第40話 カマネェは突然に
「ニールー、ジュースいれてー。それとティッシュも取ってー」
明朝。ネメフィは椅子の上で足をパタパタとさせながら、いつものように俺を頼り始めた。
昨日の夕方に詩子ちゃんが来た時はそれほどわがままを言わなかったが、普段のネメフィは常にこんな感じだ。
最初は異世界から日本に来た不安からくるものだと考えていたが、そういうことでもないらしい。生まれ持った魔王の血筋が自然と人に命令しているようだ。
「はぁ……それくらい自分でやれ」
そんなことを言いつつも、俺はネメフィが差し出したグラスにジュースを注ぎながら、テーブルの端にあった箱ティッシュを、魔法でネメフィの目の前に置いた。
これは決して服従しているわけではない。本当だ。
ただ、後三ヶ月も経てば、ネメフィは異世界に帰還することができるくらいの魔力が貯まるので、それまではこうしてわがままに応じてあげているだけだ。
「それより時間はいいのか? もうそろそろ出発しないと遅刻するぞ?」
俺は壁にかけられた時計を指差した。
時刻はあと少しで八時を回ろうかというところだ。ここから小学校までは約二十分、登校時刻が八時三十分までということを考えると、悠長にしていられる時間はほとんどないだろう。
「あぁっ! 早く言ってよ! 遅刻したら宿題多くなっちゃうから!」
「あと五分寝かせて……を三回繰り返したのはどこのどいつだ。玄関に道具をまとめておいたから急げ」
俺は昨晩ネメフィが寝ている間に、授業に必要な全ての道具をまとめておいた。
だが、いくら魔王の血が通っているとはいえ、これくらいはしてほしいので、今度からは寝る前に全ての準備を済ませるように言い聞かせておこう。
「う、うん、ありがと! いってきまーす!」
「おう、気をつけてなー」
俺はテーブルに並べられた空の皿を魔法で片付けながら、玄関にいてここからでは姿の見えないネメフィを、言葉のみで送り出した。
ここから夕方までは俺の時間だ。ぱぱっと全ての部屋の掃除と整理を終わらせるとしよう。
○
「TATSUYAの開店は十時からか。少し早く来すぎたな」
俺はスマホとTATSUYAを交互に見ながら言った。
ネメフィを小学校に送り出し、九時過ぎにTATSUYAに訪れたらいいものの、開店時間は十時だった。
後三十分ほど時間があるが、どこで時間を潰そうか。
「ここは人が多くて人酔いしそうだし、裏路地で静かに待つか」
大通りに面していることから、この辺りは平日だというのにかなり人が多いので、俺は適当なビル間にできた裏路地へ向かった。
昨晩、誰かがたむろしていたのか、タバコの吸い殻や空の酒瓶などが散乱していた。
まあ、俺は人が来なければどこでもいいので、取り敢えずはここで開店時間を待つことにした。
「——ねぇ、そこのお兄さぁーん? 暇なら今からアチシとお茶しない?」
ぼーっと空を眺めていると、大通りと裏路地を繋ぐ一本道から、妙に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
まさか……この声は……?
「……カマネェ……」
俺は謎の危機感を感じて、半歩ほど前に踏み出しながら振り返った。
すると、案の定と言うべきか、そこには青髭で筋骨隆々の大男、カマネェが佇んでいた。
前回と同じく、露出の激しいピチッと肌に張り付くようなピンク色のタンクトップを着ており、坊主に程近い短髪も明るいピンク色に染められている。
まさかこんなところで邂逅するとは……。はっきり言おう。最悪だ。
「あらん? あなた、あちしのこと知ってくれているの? アチシはあなたみたいなパツキンボーイのことを知らないわよぅ?」
カマネェは前腕に走る筋を見せびらかすように両腕を組むと、女性のような仕草で上目遣いをしていた。
上目遣いと言っても、カマネェは身長が二メートルほどあるので、どうしても可愛くは見えない。
それに、そもそもオカマは俺の恋愛対象ではない。
「知り合いに似てたもので、勘違いをしてしまいました。では、失礼します——」
「——待ちなさいよぅ。つれないわねぇ。」
俺は適当にお辞儀をして立ち去ろうとしたが、カマネェは踵を返した俺の前に立ち塞がってきた。
俺とカマネェの距離はおよそ50センチ。手を伸ばせば容易に届く距離だ。
「何か僕に用でもありましたか?」
俺は再び半歩ほど距離を取った。
ちなみに、カマネェは俺にあの時の記憶を全て消去されているので、俺に関しての出来事は何一つ覚えていない。
「だーかーらーぁ、今からアチシとお茶しない? ちょうど男を切らしてて退屈してたのよぅ! どぉー? ホテル代はコッチ持ちよ?」
「はぁぁぁぁ……嫌です」
わかっていたことだったが、やはりお茶というのはそういう意味だったようだ。
ホテル代云々関係なく行きたくない。
「断るのかしら?」
「ええ。俺は用事があるので、連れて行きたかったら力ずくでどうぞ?」
カマネェはピクリと眉を動かして、苛立ちを隠せていなかったので、俺は周囲に聞こえないように小声で挑発した。
両手を広げ、「いつでもかかってこい」というようにアピールをする。
俺はカマネェと一悶着あったあの時に、カマネェの怒りの沸点が低いことを覚えていたからだ。
「ふぅーん。そこまで言うなら、力ずくで連行させてもらうわよ? 本当にいいのかしら? ここは全く人が来ない裏路地よ。パツキンボーイはその細くて弱々しい、アチシに抱かれるためにあるような体で、何ができるのかしら?」
カマネェは舌舐めずりをしながら、俺の体を視姦するように見てきた。
まるで90年代のヤンキーが喧嘩をする前のように、首と指の関節をゴキゴキと鳴らしていた。
余裕を孕んだ笑みは「諦めるのなら今のうちだ」とでも言いたそうに見える。
「やってみればわかりますよ。十秒……いや、三秒でいい」
俺は頭の中で戦闘のシミュレーションをした結果、カマネェを倒すには三秒で足りると判断した。
まずは、カマネェが豪快に振りかぶった右の拳を回避する。次に、攻撃を回避されて動揺したカマネェの無防備な鳩尾に一発。最後に、腹の痛みを堪えて覆い被さるようにして襲いかかってくるカマネェに背負い投げをする。
「フハハハッ! 舐めんじゃないわよぅ!」
「回避……鳩尾……背負い投げ。終わりだ」
勝負は俺のシミュレーション通りの結果に終わった。
異性よく右の拳を振りかざしたカマネェは、苦痛の声を上げるまでもなく、難なく俺に背負い投げをされて意識を絶った。
「はぁ……面倒だ。クリアメモリー、俺に関する全ての記憶を忘れろ。そして、今後二度と悪事を働くな」
俺は白目を剥いて仰向けになっているカマネェの記憶を書き換えた。
これで、カマネェは明日からボランティアに勤しむ善良な市民になるだろう。
勝手に俺のいいように記憶を書き換えるのはどうかと思ったが、俺は明確な危害を二回ほど加えられているので、仕方のない判断だろう。そう自分に言い聞かせた。
「よし。おっ、そろそろいい時間だな。TATSUYAで聞き込みを開始するか」
俺はカマネェに回復魔法をかけてから、じめじめとした薄暗い裏路地を後にした。
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