デイトレ、開始モード。

「さて」

 誰に言うでも無く、翔はひとりごちる。目の前には見やすいように婉曲している巨大パネルが3段あり、視界全体で情報を取れるようになっている。さらに、目前のパネルの奥と手前にも、パネルが置かれている。


 これで視野✕3倍だ。巨大な3段パネルと、その奥と手前にあるパネルの視覚は、自動的に切り替わる。そして、思考するだけでも切り替えることができる。ヴァーチャルリアリティならでは、だと言えるだろう。


 時間は日本時間の8:50。あと10分で東証が開く時間だ。値動きが荒そうな、デイトレ向きの銘柄を事前にピックアップして準備しておく。実際の株価の前哨戦ともいえる「気配値」が上がったり下がったりしている。


 どっしりと構えた巨大企業の「気配値」が大きく飛ぶことは少ない。しかし、翔が見ているような「値動きが荒そうな株」の躍動は激しい。秒単位でコロコロと変わる。時価総額も小さく、ちょっとした取引で値が飛ぶのだ。


 9:00。


 場が開く。一斉、売買注文が飛び交い、初値が決まっていく。しかし、「値動きが荒そうな株」は気配値のままで動くことも、ままあるのだ。


 たとえば、「100円」の気配値だったものが、巨大な「買い」注文が入ることで、1秒以内の単位で急に上に振れ「104円」に。仮に100万円で1万株買っていたら、この瞬間に「4万円」の利益が出ることになる。ただ、気配値では売買は成立してないので、絵に描いた餅状態なのだが。そこに大きな「売り」注文が入ってくることもある。この場合、「104円」から一気に、「98円」などに値が下がるのだ。値が下がると、「とにかく損切りしたい」という狼狽売りを呼ぶこともあるので、さらに値が「96円」にまで切り下がることも。この場合、瞬間で4万円が吹っ飛んでいる。


 こんなスリリングな賭博場が、国公認の元、平日毎日開いているのだ。国公認だけに、胴元の取り分は高い。利益の20%を、胴元が税金として持っていく。控除率を鑑みると、決して良い博打ではない。むしろリスキーだ。それでも、必死でみんな「張って」くる。東証の1日の売買代金は約2兆円。10万人に2000万円をばらまけるだけの銭がうごめいているのだ。そしてそこには「下がったら買う」と明言している、日銀の「年間12兆円」もやってくる。まともじゃない、とんでもない相場だ。


 とはいえ、相場は相場。あれやこれや言ってる暇があるなら、利益を確保せねばならない。なにせ「利益を出したものだけが、正義」なのだ。他の倫理観は、マーケットでは一切通用しない。そこにヒリヒリしたものを感じる、博徒たちが今日も集っているのだ。


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