第43話 オーディションの結果

「テスト週間終わったーーーーーーーーー!!!」


 ネメフィは部屋の床一面に敷かれたカーペットの上で大の字になると、開放感あふれる声で叫び声を上げた。

 左右それぞれの手にはお気に入りのお菓子が握られている。


「一週間お疲れ様。勉強を頑張った甲斐もあって、全教科満点だな。凄いじゃないか」


 俺はネメフィのテストの答案を見ながら言った。

 五科目全て満点という素晴らしい結果に終わった。

 私立なので並の公立高校よりは難しいはずだが、ネメフィは幼いながらもかなり要領が良いので、俺が一度教えるだけでほぼ完璧に理解していた。


「へへんっ、当たり前だよ! ニールが忙しくて僕に勉強を教えられなかった時、僕は一人で勉強してたんだから!」


 ネメフィはスッと立ち上がると、両手にお菓子を持ちながら腰に手の甲を当ててドンっと胸を張った。


「俺の方と少しやることがあったんだ。まあ、何はともあれテスト週間は終わったことだし、今日からは好きに過ごしてくれ。それと、俺はこれから人と会ってくる。帰りは夕方になりそうだ」


 この一週間。来月起業する予定の事務所の打ち合わせで非常に忙しかった。

 特にジュリアスとの打ち合わせという名の勉強会はかなり難航したが、ジュリアスは俺に経営とはなんたるかをゼロから全て指南してくれた。

 おかげで、俺は異世界で培った超人的な記憶力を活かして、様々な知識を手に入れることができた。

 さらにその間に社名が決定した。その名も【ファンタジスタミュージック】だ。現代にはないような独創的な音楽を生み出すことをテーマに、人々の忘れかけたファンタジーな心を呼び覚ますことを目標にしている。

 社長は俺。顧問弁護士はジュリアス。その他の人材はこれから募っていく予定だ。


「ふひっ……へへへ……」


「ニール……なんで笑ってるの? さすがの僕でも引く時は引くからね?」


 つい気持ちの悪い笑みをこぼした俺に向かって、ネメフィは辛辣な言葉をぶつけてきた。


「……すまん。感情が溢れ出てしまった。なんの話をしてたかな……あぁ、帰りが遅くなるって話か。帰り際に夕食を買ってくる予定だが、何かリクエストはあるか?」


「うーーーん……あーっ! この前、テレビでピザ? っていうのを見たから、それを食べてみたいかも! 美味しそうだったし!」


 ネメフィは悩ましい声をあげると、ぱっと右手を挙げて発言した。

 授業中に手を挙げる癖が、家の中でもでてしまったのかもしれない。

 活発なのは良いことなので放っておいても問題ないだろう。


「ピザか、わかった。少し遅くなるかもしれないから、大人しく留守番しているんだぞ。いいな?」


「はぁーい……お菓子、うまうまぁぁ……!」


 ネメフィはポテチの袋を豪快に開けると、気の抜けた返事をしてから口の中に数枚のポテチを放り込んだ。

 俺はその姿を見て大きなため息をついてから、転移魔法で待ち合わせ場所に程近い地点に転移した。

 時間的にはまだ少し早いが、待っている間に本人の口から良い結果を聞けることを願っておくとしよう。






「で、どうだった? オーディションの結果は」


 俺はやや前傾姿勢になりながら聞いた。

 テーブルの上で組む指にも自然と力が入る。


「……」


「ダメだったのか? トミー」


 目の前に座るトミーは口を真一文字にして黙り込んだ。

 テーブルに置かれた透明なコップに視線を向けており、その表情はこちらからは伺うことができない。

 今日から一週間前に全く同じカフェの全く同じ個室にいた時はもう少し空気が柔らかかったはずだが、今はその時とは対照的に、しんと張り詰めたような緊張感のある空気が漂っている。


「……しました」


「え?」


 数十秒後。換気扇の音以外が聞こえない空間の中で、トミーがようやっと口を開いたが、突然のことで俺はその言葉を聞き逃してしまった。

 しかし、心臓はバクバクと音を立てていた。

 続きを聞きたいような聞きたくないような、トミーの回答次第で大きくリアクションが変わるだろう。


「合格……しました。ボ、ボク、 adexのオーディションに合格することができましたぁ!」


 だが、そんな俺の思いとは裏腹に、トミーは堂々と俺に合格した旨を告げた。

 瞳は涙で潤んでおり、その喜びがどれほどのものか理解することができる。


「ほ、ほんとか? 良かったな! これでめでたくメジャーデビューか。いやぁ、耳を治した甲斐があったよ。やっぱりトミーの歌声を聞いた俺の目と耳に狂いはなかったんだな」


「はい。本当に田中さんのおかげです」


 トミーは照れ臭そうに微笑んだが、どこか本心が見えないような気もする。


「オーディションの当日に合格発表があるって聞いたが、本当だったんだな。今日は突然連絡して悪かったな。どうしてとお前の口から合否が聞きたかったんだ」


 昨晩。adexのオーディションの最終審査がその場で発表されることを知った俺は、急遽トミーに連絡を入れて、このカフェに来てもらったのだ。


「あ、ありがとうございます……」


 俺の喜びの感情とは裏腹に、トミーはどこか納得のいかないような顔をしていた。

 遠慮がちなのは普段のトミーと変わらないから、どうしても喜びを噛み締めているようには見えなかった。違和感を感じる。


「どうしたんだ? そんなに浮かない顔をして。数千人規模のオーディションを勝ち抜いたんだし、もっと誇ってもいいんじゃないか?」


 俺は言葉を言い終えてから、緊張で乾いた喉を水で潤した。

 堂々とすることは別に悪いことではない。謙虚な姿勢も大事だが、感情を露わにすることも時には許されるだろう。


「じ、実は……」


 トミーはおそるおそると言った感じで口を開いたが、すぐに言い淀んだ。

 まるで、テストの結果を隠そうとする子供のように見えなくもない。


「ん? なんだ?」


 デビュー曲やデビューする時期決まった報告なのだとしたら相当めでたい話になるが、そういうわけではなそうだ。


「実は合格したんですが、お断りさせていただきました」


「……今、なんて? 断ったのか……?」


 俺はその言葉を聞いた瞬間に全身が一気に脱力した。


「今から理由を説明します。ボクが今回のオーディションに合格できたのは、田中さんのおかげだと思っています」


「俺のおかげ……か」


 大したことはしていない。俺は互いにメリットがあるのではないかと思って、手を差し伸べただけだ。


「はい。そして、先週のあの時までボクの耳は、半年前に受けた三次審査の時よりも明らかに症状が悪化していました。田中さんの声はどういうわけか聞き取りやすかったのですが、他の人の声や物音は今の状態に比べて半分以下しか聞こえません。本当に感謝しても感謝しきれません」

 

 トミーは椅子から立ち上がると、「ありがとうございます」というお礼の言葉とともに、俺に深く頭を下げてきた。

 俺の声が聞き取りやすかったのは、声に魔力が込められているからだろう。

 俺の魔力は人の体内に必ずある微弱な魔力に干渉することができるのだ。その効果は大したものではないが、今回のように声が聞き取られやすかったり、理解度を深めさせたりすることができる。

 魔力を込めるかどうかのオンオフと調整することが可能なので、かなり便利な能力だと言える。


「……それが理由なら今すぐにでも合格を断ったことを取り消した方が良い。それとも何か? 実家に帰りたくなったのか? 別にそれなら俺は止めないぞ」


 オーディションに合格したので、adexからは確実にデビューすることができるはずだ。しかし、トミーはその合格を断ってしまったので、前の口約束の通りなら実家に帰ることになる。


「ボクは音楽を続けますし、実家には帰りません」


「じゃあどうするんだ?」


 堂々と言い放ったトミーに俺は問うた。

 何かアテでもあるのだろうか。adexを諦めるとは相当な覚悟が必要なはずだ。


「田中さん。ボクを、ボクのことを、あなたの事務所に入れてくれませんか! 一度断ったボクなんかがこんなことを言うのはおかしいのかもしれませんが、ボクは田中さんに感謝しているんです! ボクは静かな田舎で生まれ育ち、円満な人々とたくさん接してきたので、人のことを見る目はあるつもりです。だから、ボクはadexに入るよりも、あなたと仕事をしたいと思いました!」


 トミーは耳を疑うような多くの言葉を吐くと同時に、これまで以上に深く頭を下げた。

 感謝の念は十二分に伝わった。しかし、俺にも言い分がある。


「……正気か? 一週間前に誘った俺が言うのもなんだが、来月からスタートする零細事務所だぞ? adexの方が全てにおいて何十倍も上だ。トミー、少し考え直した方がいい。目の前に転がるチャンスを逃すな」


 俺は椅子から立ち上がり、頭を下げ続けるトミーの目の前に行った。

 俺のところに入ってくれるという判断をしたことは嬉しい限りだが、俺はお願いを聞き入れることはできなかった。


「今目の前にあるチャンスと一生に一度しかない出会い。どっちを取るかは火を見るよりも明らかです!」


 しかし、トミーは言葉を一切濁さずに、堂々と言い放った。

 温和な普段の瞳とは違う鋭い瞳は、俺の目をじっと捉えて離さない。


「……わかった。そこまで言うのなら、俺も首を縦に振る以外の選択肢はない。トミー、いや、冨岡銀次。君のことを歓迎しよう」


「はいっ!」


 俺がトミーに右手を差し出すと、トミーは裏表のない純朴な満面の笑みを浮かべて、両手で俺の右手を包み込むように握った。

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