第44話 雨降りの月曜
「お前が
俺はごく普通のハゲたおっさんに声をかけた。
「な、なんやわれ! そないな紙ぃ手にしてワシになんかようかいな!」
おっさんが振り返ると同時に、俺は懐から取り出した指名手配書を見せつけた。
手配書には捕まえた際の報奨金と犯人の氏名、顔写真、犯人が起こした事件とその場所が事細かに記されている。
このおっさんを警察に突き出した場合の報奨金は、なんと5,000,000円だ。
「その顔とその反応、当たりだな。ここで捕まえて警察に突き出してやる」
まさか、本当に真昼間の公園のベンチにいるとはな。SNSには真偽が不明な情報が無数に飛び交っているが、今回は当たりだったらしい。
「はっ! ばかなことを言いよってからに。お前みたいなヒョロガリがワシに勝てるわけないやろ! ワシはこう見えて昔は『ストリートの伝説』と言われてきたんやで! それにここは住宅地や。手ェだして損するんはお前や」
おっさんはケタケタと笑うと、公園の砂場にいる園児と、そのそばで見守る保護者のことを指差した。
その口ぶりからは確かな余裕を感じる。
だが、俺からすればそんな余裕はチンケなものだ。
「結界、人払い。人気があるならなくせばいい。今日でお前が十人目の殺人犯だ。おかげで報奨金の総額は28,000,000円。一週間でこれだけ稼げれば上出来だ」
俺は左手で指を鳴らし、人払いの結界を辺り一帯に張った。
これで俺とおっさんには、誰一人として干渉することが完全にできなくなった。
人払いというより、別の空間を創り出すという表現の方が正しいのかもしれない。
「くっ、な、なんや! この空間は! おのれは何もんや!」
闇が全てを支配した空間でいくら暴れ回ろうと意味はない。ここから自由に出られるのは俺だけだ。
「答える義理はない。すぐに楽にしてやる。刑務所で罪を償え。スタイフル、空気のない世界へようこそ」
俺はおっさんから全ての空気を奪った。
つい最近創り出したオリジナルの魔法だ。名付けて窒息魔法。常に首を絞められているような感覚に陥り、苦しみながら気を失わせることができる。
「ゥゥッ! グゥッ! ァァァ……ァ……じ……ぬ……」
おっさんは懸命に呼吸をしようと、金魚のように口をパクパクと動かしていたが、僅か五秒で白目を剥いて倒れ伏した。
◇
『続いてのニュースです。凶悪殺人犯として指名手配されていた男が、またもや逮捕されました。これで一週間連続、十人目となります。遺族も多大な感謝をしており、指名手配犯を警察に突き出した人物を探しているとのことです。いやあ、犯罪心理研究家の佐藤さん。警察に突き出した人物の目的はなんですかねぇ———』
ラーメン屋でチャーハンを食っていると、壁にかけられた小さなテレビで、あるニュースが流れていた。
「大将。この指名手配犯を警察に突き出した男ってのは、やっぱり同一人物なんかねー」
「俺はそう睨んでるぜ。何の目的があっての行動かは話からねぇが、きっと聖人君主みたいな考えを持ったヒーローなんだろうな。殺人犯に立ち向かうくらいだ。勇気と度胸と腕っ節はとんでもねぇだろうよ」
カウンター席に座る常連らしき男の問いに、ラーメン屋の大将は腕を組みながら答えた。
別に俺は聖人君主ではない。目的はただの金稼ぎだ。
スクラッチや競馬は少し気が乗らなかったから、指名手配犯を狩る遊びをしていたに過ぎない。
「だろうな。俺もそんな力が欲しいなー」
「無理無理。あんまり夢は見ねぇほうがいいぜ。現実は小説よりも奇なりって言うだろ? 今の現実を楽しめばいいんだよ」
「それもそうか」
「「アッハッハッハッハ」」
「ごちそうさまでした」
テレビのニュースの話題でケラケラと二人が爆笑し始めたので、俺はひっそりと店を後にした。
もちろんチャーハンは全て胃の中に収めた。
「”報奨金の振り込みは大金のため来月”か。まだ金は余ってるし、来週には俺の小説が出版される。その次の週には事務所経営がスタートする。楽しくなってきたな」
今日は生憎の雨降りの月曜。傘をさした俺は曇天模様の空をじっと眺めて呟いた。
朝方からしっとりと弱い雨が降り続いているせいか、人通りも普段よりは明らかに少ない。
そんなことを考えながらも、俺は歩き始めた。
いつもより人が少ないとはいえ、人酔いする一歩手前くらいの人数は通りにいるので、同じところで立ち止まっていても迷惑だ。
「最近は西園寺さんにも千春ちゃん親子にも会えていないな。出版したら挨拶しに行くか」
俺はゆっくりと歩きながら考えた。
時たま連絡を取ってはいるが、どれもイラストの確認や出版時期の連絡などの業務的なものがほとんどだ。
今度会うときは久しぶりに普通の世間話でもしたいものだ。
千春ちゃん親子の近況も気になるしな。
「それにしてもなかなか止まないな——っと、すみません。よそ見してました。お怪我は?」
ぼーっと空模様を眺めていると、胸の辺りに相手の頭だろうか、とにかく人がぶつかってきた。
「大丈夫。私も、よそ見してたから。あなたは平気?」
ぶつかったのはダボっとしたパーカーを着た女性だった。下にはタイトなジーンズを履いており、一眼ですらっとした体躯だということがわかる。
また、傘はさしていなかったのか、全身がじっとりと濡れていた。弱い雨なのでここまで濡れることはないと思ったが、遠くから傘も刺さずに走り続ければこのくらい濡れるだろう。
「ええ。平気です。これ、あなたのボールペンですよね? どうぞ」
俺は膝を曲げてから、傘を持っていない方の右手でアスファルトの上に転がるボールペンを拾った。
ボールペンには【目指せ作家デビュー! ドローライトへ!】と書かれていて少し気になりはしたが、すぐに女性に渡した。
「ありがとう。あ、ごめん、なさい。お兄さんの体が私のせいで濡れちゃった。それに、私、勝手に傘に入ってる」
女性は対面している俺との距離が数十センチしかないことに気がついたのか、すぐに俺から距離を取った。
それにしても喋り方がのんびりだな。一つ一つの単語を区切るようなおっとりした口調だ。
「いや、気にしないでください。あっ、そうだ! 良かったらこれ、使ってください。折り畳みなんで少し小さいですが、濡れて風邪を引くよりはマシですから。使い終わったら捨ててくれて構いません。名前書いちゃってますしね」
「……田中……さん」
俺はカバンの中から赤色の折り畳み傘を取り出して、女性に渡した。女性は口下手なの何なのか、それだけ言うと、ペコリと無言で頭を下げた。
水気を帯びた結ばれていない明るい茶髪は、重力に従って下に垂らされた。
「それじゃ、失礼します。お気をつけて」
俺は女性が顔を上げるのを待ってから、その場を立ち去った。
見たところ年齢は二十歳前後だろうし、ついつい無理をしてしまう時期だろう。
体調管理には気をつけてほしいものだ。
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