第61話 Top of the World
「茶番は終わったか?」
大公はただ佇んでいた。
当てられただけで斬り殺されてしまう。そう錯覚させられる抜き身の殺気を放ちながら。
以前の俺だったらこの殺気を当てられただけで、きっと手が震えて足がすくみ上っていたことだろう。
"剣の四戒"で言うところの"驚擢疑惑"に陥り……そして、難なく斬り捨てられてしまっていた……。
だが、今は不思議と落ち着いて、腹の奥底から呼吸をすることができている。
丹田からは、たしかに"精気精粋"が生じている。
さっき吸った葉巻の効果なのだろう。
もしあの葉巻が無ければ、きっと……。
活力に満ち溢れた息吹を深く味わいながら、俺は生命のすばらしさを実感する。
まさか、こんな気持ちになることができるなんて。
この世界に転生してきて、最大の奇跡を体験しているのかもしれない。
ふと見上げると、空は青く、雲一つなかった。
照り輝く太陽が、俺の瞳のなかに飛び込んでくる。
夢だと言われても驚かないであろう、蒼天日輪。
それを背に受けながら、俺は大公に向き直る。
「すまない。待たせたな」
俺は腰に下げた剣に手を伸ばしながら詫びる。
「始めるか」
心身共に巖の如く。
いささかも動ぜぬ寂然不動。
余裕を感じさせる仕草で、大公も柄に手をかける。
ほぼ同時に剣を抜いた。
授けられたばかりの剣なのに、持ち手に違和感を覚えない。
柄頭に添えた左手小指、そして、柄を押さえる両手の親指から感じる重さは竹刀のようで。
その刀身の長さも、俺が慣れ親しんだそれにそっくりだった。
俺は白く光を放つ神剣を前に出して、両手で構える。
左足のつま先をやや高くし、右足を深く踏む。
俗にいう"天地の足"を意識した中段の構え。
大公も、俺と同様に中段に構えた。
すべての構えに柔軟に変化することができ、攻めと防御の基点とすることができる"水の構え"とも呼ばれる中段。
それを間近で見るだけで、この男がどれだけの修練をして、武を練り上げてきたのかが分かった。
前世を含めて俺が剣を交えてきた相手など比較にならない猛者。
おそらく、この世界において最強に位置する人間。
だが、相対している間にも、俺の血潮は熱を帯び、全身の血管を脈打たせる。
さっき飲んだ酒が、柄を握る掌に力を宿らせる。
この世界に転生してきてから最大の苦境なのかもしれないが、それを跳ね返すだけの勇気を与えてもらったような気がする。
大公が構えた中段から、先を窺うように剣先を動かしてくる。
俺は落ち着いて構えながら、大公の剣先をいなす。
踏み込んでくるような印象を与えるために、大公は一瞬、前足のつま先に体重を移動させたが、それがフェイントであることを見抜けた。
俺は、少しだけ左に重心を動かすと、返し胴を打とうとする素振りを見せる。
大公は読み合いを楽しむかのように下卑た笑みを浮かべると、剣先での探り合いから引き、八双に構えて、俺に向かい合う。
咄嗟の突きに対応しづらい体勢をあえてとることで、誘い出そうとしていることは明白だった。
俺は少しだけ剣先を下げて出小手を意識させ、中段からの待ちの姿勢を崩さない。
まるでこの死合を天上から俯瞰しているような錯覚に陥りつつも、俺は冷静に大公の一挙一動に反応する。
そうしながら、俺は、湧き上がってくる感謝の気持ちを覚えていた。
こんな強敵と戦わせてくれた、運命に感謝しながら。
なぜなら。
この世界で出会った全ての人の愛が、俺をこうして世界の頂点との闘いに挑ませてくれたのだ。
再び、お互いの剣先を探るようなやり取りをし続けていた。
少し強めに払ったときだった、大公の手元があがり、構えが上段気味になった。
チートアイテムで強化された俺の膂力が、わずかながらに大公を上回っていたのだ。
俺が表から払ったことにより、少しだけ上段気味になった大公。
瞬間、周囲の草木の葉がそよ風に揺れるのを感じながら、俺の打つべき手が変わったように思った。
ある日本剣道の流派では、相手の攻撃に対して引くことを良しとせず、右に開くか左に転ずるか、さもなくば前に出ることを良しとする。
その教えに従い、俺は一気に攻めることにした。
全身で躍動するような面を、咆哮とともに俺は放った。
大公は上段気味になっていたこともあり、剣を立てて受けることで凌いだ。
だが、受けた後に鍔迫り合いになると、それを嫌がるように、俺の胴に蹴りを放ってきた。
咄嗟に後ろに蹴りの威力を逸らしながら、俺は引き面を放つ。
しかし、後ろに跳んだ大公に躱されてしまう。
距離をとる結果になったが、俺の剣が通用しているように思った。
距離が離れたことで少しだけ余裕が生まれた。
呼吸を整えるなか、俺の心に浮かんだのは、たった一つの願いだった。
今日の結果がどのようなものになったとしても、クリスティが無事であればそれで良い。
明日も君が平和とともに過ごすことさえできれば、それで良い。
「強くなったもんだ……。せっかく、あのとき潰してやったというのに」
大公が呻くように呟く。
「すまんな。お前の悪運を尽き果てさせるまでは死ねないらし……」
俺が言い終えようとした刹那。
"我が身切られに行くと思え"。
そう言わんばかりの捨て身の突きを大公が放った。
突く瞬間だけ力を入れ、両手を内側に絞った鷹の如き飛翔。
だが、正中線に沿って綺麗に放たれたそれを、首元をずらしながら剣先で外す。
外されたことを悟った大公は、懸命に切り返しを図るが、俺は左手の小盾に力を込めてはじき返す。
地上の様子を見下ろすかのごとき、天上からの俯瞰的視野。
それが、俺を守ってくれた。
小盾からのはじき返しにより、大公が体勢を崩した。
見逃す俺ではない。
すぐさま上段に構え、大公を袈裟斬りにする。
肩甲を亀裂を生みだしながら、俺の剣が大公の鎖骨を砕く。
そして、鎖骨の下にある肉に刀身を埋めていき……
決まった!!
そう思った瞬間、俺の剣がピタリと動くのを止めた。
胸に撃ち下ろされる途中だった俺の剣。
それを、大公は隆起した筋肉を硬めることで絡めとっているのだった。
死力を込めて、心臓まで斬り開こうとするが、梃子でも動かない。
俺の斬撃を止めるだけでなく、締め上げる筋肉の力で大公は自らの出血すら抑えていた。
化け物め……!
「ごめんなぁ。お前の
そう言うと、腰に下げていた短刀を右手で抜くと、左手を柄頭に添えて俺の腹に逆手で突き上げる。
「ぐぼっ」
腹に嫌な衝撃を覚えた。
命を刈り取らんばかりの決死の突き。
捨て身で狙っていたのは、これだったのか……。
だが、俺が剣を手放すことはなかった。
俺は再び力を両手に込めると、刺さった剣に全体重を乗せる。
突きを打った直後の大公には抗うだけの力は無く……。
激しく顔にかかる返り血を浴びることで、心臓に刃が届いたのが分かった。
「ああ……。負けた負けた……」
どこか穏やかな顔をしながら。
「良い嫁さんをもったなぁ。良い女は、男を強くしてくれるんだ」
そう言うと、大公は崩れ落ちるようにして息をひきとった。
呆然と、俺は大公の亡骸を見下ろしながら。
短刀を突き立てられたはずの腹部に自然と手をやっていた。
「そうか……。守ってくれていたのか……」
懐に収めていた、昔から使っているネタ帳。
それが貫ぬかれた先には、白銀色の光を放つ鎖帷子があった。
凶刃が彼女の愛を貫けなかったことを、今更ながらに理解した。
■■あとがき■■
2021.03.09
Carpentersじゃなくて、Me First And The Gimme Gimmesの方。
屈指の名曲なので、ぜひYoutubeで聞いてみてください。
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