第5話 ストリートチルドレン

 小柄でユイより幼く見えたナギだったが、年はユイと同じ15歳。しかも、ユイと同じくこの旧東京で発生した第二次カタストロフによる孤児、いわゆるストリートチルドレンだった。


「アンタも、あの研究所の出身とはね……」

「私は第二研究所の方ね。荒屋敷さんは多分第一の方でしょ」


 ナギの言う『研究所』と言うのは、第二次カタストロフ後、その遺児たちを集めて設立された、多国籍企業群の秘密研究所のことである。

 第二次カタストロフ発生後、日本政府は、破壊され至る所で虫食いのように汚染された旧東京の復興を放棄し、環状8号線上に旧東京を取り囲む巨大な『壁』を築いて丸ごと日本国から切り離してしまったのだ。しかも、『壁』の内側のことはあずかり知らぬこととして、その統治を完全に国連に委ねてしまったのである。

 日本国から国連の信託統治下に入ったといえば聞こえはいいが、第二次カタストロフによる混乱がおさまらない旧東京の内実は酷いものだった。

 日本政府が手を引いた後の旧東京には、権力と法の空白地帯に吸い寄せられるように、世界中からありとあらゆる犯罪組織やハッカー集団、過激な宗教原理主義者、倫理上の問題があり自国では不可能な研究の拠点を探し求める企業などが次々に集まり、アウトローたちのワンダーランドとでも呼ぶべき一種の無法状態が現出していた。

 ユイとナギがいた多国籍企業群による秘密研究所も、そんな無法地帯と化した旧東京で孤児たちを集め、あまり大っぴらにできない倫理上スレスレの研究を行っていた施設の一つだった。

 第二次カタストロフにより8歳で孤児となったユイとナギは、いずれも人道支援の名目でその研究所に引き取られたのだ。

 研究所に集められた孤児たちは、いくつかの試験の後ふるいにかけられ、それぞれ異なる施設へと送り込まれて行った。

 研究施設は大きく3つに分かれており、ユイが送られた第一研究所は人間の身体能力の拡張についての研究、ナギが送られた第二研究所は人間の知的能力の拡張についての研究を行う施設であると言われていた。

 残る第三研究所は、3つの研究所の中でも最も得体の知れない施設で、第一、第二研究所の子供たちからは、そこにいる子供たち込みで気味悪がられていた。

 ユイも一度だけ第三研究所の子供達と合同での訓練を受けたことがあったが、皆大人しく穏やかな子供たちなのに、そのたたずまいというか雰囲気から、どうしようもない違和感を感じた覚えがある。

 その第三研究所では、ナギによると『人類の種としての意識の拡張とか何とか』を研究していたのではという話であった。


「何それ、意味わかんない」

「私もよくわかんない。まあ私に言わせりゃ、この旧東京で孤児を集めて研究してるようなとこは、間違いなく全てクソみたいなとこだけどね」


 ナギは吐き捨てるようにそう言うのだった。

 そんな『クソみたいなところ』に引き取られて、ユイはその肉体をナギはその頭脳を人間の限界を超えて徹底的に強化する特殊訓練を受けたのである。

 ユイが受けた肉体訓練など、シゴキどころか拷問という言葉すら生温く感じるほどの凄まじいもので、あまりに激烈苛烈な訓練のため、ほとんどの孤児が身体を壊すか精神を病んで脱落し、研究所から追放されていった。そんな中、第一研究所に最後まで残ることができたのは、ユイも含めわずか数人だけだった。

 だが、傍から見れば児童虐待にしか見えないその『研究』とやらよりも、ユイたち孤児にとっては研究所を追放されることの方が何倍も恐怖だった。

 研究所から追放された孤児たちは、さらに過酷な人体実験施設へ送り込まれると噂されていたからだ。

 ユイは、全身のありとあらゆる骨と筋肉と神経を巨大な鉄ゴテでぶっ叩いて丸ごと作り替えてしまうような日々の凄まじい鍛錬に、文字通り血反吐を吐いて耐え抜き、その肉体を生身のサイボーグのような存在へと変貌させていった。

 そんな生き地獄のような研究所での生活も、7年あまりで突然幕を閉じることになった。

 無法地帯と化した旧東京に秩序と治安を取り戻すためようやく重い腰を上げた国連が、直轄の武装警察組織、通称UNポリスを新たに設立して、域内の違法行為を一掃するべく旧東京全域で一斉取り締まりに乗り出したからである。

 ユイたちのいた秘密研究所も、子供たちを利用した倫理的に問題のある研究を行っている施設だとして告発され、UNポリスによる強制捜査を受けて事実上解体されたのだ。

 研究施設にいた子供たちは、捜査の過程で大半がUNポリスに保護されたものの、一部の子供たちは施設からそのまま逃亡し、旧東京内に散らばってストリートチルドレンになったのだ。

 ユイとナギも、そうした研究所から逃亡した子供たちの一人だったのである。

 その後ユイは、旧東京内の廃ビルを転々としながら、肉体音楽フィジカルミュージックと言われるパフォーマンスをストリートで披露して糊口をしのぐようになった。

 肉体音楽フィジカルミュージックとは、ユイが以前研究所のワークショップで教わったもので、変換ユニットを装着した肉体そのものを一つの楽器とみなして行われるパフォーマンスのことである。身体の動きや筋肉の収縮により発せられる微弱な電気信号が、変換ユニット経由で様々な音色に変換されることで、身体ひとつで音楽を奏でることが可能になるのだ。

 ユイは、研究所の孤児の中でも、このフィジカルミュージックの随一の使い手だったのである。

 だが、フィジカルミュージックのパフォーマンスだけでは日々の糧を得ることは難しかった。

 三日以上何も口にしないことなどしょっちゅうで、ユイはいつも酷い飢えに苦しめられた。

 そのうち、ようやく繁華街の片隅で暮らす小さなストリートチルドレンのグループと顔見知りになり、何とか彼らのもとに身を寄せることができた。


 しばらくはそこで仲間と暮らしていたユイだが、根無草のストリートチルドレンに安住できる場所など無いことをすぐに思い知らされることになった。

 マフィアをバックにした巨大なストリートチルドレンのグループが、周辺のグループを飲み込んでさらに勢力を拡大させようと、街の至る所で抗争を仕掛けてきたからである。

 ユイが身を寄せていた弱小グループなどは、彼らの格好の獲物として真っ先に狩の標的とされた。

 突如襲撃してきた凶暴な侵略者を前に、何の備えも無ければ満足な武器も持たない弱小グループなどひとたまりもなく、彼らのささやかな生活拠点はたちまちのうちに蹂躙された。

 だが、侵略を受けた仲間たちが次々と撤退していく中にあって、ユイはたった一人その場に踏み止まった。そして、怯むことなくその侵略者どもの前に立ちはだかったのである。

 傍目には蛮勇とも取れる行動だが、ユイには、どうしてもその侵略者たちが大した脅威には思えなかったのだ。

 ナイフなどで一丁前に武装はしているものの、自分の大きな身体を持て余し、必要以上に無駄な動きを繰り返している。

 研究所で筋力と身体能力を極限まで鍛え上げてきたユイからすれば、どいつもこいつも鈍重な上に、ろくな統率も取れておらず、単に数を頼みにしただけの烏合の衆としか思えなかった。


(まったく、あんたらちっとも『なっちゃいない』)


 ユイの身を案じた仲間たちが助けに駆けつけたときには、我が物顔で振る舞っていた侵略者たちは、全員戦闘不能状態で路上のあちこちに転がっていた。


 この一件以来、ユイはストリートチルドレンの仲間たちから絶大な信頼を得ることになった。そして、ストリートチルドレン同士の抗争の助っ人や用心棒として引っ張りだこになったのである。

 その後のユイの活躍はめざましいもので、自動小銃まで持ち出して武装した十数人もの男ども相手に、何の武器も防具も持たずたった一人素手で立ち向かい、わずか数分足らずで彼ら全員を再起不能にするなど、ナギと出会った15歳の時点で、すでに数々の武勇伝を残していたのだ。

 だが、ユイはストリートファイトに明け暮れたいわけではなかった。血生臭い暴力とは無縁のストリートパフォーマーとして身を立てたいのである。

 そんな衝動に駆られると、ユイは、しばしば仲間たちの前からフッと姿を消してしまう。

 そして、見知らぬ街角に立って、一人フィジカルミュージックのパフォーマンスを披露するのだ。



 七頭ナギと名乗る少女とストリートで出会って以降、ユイは自分に足りないものが何だったのかようやく理解しつつあった。


(私には、自分を……この身体を『調律チューニング』してくれるパートナーが必要だったんだ。)


 その後、ストリートに出る際には、ユイは必ずナギとユニットを組んでパフォーマンスを披露するようになった。

 ナギのチューニングによって披露するフィジカルミュージックは、足を止めてくれる観客がこれまでより段違いに多く、観客のノリも以前とは明らかに異なっていた。


「ユイ、やっぱあなた凄いよ。男性パフォーマーでも敵わないほど重厚で力強いのに、物凄く繊細な音色を響かせてくれる。万華鏡みたいな、こんな色んなリズムと音色を奏でられる人、私これまで見たことない」


 ユイとの邂逅はナギにとっても運命的なものだった。 

 ユイと出会って以来、ナギは文字通り寝食を忘れてチューニング作業に没頭した。

 ナギは、ユイのありとあらゆる身体の動き、それこそ筋肉一つ一つの収縮と膨張のタイミングまでも全て頭に叩き込み、膨大な量の音の地図を作り上げていく。


「大袈裟でも何でもなく、ユイ一人でオーケストラだって演奏できるよ」


 ナギはそう断言する。


 ユイとナギがストリートで繰り広げるパフォーマンスは次第に界隈で評判になり、近隣の街区にまでその噂は広がっていった。

 そうなると、鼻だけは良く効く腹に一物も二物も持っていそうな怪しげな大人が、次々にユイたちに近寄ってくる。

 東南アジア系と思われるその男も、そうした怪しげな大人の一人に見えた。


「お前ら、ストリートチルドレンだろ。こんなしけた通りでパフォーマンスやってても先が見えてるぜ」


 自分達に近づいてくるいつもの大人の口上だと、ユイはうんざりしたように顔を背け、その言葉を無視する。


「こんなとこじゃ、いつまで経っても大した稼ぎにゃならない。それより第7街区にあるオレの劇場に来い」


 そう言って、男は傍らのナギに名刺を投げてよこす。


「セブンス・トーキョー……」


 ナギは、華やかな意匠を施されたその名刺の飾り文字を読み上げる。


「お前らでもその名前ぐらい知ってるだろ?」

「本物?」

「劇場に来て、その名刺に書いてある名前を出してくれりゃわかるさ」

「何が目的?」


 ナギの言葉に、男は爆笑する。


「決まってるだろ。お前らをスカウトしに来たのさ。オレんとこの劇場の専属パフォーマーとしてな」

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