第1話 夢路の鬼1
にぎやかな音楽が流れるドラッグストア。
バッグが並ぶショーウィンドウ。
洒落た町家風の甘味処。
通り過ぎていく知らない言語に、それを追いかけていくキャリーの音。
大学進学を期に京都に帰ってきた美緒は、数年ぶりに寺町通を訪れた。
(懐かしい、けど……)
そこは記憶の中にあるものとは変わっていて、行き交う人達の中にたったひとりで取り残されてしまったようだ。
記憶と変わらない看板がわりに掲げられた大きな動く蟹と、風に乗って漂ってくるかすかな線香のにおい、明治時代からあるすき焼きが有名な店に安堵を覚えた。
「上を向いて歩こう……」
すれちがった人から聞こえてきた鼻歌は、誰もが知っている有名なものだった。
海外では、国によって曲名が「すき焼き」になっているのだと聞いたことがある。
曲にある歌詞のように、上を向いて歩いた方がきっといいのだろう。
けれど上を向いて歩いたからと言って、こちらに向かって投げられるものがなくなるわけではない。
(でも……)
浮橋美緒が下を向いて歩くようになったのは、自分を守るためだった。
上どころか前を見て歩いているだけで嫌でも目に入ってくる、こちらに向けられる視線や理不尽に投げつけられる言葉。
そうしたものに、もう疲れてしまったのだ。
それに下を向いて歩くのも、決して悪いことばかりではない。
アスファルトや石畳と歩く場所や履いている靴で足音が変わることや、一言で靴と言っても様々な形があることなどを知った。
数年ぶりに歩く寺町通は、随分と人が増えていた。
高校三年間を過ごしてきた東京よりも人の多さはマシではあるものの、新しい店が並び随分とにぎやかになってしまった京都にどこか寂しさと不安を感じた。
(大丈夫、大丈夫……)
こちらに向けられる足先に蹴られることがないように、踏まれることがないように。そして逆にこちらが誰かを蹴ってしまうことや踏んでしまうことがないように。
肩から掛けていた鞄の紐を持つようなそぶりで、不安で縮こまった心臓を腕でかばい、背中を丸め、こちらに向かってくる靴の波の間を縫うように歩いていく。
周囲から聞こえてくるざわめきは、ほんの少しでも美緒が気をゆるめてしまえば飲み込まれてしまいそうだ。
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