第12話 ゲリラライブ
慰問ライブの開かれる第3街区の野外ステージは、かつて日比谷野外音楽堂と呼ばれた場所である。
ライブのトリをエチカが務めるとあってか、野外ステージには会場の外にまで大勢の観客がつめかけていた。
ステージの周りには、配信用のカメラが何台も設置されていて、ライブへの関心の高さを物語っている。
ユイとナギは、横浜のライブの時とは異なり、今回は前方の観客席に陣取っていた。
「この距離なら、エチカは絶対ユイに気づくんじゃない?」
「うん……」
「どうしちゃったのユイ? らしくないよ」
いつもと様子が違い、心なしか元気のないユイをナギが心配そうに見つめる。
一週間という短期間で、ユイとナギは、できるだけのことはやったつもりではある。
だがユイは、エチカを振り向かせるどころか、ステージを引っ掻き回すだけのノイズのようなパフォーマンスを披露して、エチカに軽蔑されないか恐れていたのだ。
「ユイ、エチカのこと考えてるの?」
返事の無いユイの両手をナギは握りしめる。
「ユイ、私ら何のためにここにいるんだと思う?」
「エチカのことは忘れて。ここにいる観客、それからカメラの向こうにいる大勢の視聴者のことだけを考えて」
「ナギ……」
ユイの目を見て、ナギはニッコリと微笑む。
「私ら、この小さなステージから、世界中の誰も聞いた事のないような旋律を響かせるんだから」
ライブは順調に進み、エチカの出番が近づいてきた頃である。突然、会場にアナウンスが響き渡った。
「えー、ご来場の皆様にお断り申し上げます。この後出演予定となっております橘エチカですが、急病により、急遽本日の出演は取りやめとなりました。エチカのライブを楽しみにして下さった方には大変申し訳なく……」
突然のエチカ出演中止のアナウンスを聞いて、観客のブーイングと怒号が会場に飛び交う。
「っざけんな! 何のためここまで待ってたんだよ!」
「いいからさっさとエチカを出せっ!」
さらには、怒った観客が、ステージに向けて会場のあちこちから物を投げ入れ始めた。
「ステージに物を投げないで下さい! 皆さん落ち着いてください!」
だがスタッフの必死のアナウンスは、ヒートアップした観客に対して、かえって火に油を注ぐ結果になってしまう。しまいには、ステージ上にまで観客が乱入し始め、機材を破壊するなどの乱暴狼藉の限りを尽くして、会場は収拾のつかない大混乱に陥った。
「うっわあ、さすが無法シティの旧東京……」
暴徒と化した観客の様子を眺めながらナギが他人事のようにつぶやいていると、かたわらのユイが袖を引っ張る。
「ステージに上がろう!」
「えっ、この状態で!?」
「この状態だからでしょ。」
そう言ってユイはニッと笑うと、ナギを抱きかかえて助走もなしに客席からステージに向けて飛び出していった。
ホテルのスイートルームの窓辺で、橘エチカは一人ワインを傾けながら、往年の煌びやかさが失われてしまったと旧東京の夜景を眺めていた。
ところどころ虫食いのように広がる黒々とした廃墟と、その周りに広がる街明かりのコントラストは、エチカには、この街の未だ癒えぬ傷そのもののように思えた。
そんなエチカの感傷的な思いを断ち切るように、無粋なノックの音が響く。
数度のノックを見送った末、エチカはようやく立ち上がり、ドアに向かう。
ドアの先に立っていたのは、やはり新山秀であった。
「何か用?」
「『急病』で休んでいる女王様の様子を見に来たってのに、ご挨拶だな」
「様子を見に来ただけなら私は大丈夫よ。もう帰っていいわ」
「今来たとこなのにかい? まあ、そう急かすなよ。君に面白い物を見せたいんだ」
エチカの返事を待たずに、新山秀は勝手に部屋の中に入ってくると、ソファにどかりと腰をおろす。
そしておもむろにリストバンドを操作して、空中に動画を投影し始めた。
「これは、今日君が出演する予定だった慰問ライブの様子だ」
「これが?」
そこに映し出されていたのは、ライブなどではなく、ステージ上で傍若無人に暴れ回る観客の様子である。
だがしばらくすると、ステージの上に、なんとも場違いな2人の少女の姿が映り込んだ。
体に似合わぬごついヘッドホンをした黒縁眼鏡の小柄で華奢な少女と、筋肉質の体躯をショートパンツにショート丈のタックトップといった格好に包んだ美少年風の顔立ちの少女、そうナギとユイの二人である。
しばらく見ていると、ナギは、混乱するステージを避けた位置に移動し、暴徒と化した観客が暴れ回っているステージの中に立つユイに対して、合図のようなものを送った。
ナギの合図を受けて、ユイはいまだ暴徒たちが暴れ回る中、ゆっくりと身体を動かし始める。
混乱の最中に突如始まったユイのパフォーマンスに、暴れ回る暴徒たちもさすがに唖然としている。
「これ……」
「導入部は、横浜の時の君のパフォーマンスにそっくりだな。だが、面白いのはここからだ」
その後ユイが見せた動きは、フィジカルミュージックでは、いやおよそダンスと名のつくパフォーマンスの中では見たことも無いような異様な動きであった。
ユイは、信じがたいような身体の柔軟性と強靭な筋力を発揮して、全身をまるで大蛇のように大きく波打たせながら、異様な舞を披露し始めたのだ。
ユイの独特すぎる身体の動きからは、不協和音というか、心をざわつかせるような不安をかき立てる音色が響き渡り、エチカは一瞬顔をしかめた。
ユイは、そんな異様な身体の動きを維持したまま、今度は混乱するステージの上を物凄いスピードで所狭しと飛び回り始める。
時が経つにつれ、ユイの身体の動きはさらに高速になり、時には、暴徒たちの頭上をも易々と飛び越えるような人間離れした凄まじい跳躍を見せて、観客の目を奪う。
それとともに、最初の不安をかき立てるような不協和音が、互いに共鳴し始め、やがてひとつの明確な旋律を形作り始める。
その旋律はひどく荒々しいのだが、心躍らせるというか、何か身体の奥底から力が漲ってくるような、不思議な力強さと躍動感に満ちていた。
やがてその旋律は、さらに渦巻く大きな波となって、ステージ全体を覆い尽くし、打ち寄せる波濤のようにリフレインして、ステージ上で暴れ回る暴徒たちを丸ごとその旋律で飲み込んでいく。
その後の展開はエチカにも予想外のものだった。
ユイがステージ上で大きく飛び回り、荒々しい旋律を響かせるたびに、周囲の暴徒たちが、まるで重いパンチを受けたボクサーの様に、ふらつきながら次々とその場にへたり込んでしまったからだ。それどころか、暴徒の中には、意識を失ってそのまま倒れ込んでしまう者までいた。
それは、ユイが身体の奥底から絞り出してきた旋律が、意識と身体を無駄に沸騰させている暴徒たちの神経奥深くにまで突き刺さり、彼らの運動機能もろとも叩き潰してしまったように思える光景だった。
「これって音楽?」
「どうだろうね。でも、なかなか面白い見せ物だとは思わないかい?」
動画には、ユイの披露したパフォーマンスに観客が熱狂する様子が映されている。
「恐ろしく荒削りで、強引過ぎるとこもあるけど、こんだけ観客を熱狂させるパフォーマンスって、最近の僕らのライブでも中々無いんじゃない?」
「煽ってんの?」
「そういう訳じゃないけどね。で、この子が君が横浜のライブで
エチカはその問いには答えず、立ち上がって何かを探すように窓辺に歩み寄る。
(久しぶりに君の嬉しそうな顔を見たよ)
窓に映るエチカの表情を見て、新山秀は含み笑いを漏らした。
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