第13話 人ならざる者

「私らのゲリラライブの動画、すごいことになってるよ!」

「あのライブの動画、日本だけじゃなく世界中に拡散して、滅茶苦茶バズってる」


 ナギが興奮気味にネットの情報を話す。

 だが、天堂仁は浮かぬ顔である。


「どうしたの? 仁さんの目論見通りっていうか、当初の想定以上の結果じゃん」

「そこなんだが、今回話題になってんのは、あの暴徒どもをユイがパフォーマンスの力で強引にねじ伏せたところであって、お前らのパフォーマンスの内容そのものがウケたわけじゃねえからな」

「でも、そういうとこも含めてのユイのパフォーマンスでしょ? ちゃんとした人が見れば判るよ、ユイのパフォーマンスの凄さが」

「確かにそうだが、世間は往々にして、パッと目を引く部分にしか興味を持たねえのよ。しかもそういうのは、飽きられるのも早い」

「仁さんは、ユイが一発屋みたいになるのを恐れてるってこと?」


 天堂仁はうなずく。


「あの動画の賞味期限が切れる前に、新しい手を打っとく必要がある。次の仕掛けが必要ってことよ。そいつを短期間に何発か繰り出して、お前らは、いやでも一般推薦枠にエントリーされるような、無視できない存在にならなきゃならねえ」


「ねえ仁さんナギ、私、路上ライブやりたい」


 二人の会話を聞きながら少し考え込んでいたユイが、そんなことを言い出す。


「やるのは良いが、ただ、路上ライブやるだけじゃ面白くねえな」

「仁さんは何かアイデアがあるの?」

「ユイ、お前のあの人間離れしたパフォーマンスから奏でられる音色は、本能剥き出しの暴徒のような連中にゃテキメンの効果があった。ならいっそのこと、人間であることなんざ忘れたパフォーマンスをやったら面白いかもしれん。理性とかは全部かなぐり捨ててな」

「はあ!? 仁さん、また何突然わけの分かんない事、言い出してんの?」


 ナギが呆れたように言う。


「オレはいたって真面目に考えてるんだがな」



 天堂仁とのそんな会話から数日の後、ユイとナギは、第9街区のストリートに立っていた。


「ユイとナギじゃねえか、あの動画見たぜ」


 第9街区のストリートに立つと、かつてのストリートチルドレンの仲間たちが次々と声をかけてくる。


「あれ、どんな手品使ったんだ? ユイの踊りで、暴れてた連中がみんな大人しくなっちまったろ」

「あの動画よりもっと凄いパフォーマンス、これからユイが披露するんで、どんなもんか自分の目で確かめてみてよ。面白いと思ったら、ネットに動画をバンバン流してもらっていいから」


 ナギは集まってきたかつての仲間たちに、そう言って親しげに声をかけて回る。

 一方のユイは、ロングコートのフードを目深に被り、表情を見せないまま誰とも喋ろうとしない。


「ユイ、どうしちまったんだ? なんか話しかけても返事がねえし、ちょっと様子が変だぞ」

「ああ、これからやるパフォーマンスって、精神集中が必要なの。今はできるだけそっとしといてあげて」


 終始無言のユイの様子を訝る仲間に対し、ナギがそれとなくフォローする。



 ユイは、ロングコートを羽織ったまま、大通りの喧騒から離れたビルの谷間にある、小さな広間の真ん中に立った。

 やがて、狭い広間の中は、巷で評判のユイのパフォーマンスを見ようと大勢の観客が詰めかけてきて、すし詰めの状態になる。

 あたりを見回し、十分すぎるぐらい集まった観客の姿を確認したところで、ナギはユイにGOサインを送った。

 ロングコートの前を少しはだけて引き締まった素足をのぞかせながら、ユイはゆっくりと踊り始めた。地面に滑らかに弧を描くその足先に靴は無く、裸足のままである。

 フードを脱いで現れたユイに頭には、まるで猫のような耳が付いていて、目にも猫のような縦長の瞳孔のコンタクトを入れている。

 付け爪なのであろうか、ユイの手先と足先も、これまた猫のような鋭い鉤爪が伸びていた。

 ユイはゆっくりと歩きながら、羽織っていたロングコートをばっと脱ぎ捨てると、観客に向かって放り投げた。

 コートの下から現れたのは、全体に豹柄の模様の入った、ノースリーブのハイレグレオタードである。レオタードは丁度お尻のところから長い尻尾が生えていて、どういう仕掛けになっているのかわからないが、ユイの動きに合わせて意志を持っているように動き回っている。

 さらにユイは、前腕と足首の周りにも、豹柄のアームウォーマーやレッグウォーマーのようなものを身につけていて、全身まるで女豹を思わせる格好をしている。


「何、あのユイの格好!? コスプレ?」


 異様なユイの格好を見てざわつく観客をよそに、ユイは指先と爪先だけを地面に付け、レオタードから丸出しの球面のようなお尻を上に大きく突き出した格好で、ほとんど地面すれすれに四つん這いになる。そんな格好のまま、ユイは鋭い牙のような犬歯を付けた歯を剥き出しにして、周囲の観客を恐ろしい形相で睨みつけながら、あたりを這い回り始めた。

 全身に負荷のかかる体勢のためか、ユイが地面すれすれを這い回るたびに、大きく開いたレオタードの背中部分には、鍛え抜かれた背筋の瘤が隆々と盛り上がる。

 まるで獲物を狙う猛獣のような姿勢で、ゆっくりとあたりを這い回るユイの身体から、やがて獣の唸り声を思わせるような重低音が響き始めた。

 その唸り声のような重低音は、ユイが這い回るに連れて、次第次第に大きな音のうねりとなって広間全体を包み込む。

 広間全体がユイの奏でる異様な音色で満たされた時、ユイは両脚を大きく広げ、さらに限界まで身を低く屈めて立ち止まる。

 次の瞬間、ユイの臀部から伸びる長い尻尾がピンと直立し、獣の咆哮を思わせる異様な音色が周囲に轟き渡った。

 同時に観客たちは、つい先ほどまで地面すれすれに這いつくばっていたはずのユイが、信じられないような高さに跳躍して、自分たち目がけて猛然と飛びかかってくるのを目にする。

 予想外のユイの行動に観客はパニックである。

 混乱がおさまった時、ユイは観客の中にいた一人の若い男性を地面に組み伏せていた。

 男性は身長180センチは優に超えているであろうか、ユイよりはるかに大柄でがっしりとした身体つきなのだが、まともに抵抗できぬまま、ユイの強靭な筋力で地面に貼り付けにされている。

 ユイは組み敷いた男性にそのまま覆いかぶさると、牙を剥き出しにしながらその首筋を甘噛みする。

 ユイの突然の行動に驚いた男性が、起き上がろうともがいた時には、すでにユイは周囲の観客のはるか頭上を飛び越え、先ほどの場所へ再び四つん這いの状態になって着地していた。

 獰猛で俊敏なネコ科の肉食獣を思わせる、このユイのパフォーマンスに、観客は大いに盛り上がる。

 だが、これはプロローグであった。

 ユイは四つん這いの体勢から再び大きく跳躍して、今度は背後のビルの壁面に取り付く。

 そして、隣り合うビルの外壁も利用しながら、なんと一気に5階建のビルの屋上にまで駆け登って見せたのだ。

 信じられないようなユイの身体能力に、観客からどよめきが上がる。

 ユイは駆け上ったビルの屋上に仁王立ちになると、鍛え抜かれた全身の筋肉を極限まで収縮させ、その恐ろしいほど筋肉質の肉体から凄まじい獣の咆哮を街中に響かせた。


『野生の咆哮』


 後にナギがそう名付けた、今まで誰も目にしたことのない様なパフォーマンスが開始された。

 ユイはひしめき合う雑居ビルの屋上から屋上へ、また壁面から壁面へと、凄まじい速度で飛び移りながら、集まった人々の頭上に、音楽と言うにはあまりに異様な、獣の遠吠えのような音色を響かせる。

 その遠吠えは、ビル群の外壁やガラス窓に反響し共鳴しながら町全体を覆っていく。

 それは、無法な人間たちの住う旧東京の中にあって、そんな無法者たちすら鋭い爪と牙でズタズタに引き裂いてしまいそうな、本能剥き出しの野蛮な音色である。

 洗練というものとはかけ離れた、獰猛な音の響きは、次第に重なり合い大きな波となって、遥か彼方まで野生の咆哮を響かせる。

 やがて陽が落ち、満月の輝く夜空に、狂ったように舞い飛ぶユイのシルエットが浮かび上がった。

 街中にあって、ユイの周りだけは人を寄せ付けぬ深夜のジャングルの音色で満ち溢れている。

 そんなユイのパフォーマンスを呆然と見上げる観客たちの足元をすり抜け、小さな黒い影が広間に集まり始めていた。

 それは、街中に住う野良猫たちである。

 その数、数十匹前後であろうか、唖然とする観客たちを尻目に、広間に集った野良猫たちは、ユイの舞う夜空に向けて一斉に鳴き声を上げ始めた。

 すると、それに呼応するように、ユイがさらにビル群の間を大きく跳躍し、旧東京中に響き渡らんとするかのような、凄まじい野生の咆哮を幾重にも轟かせた。

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