第6話 悪魔の舞

「ここだよね」


 ユイとナギは、先日声をかけてきた男の名刺に記されていた劇場『セブンス・トーキョー』の前に立っていた。

 二人とも第7街区まで足を伸ばすのは初めてである。

 すでに陽は落ち薄暗くなった街中では、至る所に設置された巨大なARディスプレイから、どぎつい色彩の下品な広告が溢れ出していた。

 胡散臭いと思いつつも二人がわざわざ第7街区までやって来たのは、『セブンス・トーキョー』の名前に惹かれてである。

 『セブンス・トーキョー』は、ユイたちのようなストリートパフォーマーの間では知らぬ者のない有名な劇場で、専属のパフォーマーのみならず、日本や海外の有名パフォーマーによるフィジカルミュージックのパフォーマンスが連日のように演じられていた。

 『セブンス・トーキョー』の入り口の壁には、巨大な立体ディスプレイが設置されており、劇場内のパフォーマンスの様子が投影されていた。

 ナギは劇場の入り口に立つ厳つい顔の大男に恐る恐る近づくと、スカウトマンの男からもらった名刺を差し出す。


「あの、私たち、この人に会いたいんですけど……」


 名刺をチラリと横目で見た男は、そこに書かれた名前を見て、ほんのわずかに片眉を上げた。


「ついてこい」


 ユイとナギの二人は、男に連れられ劇場の裏手に回ると、そこの半地下にある小さな扉から劇場内へと足を踏み入れた。

 光度を下げた間接照明のみがぼんやりと光る薄暗い廊下の向こうでは、今まさにパフォーマンスが繰り広げられているのか、重低音が足元にまで響く。

 男は迷路のように入り組んだ廊下をしばらく進んだ後、突き当たりで立ち止まり、目の前の扉を軽くノックする。


「どうぞ」


 大男に顎で促され、二人は部屋の中に入った。


「やはり来たか」


 ストリートでナギに名刺を渡したスカウトマンが、上機嫌で二人を出迎えた。



「ユイ、どうする?」


 『セブンス・トーキョー』を出てから、ユイはずっと押し黙っている。

 スカウトマンの男は、ユイとナギが『セブンス・トーキョー』の専属ダンサーになれば、劇場内に住む場所を用意し、二人分のギャラも出すと言ったのだ。

 衣装もパフォーマンス用の機材も劇場持ちで、客の反応が良ければ、ギャラもどんどん上がっていくと言うのである。

 身寄りも無く、住む場所も転々としている根無草のストリートチルドレンにとっては、これ以上ないぐらいの破格の待遇である。


「少し、考えさせて……」

「ああ、構わんが、返事はなるべく早く頼む。お前らの他にもストリートで声をかけてる子はいるんで、そっちが先に決まっちまうかも知れない」



「確かに、このままストリートでやっていっても先が無いってのはわかってる。でも……」


 ユイは言い淀む。


「でも?」

「確かにすごくいい条件だったよ。でも、あいつ絶対私らにまだ隠してることがある……」


 ユイの言葉にナギは軽く微笑んだ。


「利用してやろうよ、思いっきり。あいつらが私たちを利用する気なら、こっちも骨の髄までしゃぶり尽くしてやれば良いじゃない。それが、今まで大人たちに良いように扱われてきた私らの『復讐』でしょう?」


 ナギのその言葉に、ユイの腹は決まった。



 ユイとナギは、翌日に再び『セブンス・トーキョー』に出向き、正式な契約を交わして劇場の専属ダンサーとなった。

 そこからはあっという間で、2、3日もたたぬうちに、もう劇場の昼の香盤表にユイの名前が出ていた。


「どう? ナノコートの着心地は。電極シールを身体中にベタベタ貼り付けるよりだいぶスマートでしょ」


 劇場の雑然とした楽屋裏で下着姿のまま突っ立っているユイは、派手でどぎつい化粧をした大男のメイクアップアーティストの手によって、身体の隅々にまでボディクリーム状のナノコートを塗りたくられていた。


「着心地って言われてもね……単に、皮膚に薄くコーティングしてるだけじゃ無い」

「踊ってみたらわかるわよ、違いがね。あなた筋肉が物凄く発達してるから、きっとここのパフォーマーの誰よりも力強いサウンドを響かせることできるわよ」


「ユイ、やっぱ凄いよここ! 私も見た事がないチューニング機器がいっぱいある」


 メイク中の楽屋に、両手いっぱいに様々な機材を抱えたナギが、興奮した面持ちで入ってきた。

 子供のようにはしゃぐその姿を見て、ユイは(結局私はナギにのせられちゃったのかなあ)などとぼんやり考える。


「コーティング作業終わったわよ。出番はまだ先だけど、チューニングやってみなさいよ」


 大男のメイクアップアーティストに促されて、ユイとナギはさっそくチューニング作業に取り掛かった。

 ユイの身体や筋肉の動きは、これまでのような電極シール経由で変換ユニットに送信されるわけでは無い。身体中に塗布されたナノコートそのものが、内部にナノレベルの変換回路を無数に備えていて、身体から発せられた微細な電気信号をダイレクトに音に変換する機能を持っているのである。文字通り、ユイの肉体そのものが楽器になるのだ。また、その音はナギのかぶるヘッドホンへ無線で送信され、リアルタイムでのチューニング作業を可能にしていた。音の強弱に始まって、主に身体のどの部分から音を響かせるかなどは、チューナーの腕次第といったところがあるのだ。

 最近のフィジカルミュージックのパフォーマーは、ほとんどがこのナノコートを使用していて、ユイとナギがストリートで使用していた電極シールを身体中に貼りつけるようなタイプは、時代遅れの代物なのである。

 頭部以外、身体中をナノコートに覆われたユイは、下着姿のまま軽くウォーミングアップの動きをして見せた。すると、ヘッドホンからの音に耳を傾けていたナギが目を丸くする。


「凄い! 音がクリア! しかも前よりずっと深みもあるし、なんか今まで聞いたことの無いパターンの音も響いてる」

「言ったでしょ、踊ってみたらわかるって」



 ユイとナギのフィジカル・ミュージックのパフォーマンスはすぐに評判になり、劇場の呼び物になった。

 金になるとわかると現金なもので、それまでのストリート出のガキ扱いが嘘のように丁寧なものに変わり、待遇も格段に良くなっていく。

 そんなある日、ユイとナギは、劇場のオーナーの元に呼び出された。


「お前らのパフォーマンス、なかなかの評判だ。劇場としちゃ昼の部だけじゃもったいねえと思ってる。そこでだな、お前ら、今度夜の部にも出てくれないか?」

「夜の部、ですか……」


 オーナーの言葉にユイとナギは眉をひそめる。

 夜の部と言っても、劇場では性的なパフォーマンスをやっているわけではない。

 ただ、詳細は知らないのだが、ユイもナギも夜の部で行われるパフォーマンスについては、あまり良い噂を聞いたことが無いのだ。

 さらに言えば、昼の部と夜の部では出演するパフォーマーも分けられていて、ユイたちのように両方の部に出演するというのは、異例中の異例なのである。


「あとな、お前らの踊り、あれ、夜の部では変えてくれ」



「私らの踊りを変えろって何あれ!」

「まあ、でも昼の部は今のままで良いってオーナーも言ってたじゃん」


 怒りのおさまらぬ様子のユイをナギはなだめる。


「ナギはいいの?」

「いいわけ無いじゃん。でもここの専属ダンサーになったら、オーナーの命令には従う事って条件だったでしょ」


 その言葉に、ユイは黙って肩を落とした。


「やっぱり、ここでも利用されるだけなのかな、私ら……」



 結局、ユイたちは、オーナーの命令通り夜の部にも出演することになった。

 しかも、振り付けも音のチューニングも夜の部専門のスタッフの指示に従って、何もかも変えさせられたのだ。

 そんな扱いを受けて、今まで滅多に怒ったことの無いナギも、さすがに不機嫌というか難しい顔をしている。


「この音の作り、なんかチューニングしてて、ぞわっとするのよね」


 劇場のエンジニアの指示通りチューニング作業を続けていたナギが、ぼそっと呟いた。


「私の方も、これダンスの動きじゃ無いよ。なんか、身体と心がバラバラにされそうな動きって言うか……」


 その日、初めて夜の部の舞台に立ったユイとナギは、戸惑いを隠せなかった。

 観客の誰一人、ユイの披露するダンスを見ていないのだ。そればかりか、ステージを埋め尽くすように奏でられる音楽にも一切耳を傾けている様子がない。

 観客の誰もが、目の前で踊るユイには何の関心も示さず、ただ一人自分の世界に埋没し、どこか遠い世界にトリップしているような異様な空間がそこには広がっていた。


「なんか、お昼のパフォーマンスの何倍も疲れた……ってか、なんで誰も見てくんないわけ。踊ってて虚しくなるよ」


 ユイはそう言って、楽屋のソファに仰向けで倒れ込んだ。

 そんなユイを尻目に、ナギは黙ったまま難しそうな顔で考え込んでいる。


「あの客達、全員ドラッグやってる……」

「えっ! だって劇場内でクスリは禁止でしょ。ヤクきめて劇場に入ってきたら即叩き出されるよ」


 ナギはゆっくりと顔を上げ、ユイの目を真っ直ぐに見据える。


「クスリはね、私らの踊りそのものだよ」



 『セブンス・トーキョー』の劇場としての顔はあくまで表の顔である。

 劇場の収益の大半は夜の部からの上がりによるものなのだ。

 夜の部の『お得意様』は、劇場スタッフが侮蔑とともに『家畜』と呼ぶ観客によって占められていた。

 『家畜』と呼ばれる観客は皆、頭部に数ミリほどのチップを埋め込んでいる。

 そのチップは『セブンス・トーキョー』のある第7街区を仕切る極東マフィアが無料でばらまいたもので、脳の快楽中枢を直接刺激する特殊なインターフェースを備えていた。

 ただ、チップ単体では何の役にも立たない。チップは劇場のパフォーマーが紡ぎ出す音を特殊な電気信号へと再変換する一種の変換ユニットであり、『セブンス・トーキョー』で披露されるパフォーマンスそのものが、チップを埋め込んだ『家畜』たちの脳神経中枢にダイレクトにリンクされ、快楽のトリガーが引かれるのである。

 その快楽の様相は個人によって千差万別なのだが、快楽の『強度』そのものはパフォーマーの技術と身体能力、それにチューナーの腕に大きく左右される。

 ユイとナギのパフォーマンスユニットは、その中でも飛び抜けて優秀な人材だったのである。

 『セブンス・トーキョー』を実質的に運営する極東マフィアが、ストリートでの二人のパフォーマンスに目をつけたのは当然であった。

 彼ら極東マフィアは、この電気的刺激によるドラッグを常習性は無く禁断症状も無いものと喧伝していたが、実態は大きくかけ離れていた。

 むしろ脳神経をダイレクトに刺激する分、通常のドラッグより中毒性は高く、禁断症状も激しいのである。

 『セブンス・トーキョー』に日夜通い詰めて身を持ち崩すなどマシな方で、大半の人間は結局精神も肉体もボロボロになってしまうのだ。

 ユイとナギのパフォーマンスは、劇場のカモとなったこういった連中を絡め取り、破滅へと導く、まさに悪魔の舞だったのである。

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