第9話 共鳴

「今日のパフォーマンス、ほぼ完璧だったけど、後半一瞬だけノイズが混じったね。まあ、パフォーマンス全体のレベルを下げるほどのものじゃなかったが」


 楽屋に戻ってきたエチカに新山秀は声をかけるが、エチカは眉根を寄せて黙りこくっている。

 完璧主義者のエチカにとっては、些細なノイズすら許せないのだろう、いつものことだと、新山秀はエチカの傍をそっと離れた。

 しばらく俯いたまま座っていたエチカであったが、突然、何かを思い出したかのように立ち上がると、レオタードの上からコートを羽織る。


「秀、私ちょっと出てくる」

「おいエチカ、ちょっと待て!」


 エチカは、止める新山秀を振り切るように、そのまま楽屋から出て行ってしまった。



「いやあ、想像以上だったね、生で見る『女王』のパフォーマンス」

「あのチューニングとかどうやったんだろう。物凄い超絶技巧だよ。今度、私らで再現できないか、チャレンジしてみようよ!」


 アリーナを出て、人混みにもまれ駅に向かいながら、興奮した様子でユイに語るかけるナギ。


「うん……」


 だが、ユイの方は心ここにあらずといった様子で、興奮気味のナギとは対照的に反応が薄い。


「どしたのユイ? 『女王』のパフォーマンスにあてられちゃったの? なんか、らしくないよ」


 ナギの問いかけにも、ユイは黙ったまま応じない。

 ユイは、あのパフォーマンスの中で感じたのだ。

 『女王』こと橘エチカが、パフォーマンスの最中に、あの大観衆の中から、自分だけに向けてメッセージを放ったのを。


(オマエハダレダ)と……


 ナギにそんなことを話したら、自分もヤク中になって、頭がおかしくなったのかと疑われるかもしれない。

 しかし、確かにユイは、身体中を貫く衝撃とともにエチカからの問いを受け取ったと感じていた。

 頭では、それはあり得ない、おかしな話だと思いつつも、ユイの身体はそれがエチカからのものだと確かに認識しているのである。

 そんな想いに駆られている時であった。

 ユイはふと背後に視線を感じて振り返った。

 ユイの視線の先、少し離れたところにある歩道橋の上からユイを見つめる長い黒髪の女性がいた。


「橘エチカ!」

「えっ!」


 ユイが声を上げた途端、女性はくるりと振り返ってそのまま歩道橋から歩み去る。


「待って!」


 ユイは、慌てて女性を追いかける。


「ちょっとユイ! どうしちゃったの!」


 背後で自分を呼び止めるナギの声が聞こえるが、ユイの頭の奥では、そのナギの声をかき消すように、美しく響く女性の声だけがリフレインしている。いや、正確にはそれは「声」ではないのだが、ユイの「身体」がそれを「声」と認識しているのだ。


(ワタシニ……ツイテオイデ……)



 どれぐらい追いかけたのであろうか。人通りの多い表通りから離れたビルの裏手の路地に、その女性は立っていた。

 表通りから漏れ出る街明かりが逆光になっているが、そのシルエットは確かに見覚えのあるものであった。


「橘エチカ……」


 呼びかけられて、女性は少し微笑んだように見える。


「あなた、名前は?」

「私は、荒屋敷ユイ……」

「どうして、アリーナの中で私に呼びかけたの?」

「えっ!」


 エチカの思わぬ問いかけに、ユイは返答に窮する。


「ステージから私に呼びかけたのは、あなたの方じゃ……」

「やはり、あなたには自覚がないのね。」

「私の踊りに共鳴シンクロしたのは、あなたで二人目。あなた一体何者なの?」


 そのストレートな問いに、ユイはしばらく沈黙する。


「私は……旧東京でフィジカルミュージックのパフォーマンスをやってます」


「その、あらためて何者かって尋ねられると、ただのストリートチルドレンだった自分には、胸を張って証明できるような物が何も無いんです」

「でも今日、あなたの信じられないようなパフォーマンスを感じながら思いました。何者でもない私の輪郭をはっきりさせて、何者かにしてくれるのは、やっぱりフィジカルミュージックなんだって。あのアリーナで、あなたは私の身体に直接語りかけてきてくれた。マフィアなんかの言いなりになって、曖昧になりかけてた私の輪郭が、あなたの音色と共鳴してはっきりしたんです」


 一気にそう言うと、ユイはエチカの目を真っ直ぐに見据える。


「私、今度真珠杯に出場します。自分が何者なのかを証明するためにも。そして、あなたを倒して優勝します……」


 ユイの口からいきなり飛び出した打倒宣言に虚を衝かれたのか、エチカは唖然としている。

 しばらくして、エチカが声を上げて笑い出した。

 エチカはおかしくてしょうがないと言うように、お腹を押さえて笑い転げている。

 そのあまりの笑いように、さすがにユイも少し不機嫌な顔になる。


「ごめんなさい、あまりに予想外の答えだったから」

「面白いわね、あなた。私、今度の真珠杯は出場辞退しようかと思ってたけど出る事にするわ。」

「荒屋敷ユイさんだっけ、今度の真珠杯、楽しみに待ってるから」


 そう言うと、橘エチカはいつの間にかビル群の間の闇の中へと消えていった。


「ユイ、こんなとこにいたんだ。捜したんだよ」

「ナギ、私、ついさっきまで橘エチカと会って話をしてた」

「えっ! 何それ、マジ!?」


 驚くナギに、ユイはゆっくり頷く。


「そんで、気付いたら橘エチカに、『無敗の女王』に、宣戦布告しちゃってた……」


 勇ましい言葉をエチカに向かって吐いたのとは裏腹に、ユイはエチカもあのパフォーマンスの最中に自分と同期シンクロしていたことを知り、初対面にもかかわらず何か親近感のようなものすら感じていた。


(あの人の旋律は、身体の奥深いところで自分と似てるのかもしれない)


 エチカの立ち去った暗闇を見つめながら、ユイはそんなことを思うのであった。

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