」

「何それ。そんなことやって、なんか意味あるの?」


 訝しげにナギに問いかけるユイに対して、ミチルが代わりに答える。


「ループバックで自分自身に音が戻ってきたら、それに対して何かアクションして欲しいの。なんでも良い。あなたの『身体』が感じるままにね」

「でも、音自体なら自分にも聞こえてますけど……」

「ユイ、ミチルさんが言ってんのはそういう事じゃ無いんだ。ユイの身体が生み出した音を、その元になってる電気信号を、そのまんま、ユイの頭と身体に『戻して』あげるの。ユイは、その戻ってきた音に反応してパフォーマンスを組み立てて欲しい」


「あなたたちには、自分の音と対話して欲しいの。あなたたちの音を観客の身体と心を揺り動かす『音楽』にするには、それが一番手っ取り早いって思ってね」


 そう言って、三日月ミチルはニッコリ微笑んだ。

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