第10話 悪役令嬢と牛丼

ギリギリ講義に間に合った。息を切らせて席についた俺を手招きするのは、民度低めの友人だ。


「蒼、美少女と一緒に来たって噂になってるよ。」

「香澄が遭遇したって。めっちゃ可愛い女の子二人。」

「紹介して。」


俺は首を振る。絶対嫌!


「無理。いいとこのお嬢様だから、お前らには会わせない。」

「えー、じゃあ妹だけでも良いから。」

「絶対嫌。」

妹を何だと思ってるんだ。


俺が真面目に講義を受けている間、本を選んでいた夕実と、アンネちゃんは、初めて訪れた大学の図書館で大いに寛いでいた。


アンネちゃんは、本を何冊か持ってきては中身を読んでいる。夕実は、高校の教科書らしきものを読んでいたらしい。


何故俺が知っているかと言うと、担当教授の都合で2限目が休講になったから。


「あれ。もう終わり?」

「うん。次休講になった。」


「アンネちゃんは、何か読みたいやつあった?」

「はい、これとこれが読みたいです。」

「夕実は?」

夕実は首を横に振る。

「じゃあ、これとこれと、あと俺のを借りてくる。」

手続きをしてくれた職員さんに、妹さん、可愛いね、と囁かれた。笑って誤魔化しておく。いつもは無愛想な人なのに、アンネちゃん効果だな。


うん、やっぱり危険だ。早く帰さなくては。


図書館を出るときにアンネちゃんに、変装を施す。とは言っても、帽子を被せる程度で、可憐さはちっとも隠せなかったけれど。ハイエナ共がうろついていないとも限らない。周りを警戒しながら大学の敷地を出ると、出来るだけ急いで駅まで戻る。


後ろを気にしてみたものの、ハイエナ共が追ってくる気配はなかった。ほっと一息ついて、駅のベンチに座る。


「どっかでご飯食べようか。」

夕実がふと、向かいのホームを凝視している。


目をやると、振り切ったはずの民度の低い友人らが、手を振っていた。

予想に反して、奴等は手を振るだけで、こちらには現れなかった。


「ごめんね、アンネちゃん。よければ、俺の友人に手を振ってあげて?」


アンネちゃんは、あの可愛らしい笑顔で見様見真似でぎこちない動作で手を振った。

奴等が悶絶している。わかる、わかるよ。


奴等は、俺に手を振ったり親指を立てたりしていたが、電車が来て去って行った。


「蒼の友達って、良い人だよね。」

夕実は昔から何人か遭遇している俺の友人に対していつも同じことを言う。


良い人そう。


その言葉は、よく言われる言葉だが、案外いい意味では使われない。特に恋愛においては。


めちゃくちゃ悪いやつか、イケメンか、はっきりした特徴がない人は総じて良い人そう、と言われる。即ち、恋愛対象外である、と。


人畜無害であることを、喜んで良いのか、悪いのか。いつも同じように振られてしまうのだが、一番困るのは、俺が特にそれを直したいと思っていないことだ。


穏やかな良い人も、良いと言ってくれる人が現れるのを待ってると言うか。そんな人はいないのかな。夢だけ見るのは自由だよね、うん。


「アンネちゃん、ありがとう。ごめんね?」

「いいえ、すみません。私、礼儀がわからなくて。」

申し訳なさそうに俯くアンネちゃんに、もう一度お礼を言う。

「いや、あいつら、喜んでたし。良いよ。ありがとう。」


「ねえ、そういえば、蒼は元々お昼どうするつもりだったの?」

夕実はずっと何を食べるか考えていたようだ。

「今日は、牛丼でも食べようかと……アンネちゃん、牛丼食べようか。美味しいよ。」


目をパチクリして、賛成するアンネちゃんは、すっかりご飯には慣れてきたみたいで嬉しい。生活に慣れていくのはもう少し時間がかかるだろう。ご飯が合わないと、悲惨だったろうが、アンネちゃんには合ったようで、それは本当に良かったことだ。


注文した牛丼を見て、キラキラした瞳で、一口食べる。反応を気にしていたのは俺だけではない。気がつくと、店内の人がチラチラとアンネちゃんを見つめている。そうだろうそうだろう。可愛かろう。


箸の使い方も今ではすっかり上手になったアンネちゃんが一口食べる度に嬉しそうな顔をするのを見るたびに、これだけで、ご飯食えるなと思ったのは、俺だけではないはずだ。


お漬物をポリポリ食べて、これも美味しかったらしい。


今後スーパーで買うものも決まった。夕実は、アンネちゃんが視線を惹きつけてる間にサクサク食べている。入るのは初めて、と言ってた割にスムーズに注文するのはさすがだと我が妹ながら思う。


そういえば、妹はよくできた子だった。昔から俺なんかより何でもよくできた。


だから母の餌食になった。母には学歴コンプレックスがあった。母は大学に行かせてもらえなかった。短大で十分だと言われ、短大卒業後、就職したものの、学歴によって仕事の幅が左右されることがあったり、教養がないと見做されたりしたことが積もり積もった結果、娘に我慢させてしまう事態に陥った。


妹は、不登校になったあとも、母に何も言わなかったらしい。ただ、行きたくない、と言うだけで。


最初は怒りに任せて叱ったりもしたようだが、そのうち母は夕実と対峙しなくなった。母は毒親ではない。夕実もただの反抗期ではないように思う。


ちょっと時間が必要なだけだ。俺が出来ることなら、してやりたい。けれど、アンネちゃんがいることで、俺は今救われている。


だから、アンネちゃんは意識はなくとも、俺は勝手に恩恵を受けている。


アンネちゃんが来てからの俺は、幸せすぎる。俺には勿体ないぐらいの幸せだ。だからいつか恩返しをするんだ。


アンネちゃん、待っててね。

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