第37話 帰り道とひみつ
「いい加減離しなさいよ! さすがにエレベーターの中で暴れたりしないわよ!」
「ん? あぁ、悪い。少し力を入れすぎた」
俺は唾を撒き散らしそうな勢いで声を荒げた東野の腕を解放した。
俺と東野の二人しか乗っていないエレベーターは、静かに高速で下降している。
「もう……強引なんだから。というか、どうして私が門前払いされなきゃならないのよ。ドローライトは人を見る目がないのかしら?」
「いや、ドローライトに限らず、今時持ち込みなんて受け付けていないところの方が多いんじゃないか? それに……いや、なんでもない。とにかく、お前みたいな売れっ子作家がライバル社に乗り込むような真似はするな」
俺は「やれやれ」と言った様子の東野に注意喚起を促した。
ドローライトが東野の持ち込みを断ったのには、元来のルール以外にも理由があるのだろう。
それは俺という存在がいることだ。来月の第二月曜に出版される俺の小説が、ドローライト中で話題になっているというのを俺は知っている。天下の集英組に対抗できうる小説ということで、受付から編集者まで皆が期待を寄せてくれているのだ。
「私はフリーランスよ? 自分のことは自分で各方面に宣伝しなきゃいけないの。まあ、今回の件に関してはタナカの意見が正しいわね」
東野はやむなくといった形で首を縦に振っていた。
あまり納得はいっていないらしいが、フリーランスだからしたということもあって、決して悪気はないのだろう。
「……ところで、今日はもう家に帰るだけか?」
ピコンッと到着の合図を知らせてエレベーターが開かれると同時に、俺は数秒の間を置いて東野に聞いた。
「んー。まあ、そうね。残っていたサインは短期集中で全部書き終えたし、今日はもうやることはないわね。ねぇ……私みたいなウブな女子のスケジュールを聞いてどうするつもり? はっ! まさか……!」
「めんどくせぇなぁ。ほら、帰るぞ」
後数時間でネメフィが初めての学校を終えて帰ってくるので、俺は時間に余裕を持って家に帰らなければならない。それ以外にもやることがあるので、立ち止まって呑気にはしていられないのだ。
ここは東野の口車には乗らず、強引に俺のペースに持っていくとしよう。
「えぇ、無視するの!? タナカも中々酷いやつね」
東野は文句を垂れながらも、スタスタと先に前を歩き始めた俺の横に走ってきたが、少し息が上がっており、顔も日差しの暑さにより紅潮していた。
このような暑さの中で話をしながら帰らせるのも酷だと思ったので、俺は無詠唱で発動させたテックバリアで、東野の全身を覆った。
「まあ、そんな固いこと言うな。それより、俺は少し聞きたいことがあったんだが、聞いてもいいか?」
「え、えぇ、いいけど……。なんか突然涼しくなった気がしない? 気のせいかしら?」
東野は疑問符に満ちた声をあげながら、まるで雨でも降ってきたかのように手のひらを上に向けて戸惑っていた。
どうやら魔法をかけたことはバレていないらしい。追求されたら面倒なので、このリアクションにはあえて触れないでおこう。
「東野はどうしてラノベを書き始めたんだ? 純文学の方がラノベよりも何もかも良いと思うんだが」
自分で書いておいてこんなことを言うのはアレだが、ラノベは他のジャンルに比べて世間への浸透率はかなり低いだろう。
もちろん売れ続けているベストセラー小説もあるが、それはほんのごく一部だ。大抵は一巻、あるいは二巻目にして打ち切られるのが普通だ。
「私がラノベを書きたかっただけよ。私の家は凄く厳しかったから、高校に入学して一人暮らしを始めるまでは、所謂、箱入り娘ってやつで、世間の一般的な流行に触れる機会は一切なかったの。でも、去年の今頃に初めてアニメとか漫画を見てビビッときたわ。無理やり教養として書かされていた純文学よりも、私はラノベを書きたい! そう思ったの」
東野は懐かしむような口ぶりで言った。
その微笑んだ表情からは、後悔をしていないことがすぐに伝わった。
というか、なんだよ、箱入り娘って。教養として書かされていた純文学で日本一に輝くだなんて、とんでもないことじゃないか。他人のことにとやかくツッコミを入れるのは気が引けるが、やはりどこか勿体無いような気がしてならない。
「だからラノベを書き始めたんだな。それにしても、一念発起で書き始めて、集英組から大々的な宣伝をしてもらえるなんて凄いじゃないか。すぐに腕っ節は強いし、ツンデレっぽいし、色々と少し変わったやつだと思っていたが、改めて考えるとやっぱり東野って凄いんだな」
俺は素直に感心していた。俺は魔法があるからここまで自由に行動することができていたが、東野は違う。
高校生のうちに日本一の賞を獲得し、その後、日本一の規模を誇る集英組からラノベを出版。そう簡単にできることではない。いや、純文学とラノベはまるで違うものだ。ほとんど不可能と言っていいだろう。
「失礼な言葉の数々は最後の一言に免じて許してあげるわ。というか、タナカこそドローライトで何をしてたのよ。ビシッとスーツなんか着ちゃって、就活でもしてたの?」
東野は俺の全身に視線を這わせると、最後にコテンと首を傾げて疑問の声を口にしたが、スーツは私服だし、以前も言ったように競馬とスクラッチで暮らしているので、俺は就活をしていない。
「……そのうちわかるから今は内緒だ」
一月後には明らかになるので、今は内緒にしておくことにした。特に深い意味はない、ただの軽い悪戯心だ。
「そのうちわかるってどういうこと? 全く見当がつかないわね……」
「言葉の通りだ。早くて来月ってところだな」
そうこうしているうちにマンションのエントランスに到着したので、俺は自動ドアを開錠させるための番号を入力した。
「もうついちゃったのね。人と話すと時間の流れってこんなに早いのね」
エントランスを抜けてエレベーターの待つ間、東野は嬉しそうな口ぶりで呟いた。
「そう……だな」
東野の言葉に対して、俺は曖昧な返事をした。
昔から友達も少なく、異世界に行ってからも孤独な生活を送っていた俺からすれば、初めての経験だったからだ。
「私、女子校出身で父以外の男性とほとんど関わりがなかったから、凄い変な感じがするわ。それに比べて、あんたはたくさん遊んできてそうな見た目よね」
到着したエレベーターの中に俺よりも先に乗り込んだ東野は、目の前にいる俺のことを見ながらじっと目を細めた。
その視線は俺の金髪に注がれている。
「銀髪のお前にだけは言われたくないな。それに、俺の金髪は地毛だからな。俺はこれからやることがあるから、ここでお別れだ。何か用事があったらインターホンを押してくれ。気が向いたら部屋に入れてやる」
近代技術を結集したエレベーターは、俺が思ったよりも速く、ものの数十秒、数回の会話を挟む間に目的のフロアに到着していた。
「あんたに用があって部屋に行くことはないわよ! 私はネメフィちゃんと遊ぶために部屋に行くから! またね!」
俺は珍しい髪色だということは過去に何度も何度も言われてきたので、適当にあしらった。
同時に部屋の扉を開けて、東野に軽く手を振ると、東野はツンデレを絵に描いたような態度を取りながら自分の部屋に入っていった。
「元気なやつだな。まあいい。俺は早速作業に取り掛かるとしよう」
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