1-17

「女神様は、実在するかだって?」

 アカデミーへ向かう途中で、ホルンはラートルに会い、歩調を合わせている。

「うん、昨日父さんに下水の事を聞いたら、なんでもかんでも女神様って言うんだよ」

「正確には、実在したっていう過去形なんじゃないのかい? 授業で先生は、そう言っているね。でも、実際のところは、女神様を信じているのは、大人だけって印象だけどね」

「そうなんだよね。やっぱりこの目で見ないと、信じられないよね?」

「まあ、僕は信じているけれどさ」

「え? そうなの?」

 驚いた表情を見せるホルンに、ラートルは道端の小石を蹴りながら答える。

「そりゃそうさ。兄ちゃんは、シールドの一員だよ? シュガーホープ七世様の思想は絶対なんだよ。兄ちゃんが信じているものは、僕も信じるのさ。君のお父さんが言うように、なんでもかんでも女神様のおかげなんだよ。この世界は、女神様とシュガーホープ様によって作られ、守られているんだ。それが現実なんだよ。って、兄ちゃんが言ってたよ」

 蹴り飛ばした石ころをラートルは走って追いかける。そして、振り返りホルンに向かって、石ころを蹴飛ばした。ホルンは、転がってきた石を踏んづけた。

「兄ちゃんが嘆いていたよ。ホルンのような女神様信仰の薄れをさ。ひいては、シュガーホープ様への感謝の気持ちが、希薄になっているってさ」

「そ、そんな事はないよ! シュガーホープ様は、実在するじゃないか! 女神様とシュガーホープ様をイコールで結ぶのは困るよ。背信行為だと思われたら、たまったものじゃない」

「でも、シュガーホープ様の思想を否定するのは、十分背信行為だと思うけどね。それがこの世界のことわりだよ・・・だから、『魔女の落とし子』には、厳しいのだと思うけど・・・」

 ラートルは気まずそうに俯き、ホルンの様子を窺うように目を上げた。

「ところでホルン。その後、ビッシュの様子はどうなの? 仲直りはできたの?」

 遠慮がちに尋ねるラートルに、ホルンは肩を落として溜息を吐いた。

「・・・まだ。それが一番の悩みの種だよ。『魔女の落とし子』うんぬんかんぬんは置いておいて、まずはビッシュとちゃんと話がしたいんだけど」

 そもそも、ビッシュに避けられてしまっている。昨日、ドラムに弁当を届けた帰り道、偶然にもビッシュを見かけた。知らない誰かと並んで歩いていた。見た事ない人だったけど、背の高い大人だったような気がする。二人の後を追い、民家の角を曲がった所で、見失ってしまった。最近のビッシュは、アカデミーの外では、知らない人と会っている。新しい友達でもできたのかもしれない。本来なら、それは喜ばしい事なのだろうけれど、ホルンにとっては複雑な心境だ。深く溜息を吐いたホルンが、右足を浮かせると、踏んづけた小石が砕けていた。

「あ、ホルン! ビッシュだよ」

 ラートルがホルンの脇腹を肘で突き、前方を指さしている。戸惑っているホルンに業を煮やしたラートルが、腕を引っ張って走り出す。

「ちょ・・・ちょっと! ラートル!?」

「いつまでもイジイジしてるなんて、ホルンらしくないよ!?」

 珍しく積極的なラートルに、心の準備ができていないホルンは、足が鉛のように重く感じている。ホルンを引きずるように走るラートルの動きがピタリと止まった。ラートルが前方に視線を向けたまま固まっている。ラートルの視線を追うように、ホルンが前を見ると、ビッシュとベンが相対していた。ベンが何やら叫んでいるが、言葉が理解できなかった。ホルンが慌てて走り出すと、ビッシュはベンを無視して歩き出した。ベンは呆然と、ビッシュの背中を眺めていた。首を傾げながら、ホルンはベンの隣で立ち止まった。

「ん? ああ、ホルンか」

 ベンは、頭を掻きながら、頭を傾けている。

「どうしたの?」

「いや、あいつヤバくないか? 何を言っても薄ら笑いを浮かべてやがったぞ。折角、今日こそリベンジをしてやろうと思ったのによ。やる気が一気に失せちまったぜ」

 人に不快感を与える為だけに生きているようなベンの、やる気をなくさせるほどの状態のようだ。挙句の果てには、ベンに心配されてしまっている。ベンの言葉に、ホルンは声が出せなかった。

「もうあいつには、関わらない方が身の為だな。ホルン、お前も気を付けるんだな」

 ベンは、ノシノシと歩き出した。

「・・・あいつは、『魔女の落とし子』だ」

 離れ際に放ったベンの言葉が、脳内で反響しているように感じたホルンは、体が固まって動けなかった。すると、ラートルが勢いよくホルンの背中を叩き、ハッと我に返った。

「どうしたんだよ、ホルン? いつもなら言い返して、立ち向かっていくじゃないか? 放っておいていいの? ベンの奴、お父さんに言いつけちゃうよ」

 ラートルの言う通り、確かにそれは非常にまずい。しかし、前のように、心の奥底からは何も湧き上がってこなかった。ホルンは、呆然自失といった様子で、ベンの背中を眺めていた。「いったいどうしちゃったんだよ? ホルンもビッシュも、ついでにベンも。みんな、何か変だよ?」

 ラートルが心配そうに眉を下げている。ホルンは、ゆっくりと歩き出し、アカデミーへ向かった。

 アカデミーの授業中、ホルンはずっと考えていた。考えて考え抜いていたが、何一つ考えがまとまらなかった。結局のところ、ビッシュ本人から話を聞くしかない。仲直りしてからとか、悠長な事を言っていられない気がしていた。今日こそは、アカデミーの帰り道に、ビッシュをとっ捕まえて、無理やりにでも話をするしかない。武力を行使されてしまうと、太刀打ちできないから、穏便に済ませるよう努力しよう。ホルンはそう決意し、ビッシュを見た。窓際の席に座るビッシュは、頬杖をつき外を眺めていた。

 授業が終了し、ホルンが立ち上がると、間の悪い事にサナが話しかけてきた。話題はビッシュの様子が変だという事であった。しかし、今はサナに構っている暇はない。が、サナから逃れる事はできず、磔をくらってしまった。自分の話したい事を散々まき散らした後、サナは満足気に帰っていった。ホルンは、慌ててビッシュを探したが、もうどこにもいなかった。ホルンは、急いで教室を飛び出した。

 廊下を走っていると、ビッシュが誰かと話していた。ホルンが目を凝らすと、相手は教師のシーフであった。少し気が楽になったホルンは、走る速度を落とした。ホルンが二人に接近すると、ビッシュが軽く頭を下げて、廊下を歩いていった。ホルンは、急いで速度を上げた。

「ベイスホーム君。止まって下さい。廊下は走ってはいけませんよ」

 ホルンがシーフの脇を走り抜けようとすると、彼は腕を広げて停止させた。

「先生、すいません! 急いでるんで、どいて下さい!」

「ダメです。私は、君に話があります。イングウェイ君の事です」

 シーフがビッシュの名を出し、ホルンの動きが止まった。

「先生!? ビッシュと何か話をしたんですか?」

「まあまあ、落ち着きなさい。話をするのは、これからです。以前、君とイングウェイ君が仲違いをした事は、君から教えてもらいました。それから、上手くいっていない事も」

 シーフが眼鏡を指で押し上げ、ホルンは肩を落として俯いた。

「・・・はい。避けられているのか、なかなか話もできません」

「やはり私も君達の事が心配で、何か協力したいと思いました。そこで、私も彼から色々と話を聞かせてもらう事にしました。君達の間に入って、緩衝材の役目を担うつもりでいます」

「それなら、三人で・・・」

 ホルンが顔を上げると、シーフは手のひらを向けて、顔を左右に振った。

「いいえ、やはり君がいると、正直に話せない事もあるでしょうから、まずは二人で話をしたいと思います。彼は私の部屋に先に行っています。これは教師の特権ですね」

 シーフが優しく微笑み、ホルンは顎に皺を寄せて小さく頷いた。確かに、教師に呼び出されたら、応じざるを得ない。

「ベイスホーム君。不安でしょうが、私に任せて下さい。今日のところは、君はもう帰りなさい」

「・・・分かりました。あの、先生。何か分かった事があったら、僕にも教えて下さいね」

「はい、もちろんです。では、気を付けて、さようなら」

「・・・さようなら」

 廊下を歩いていくシーフの姿を眺めながら、ホルンはゆっくりと頭を下げた。

「ビッシュの事を、よろしくお願いします」

 ホルンは、何もできない不甲斐なさに圧し潰されそうになりながら、溢れた涙が床に落ちた。

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