第39話 近所のお兄さん

「すごい、すごいです! 手を使わずに、グラスにジュースを注ぐなんてマジック……私は見たことも聞いたこともありません!」


 詩子ちゃんは椅子から身を乗り出して、瞳をキラキラと輝かせていた。

 まるで初めて魔法を目にした時の俺みたいだった。


「ハハハっ! それじゃあこれはどうだ?」


 その言葉に少し気分が良くなった俺は、パチンと指を鳴らして、ジュースの注がれたグラスを宙に浮かせた。

 ちなみに、指を鳴らす必要は全くない。これは俺のことを詩子ちゃんが、マジシャンだと勘違いしているからだ。つまりは演出だ。


「……僕だって魔力さえあれば簡単にできるのに……」


 ネメフィは目を細めながら、豪快に笑っている俺のことを睨んでいた。


「今は静かにしてろ。くれぐれも俺が毎日コツコツあげた魔力を使うなよ?」


「はぁーい。僕は残ったケーキでも食べてるよ」


 俺がそんなネメフィのことを咎めると、ネメフィはテーブル上にあるケーキが乗った皿を自身の目の前に寄せ集め、豪快にフォークを立てた。

 拳ほどの大きさのケーキが五個ほどあるが、ネメフィは全て食べる気らしい。


「詩子ちゃん。どうかな? 俺がマジシャンだと信じてくれたかな?」


 俺は詩子ちゃんに向き直って、自慢するような口調で堂々と言った。

 決して魔法だとバレてはいけないが、強引な手段に出るのはもっと良くない。

 なぜなら、バレたら前後の記憶を消し、ネメフィとの交友を絶ってもらうことになるからだ。

 詩子ちゃんはせっかくのネメフィの初めての友達なので、穏便かつ仲良く過ごしてほしいものだ。


「うわぁぁ……! もしかして、マジックって何でもできちゃうんですか?」


「……まあ、大抵の事なら可能だね」


 マジックという範疇に収めるならば、大抵の事は不可能だろう。しかし、俺のは魔法だ。大抵どころか、現代においてはほぼ全ての不可能を可能に変えることができる。


「じゃ、じゃあ! 病気を治すこともできますか!?」


 詩子ちゃんはテーブルをバンっと叩いて前のめりになると、必死さが容易に伝わる表情で聞いてきた。


「病気? 詩子ちゃんのこと? それとも詩子ちゃんの知ってる人?」


「えとえと……私じゃなくて、私の家の近所に住んでるお兄さんなんですけど……」


 詩子ちゃんは冷静に受け答えをした俺を見て少し恥ずかしがると、静かに椅子に座り直した。


「ふむ……。どんな病気なんだい?」


 今の俺は絶賛暇をしているので、話を聞いてみることにした。もしかしたら、何か良い出会いがあるかもしれないしな。


「そのお兄さんは歌手を目指しているんだけど、少し耳が悪いみたいなんです。本人はなんでもないって言うんですけど、私としては心配だから病院に行ってほしくて……」


 歌手を目指す人間にとって耳の良さは命に等しいだろうし、詩子ちゃんが治してほしいと思うのも当然だな。

 俺が首を突っ込んでいい話題なのだろうかと一瞬考えはしたが、ここは首を突っ込まさせてもらおう。

 せっかくの歌手だ。俺の次の計画のために接触するのも悪くはないだろう。


「お兄さんが心配か?」


「はい。とても……」


 俺の問いに、詩子ちゃんは目を落としながら答えた。


「よし、わかった。俺がお兄さんのことを助けてあげよう! これから話を……と、言いたいところだけど、もう少しで暗くなっちゃうから今日はもう帰ったほうがいい」


 高層マンションの窓越しから見る空は、既に薄らと赤く染まっていた。

 あと二時間も経たないうちに真っ暗になるだろう。


「ニール。僕たちは明日から”てすとしゅうかん”? が始まるみたいで、友達と遊ぶことができないんだよ」


 ネメフィは口の周りに生クリームをつけながら言った。喋りながらも、もぎゅもぎゅと口いっぱいに含んだケーキを咀嚼しており、目は完全に蕩けていた。


「本当か? 詩子ちゃん」


 俺は信憑性が定かではないので、ネメフィに確認をすることにした。

 右隣からの俺の右頬に突き刺さるネメフィの視線が痛いが、特に気にしないことにする。


「はい。本当です。明日から一週間はテスト週間になるので、保護者観察のもとお家で勉強しなければいけません!」


「そうか……。それなら詩子ちゃん、もしよかったら、お兄さんが住んでいるところとか教えてもらえたりするか?」


 小学校のうちからテスト週間があることに驚いたが、私立小学校なのであってもおかしくはない。

 というか今更だが、詩子ちゃんの所作や口調、服装がやたらと上品なことに俺は気がついた。

 俺なんて小学校の頃は泥まみれで外で遊んで、帰ったら風呂に入って、体をびしょびしょに濡らしながら全裸で家の中を走り回って、おもちゃで一人二役をして馬鹿みたいに遊んでいた。

 公立と私立、貧乏と金持ちでこうも変わるものなんだな。


「えーっと、お兄さんは多分私の家の近所に住んでいるんですけど、具体的な場所はわからないんですよね。でも、働いているところはわかります! 駅前のTATSUYAのCDコーナーにいると思います!」


 詩子ちゃんは赤いランドセルを背負いながら言った。

 TATSUYAと言えば、CDやDVD、本やゲームのレンタルから売買までを幅広く行う大手サービスチェーン店だ。


「本当か? ありがとう、詩子ちゃん。それと、引き止めて悪かったね」


 俺は玄関へ向かう詩子ちゃんの後ろから謝辞を口にした。


「いえいえ、私の方こそたくさん甘いものをご馳走になっちゃいました! ありがとうございます! 今度会った時には、またマジックを見せてくださいね。お邪魔しました」


 礼を述べながらも靴を履いた詩子ちゃんは、トントンと靴のつま先と踵を合わせると、玄関の扉に手をかける前に行儀の良いお辞儀をしてから去っていった。


「TATSUYAか。明日行ってみようかな」


 幸いと言っていいのか、明日もネメフィは学校だ。

 今日はゆっくりと休んで、明日はネメフィを送り出してからTATSUYAへ向かうとしよう。

 少し心配なことといえば、詩子ちゃんの言うお兄さんがどのような人物なのかは全くの不明なことだ。

 まあ、その辺りは会ってみたらわかるだろう。

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