第51話 カンタくん

「愛梨さんは……あそこか。誰かと話してるみたいだな」


 ドローライトの副編集長、西園寺愛梨こと愛梨さんは、何やら偉そうな雰囲気が漂うおじさんたちと談笑していたので、今は俺が話しかけに行くのには都合が悪い。

 かと言って、東野もいないので、俺はこの場で一人ぼっちになってしまった。

 慣れていることではあるが、せっかくの交遊の場なので、一人でも多くの作家たちと仲を深めたいものだ。


「……と言っても……俺が入る隙はなさそうだな」


 俺は入り口側の壁に背中を預けて、会場中を見回した。

 既に打ち解けている人たちも多く、俺が見る限り一人ぼっちなのは俺とその他数名のみ。それなら良いじゃないかと思いもしたが、その他数名というのは編集長クラスの風貌をした初老ばかりなので、それは俺が一人ぼっちになっている理由とはまるで違う理由によるものだろう。

 怖くて話しかけられないとか、話しかけるのすら烏滸がましいとか、そんな感じだ。

 中には、一人で深い丸皿に料理を必死に盛りつけては食べ、盛りつけては食べを繰り返す小さい男の子もいるが、誰かの連れかなんかだろうか。


「おっ! 危ないな。誰があんな小さい子を一人にさせているんだ。親はどうしたんだ?」


 俺の腰くらいの身長しかない男の子が必死に背伸びをしながら料理をとっていたが、途端によろけ始めたので、俺は胸の前で組んでいた腕を瞬時に解放して重力魔法を発動させた。

 間一髪だった。後一歩遅れていたら、男の子は頭からフライドポテトの雨を浴びていたことだろう。


「ん? こっちに来るぞ。勘付かれたか? いや、まさかな……」


 再び腕を組み直して一つため息をつくと、件の男の子はとてとてとした覚束ない足取りで俺の方へ歩いてきた。

 右手には丸皿、左手にはフォーク。口の周りには食べかすがついている。

 幸いと言っていいのか、七五三を彷彿とさせる綺麗な青い着物は、汚れひとつない綺麗な状態だった。


「お兄ちゃん、どうしてひとりぼっちなの?」


 グサッ! 男の子が俺を見上げて発した無邪気な言葉が、俺の胸に刺さる音が聞こえた気がした。


「お兄ちゃんはここを護っているんだよ。いわゆる、孤高のヒーローってやつさ。だから一人なんだ。かっこいいだろ?」


 俺は膝を曲げて男の子と視点を合わせで、どこか臭いセリフを恥ずかしげもなく吐いた。

 ラノベ作家、それも異世界ファンタジーを書く人間は現実至上主義者には務まらない。常に心に厨二の心を持ち、頭の中で妄想を繰り広げる必要があるのだ。


「カッコいい! ヒーローっていいよね! あ、僕はカンタ、八歳だよ! よろしく、お兄ちゃん!」


「俺はニールだ。よろしくな、カンタ。ところで、カンタは一人なのか?」


 カンタの周りに保護者はいない。おそらく一人なのだろうが、念のため確認してみることにした。


「うん。お爺ちゃんがあそこにいるけど、少し忙しそうなんだ」


 カンタは円形になって話す四人のお爺さんたちを指差したが、俺はどの人がその人なのか全くわからなかった。


「そうなのか。カンタのお爺ちゃんはラノベ作家なのか?」

 

「ううん。違うよ。でもね、そのうちわかるよ! だって、お兄ちゃんも作家さんでしょ? それに、お爺ちゃんが言ってたんだけど、今日は新作の期待度ランキング? ってやつも出るらしいよ。お爺ちゃんたちはその予想をしているみたい!」


 カンタはまるでリスのように口いっぱいに食べ物を詰め込みながら、楽しそうに話を続けた。

 単なる予想でしかないが、おそらくカンタは関係者である自身のお爺ちゃんに連れられてここに来たのだろう。そうすれば合点がいく。カンタはまだ八歳だ。ラノベ作家が何なのか理解していない可能性も大いにある。


「それは楽しみだな。俺もランクインしてるように祈っておくよ」


「……んっぐっ……ぷはぁ! あ、もう料理がなくなっちゃった。もっと食べたいから、ばいばい! お兄ちゃん!」


 カンタは近くに来たウェイトレスが渡したオレンジジュースをグビグビと飲み干すと、嵐のように走り去っていった。

 子供の行動はわからないし、難しい。だが、それがいい。どこか気持ちが落ち着いた気がする。





 カンタが去ってから、もう二、三時間ほど経っただろうか。

 あれを皮切りに色々な人たちが俺に声をかけてくれた。そのほとんどが自作の宣伝や売上の話、未来への展望などを語っていたが、そんな話をしている人たちの目はキラキラと輝いていた。まるで遠い夢を見据えた子供のように。

 中には既に何巻も出版しているベストセラー作家もいたので、その話は非常に参考になった。


「……って、感じだ。正直、俺はもう疲れたよ。愛梨さん」


 俺は壁際に設けられたパイプ椅子に座りながら前傾姿勢になり、膝の上に肘を立てて背中を丸めた。

 このパイプ椅子は、どこか疲れた様子を見せていた俺のことを見かねて、裏から現れた黒服の男が用意してくれたものだ。

 

「そうね。私の方も大変だったわ。変態オヤジたちがセクハラ紛いの誘いばっかりしてくるのよ。相手は他社の編集者だし無碍にはできないから適当に遇らうのだけど、もうしつこくって……はぁぁ……。何とか逃げてこられてよかったわ」


 俺の隣に腰をかける愛梨さんは、ムッとした表情をしながら早口で捲し立てた。

 そして、最後には大きめのため息をついた。ずっと誰かと話をしている光景は見ていたが、まさか現場ではそんな舌戦を繰り広げていたとはな。若くして副編集長にまでなった愛梨さんは、その界隈では結構知られているのかもしれないな。


「それにしても夜まであるって話は聞いたが、さすがに長すぎないか?」


「この後、何か式典のようなものがあるらしいのだけど、詳しくはわからないわね。きっとそれが大層なものなんでしょうね」


 俺はカバンから取り出したスマホをチラリと見た。

 時刻はもうすぐ夕方五時になるかというところだ。後二時間あるにしても長すぎる。カンタが言っていた、新作の期待度ランキングが結構大々的に発表されるのかもしれない。


「ああ。盛り上がりも少し少なくなってきているし、よっぽど大層なものだろうな」


 今は当初のようなガヤガヤ感は目に見えて減衰しており、皆の表情には飽きが見える。

 今日色々と話を聞いてみた感じ、俺以外の作家のほとんどは、売り上げや発行部数、続刊の行方について心底気になっている様子だったので、きっと楽しんでくれることだろう。

 それと、この空気に水を刺さないために妹さんの体調や現状についての報告は後にしておくとしよう。きっと本人からメールかなんかで連絡が入っているとは思うが、一応約束は約束なので、俺は現場でまた妹さんの姿を愛莉さんに伝える義務がある。


「……東野はどこだ? それにカンタもいない」


 そんなことを考えながら、ぐるりと会場内を見回して気がついたが、愛梨さんを除いた俺の唯一の知り合いである東野とカンタの姿が見当たらなかった。

 まあ、東野は行動力のある人間だし、人気者だ。カンタに至ってはまだ八歳の子供だし、別に気にすることでもないので放っておこう。

 それに、もうそろそろ催し物が始まりそうな雰囲気だ。

 ステージ袖へと続く扉の前に、キュッとネクタイを締めた老人たちが列挙している。

 その光景を見て何か察したのか、五十数名のラノベ作家たちもステージの前辺りに集まり始めた。


「愛梨さん。そろそろ始まりそうですし、俺たちも行きましょうか」


「ええ、そうね。というか、このくらいの背丈の子供見なかった? 北国さんのお孫さんらしいのだけど……」


 俺に次いでパイプ椅子から立った愛梨さんは、キョロキョロと首を左右に振りながら俺に聞いてきた。


「北国さん? ああ、最初に挨拶した副会長か。一応、子供なら見たが多分愛梨さんが言っている子供とは別の子だ」


 北国道海。乾杯の音頭をとってくれた初老の男性だ。

 言っちゃあ悪いが、カンタはそんなお偉いさんのところの孫には見えなかったので、愛梨さんが言う子供ではないだろう。


「確か子供の名前は……。まあ、いいわ。新進気鋭の最年少ラノベ作家に挨拶をしておきたかったけど、またの機会に取っておくことにするわ」


「最年少ラノベ作家? それは逸材だな」


「ええ。あら、最後尾になっちゃったわね」


 俺と愛梨さんは話をしながらのんびりと歩いていたせいで、結局は最後尾からステージを見ることになった。

 ステージにはでかでかとしたモニターが設置されており、複数人の人の姿が見える。


「まあ、気にするな」


 特に気にする必要はない。会場が結構広いので、むしろ最後尾からの方が見やすいまである。

 もう数分で始まりそうだし、静かにその時を待つとしよう。

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