第46話 ライブハウス

「じゃあ、行ってくるねー! 明日の夕方には帰るようにするね!」


「おう。気をつけてなー」


 教科書が詰め込まれたランドセルを背負い、小さな手提げのカバンを左手に持ったネメフィは、空いた右手で手を振りながらエントランスから出て行った。

 

「ライブに行く間の留守番を頼む必要はなかったな」


 俺はドローライトから帰宅してすぐに、ネメフィに夜は家を空ける旨を伝えたのだが、ネメフィは詩子ちゃんの家にお泊まりに行くらしく、心配する必要はないと言われた。

 これで時間を気にすることなく、愛梨さんの妹のライブに行くことができる。ライブなんて生まれて初めて行くのでそこそこ楽しみだ。


「場所は……っと、少し遠いな。気配を遮断してテレポートで一っ飛びするか。テレポート」


 俺はカバンの中から取り出したライブチケットをチラリと確認し、すぐさま転移魔法を発動させた。

 そして、無事に転移が成功したことを入念にチェックしてから、気配を徐々に解放していく。

 というのも、気配を消しても実態はあるので、防犯カメラには映ってしまうからだ。

 近年の日本国は犯罪防止のための防犯カメラが至る所に設置されているので、ちょっとした魔法にさえ気をつけなければならないのだ。


「まあいい。取り敢えず中に入ろう」


 俺はキラキラと鮮やかな装飾された、こじんまりとしたビルの透明な扉をゆっくりと開いた。

 ちなみに、服装はいつものスーツ姿ではなく、ネットで購入した白シャツにネイビーのデニムを合わせている。ライブハウスにスーツは場違い感が凄いからな。


「地下にあるのか」


 ビルの中には一本の通路があり、手前には下の階へと続く螺旋階段。奥には幅の狭い上の階へ続く階段とエレベーターがあった。いくつか施錠された扉があるが、そこは関係ないだろう。

 俺は迷いなく下へ向かうことにした。気配を探った結果、下の階から数十の気配を感じ取ることができたからだ。


「ここか。イヤにごちゃごちゃしてるな」


 螺旋階段を下り終えると、すぐ目の前に山小屋にありそうな古びた木の扉があった。扉の中央には『お飲み物の持ち込み禁止』と書かれたはり紙がある。

 さらに、壁や扉の至る所にベタベタと様々なポスターが貼られており、そのカラフルさが道の圧迫感を増幅させている。


「中から音が聞こえるし、ここであっていそうだな」


「あっー、ワンドリンク、五百円でぇーす。チケットも一緒に見せてくださぁーい」


 俺の手によって木の扉が、キーーーーッという高い音を立てて開かれると、俺はすぐそばのカウンターに腰掛けていた男に声をかけられた。

 男はスマホを弄りながら気怠げな声色でそう言った。

 雰囲気や服装からしてバイトの大学生で間違いないだろう


「……これで大丈夫ですか?」


「あざぁーす。あ、席とかないんで、テキトーにどぞっ。ドリンクはあっちにありやぁーす」


 大学生の男は俺が渡した500円玉を受け取り、チケットを切ると、俺と一切目を合わすことなく、自身の背後に指を差した。

 別に俺は何とも思わないが、こんな態度だと反感を買っても何も文句は言えないな。


「開演十分前ってこともあって結構賑わってるんだな」


 俺はドリンクの受け取り口で水の入ったペットボトルを受け取り、初めてのライブハウスの風景をじっくり見回していた。

 二人組のアイドルということで男性客がほとんどだ。

 ステージはまだ暗いというのに、皆が皆ペンライトを両手に持って鼻息を荒くしている。


「ん? あの男……。ああ、愛梨さんには内緒にしておくか」


 高さのあるステージから程近い距離にギュッと押し固まる男性客の中に、見覚えのある男性が一人いた。その男性はいかにも堅物な見た目で、俺が以前助けたことがある。

 そう。某ドローライトで編集長を務めている花柳院繁かりゅういんしげるだ。趣味のない男だと勝手に思っていたが、まさかアイドル好きだったとはな。

 彼のイメージ像が崩れては迷惑がかかるかもしれないので、ここだけの秘密にしておくとしよう。


「もう始まるか」


 俺はポケットから取り出したスマホで時間を確認した。時刻は19時になろうというところ。後一分とたたずにライブが開演する。

 俺は壁にもたれながらステージ上を見つめる。

 その瞬間。バッとフロアの照明が一気に消灯した。同時にステージの照明が点灯すると、アイドルらしいポップな音楽が流れ始めた。


「——みんなー! 今日は、私たち【A-Style】のライブに来てくれてありがとーーーーーー!!!!!」


 そしてそれから瞬きをする間も無く、ステージ袖から二十歳に満たないであろう女の子が一人出てきた。

 カジュアルな制服のような、フリフリとした黒い衣装を着ており、満面の笑みで手を振っていた。

 彼女が愛梨さんの妹だろうか。もう一人を見てみないとわからないな。


「「「「ウォォォォォォォォォォッ!!!!! セナちゃーーーーーーーーーーんッッッ!」」」」


 それに対して五十数名ほどの男たちは、オペラ歌手顔負けの声量で呼応した。

 フロア全体の空気が震えるほどの、とてつもない叫び声だった。


「じゃあ、今日もみんなでサヤのことを呼ぼっか! いっくよーー! せーーーっの?」


「「「「サヤちゃーーーーーーーーんッッッ!!!!!」」」」


 先ほどよりも大きな声は、まるで地鳴りのようだった。

 背後にいるカウンターの大学生の男も、煩わしそうな顔をしながらヘッドフォンをつけている。


「はぁーーい! 一曲目は……ハレ時々アメだよっ!」


 未だ姿を現していない、おそらくサヤちゃんであろうその声の主は、元気な返事をしてから曲のタイトルを叫んだ。


「私は恋をしていたの。夢ぐらい好きに見させてよ。ココロは常に雨模様——」


 男たちの叫び声は、ステージ袖から歌いながらゆっくりと現れたサヤちゃんの歌声がフロアに響くと同時に、徐々に静かになった。

 皆が息の合った動きでペンライトを振り、うっとりとした雰囲気で聞き入っていた。


「ん? あの子は……」


 しかし、俺は歌詞の内容や意味などは全く頭に入らず、一つの疑問が頭によぎっていた。


「昼ごろにぶつかったあの子か? まさかアイドルをしていたとはな。あの子が愛梨さんの妹か……いや、まさかな。そんな偶然あるわけ……」


 サヤちゃんは最初に出てきたセナちゃんが着ている黒色の衣装とは対極的な、真白い衣装を着ていた。

 デザインは全く同じものだが、真逆の色なので別物に見えなくもない。


「……どっちが愛梨さんの妹かわからんが、今はライブを楽しむとしよう。どのみち、二人とも特に体調も崩していなさそうだし、愛梨さんの依頼は達成できたな」


 俺はワンドリンク制によって買わされた五百円の水で喉を潤し、目と耳の神経を目の前の光景に集中させた。

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