第36話 デモドリさん

「トミー……変わったやつだったな。せっかく良い歌声なのに辞めるなんて勿体無い」


 俺はトミーの名刺を見ながら呟いた。そこには電話番号やメールアドレスが記載されている。事務所には所属していないのか、かなり簡素な名刺だった。

 

「小説家としての仕事はもう終えたも同然だし、そろそろ別のことに着手するか」


 後は続刊が決まるたびに西園寺さんに提出するだけだ。そのため、もう小説家としての仕事はほとんどない。あるとしたら、今回のようなサインを色紙に書く仕事や、軽い打ち合わせくらいなものだろう。


「……カッコよくて、楽しそうで、珍しい仕事がいいな。ふむ……音楽プロデューサーなんて良さそうだな!」


 パッと思いついたのは音楽プロデューサーだ。

 小説家兼音楽プロデューサー。なんとカッコいい響きだろうか。魔法を使えなかった五年前のあの頃だったら、職業を名乗ることすら憚られたが、これに関しては職業を聞かれたら胸を張って堂々と名乗ってやりたいくらいだ。


「事務所を立ち上げて、人を募って、最終目標はNステや白黒歌合戦に出場……。ふふふ……夢が膨らむな」


 俺は側にあった三人掛けのベンチの真ん中に腰を下ろしながら、頭の中で想像を膨らませた。

 毎週金曜の八時から全国放送されるNステや、年末に六時間に渡って放送される歴史ある音楽番組、白黒歌合戦……そんなテレビで見た大舞台を俺は鮮明に想像した。

 これは想像であり妄想ではない。今の俺の行動力と魔法を活かせばなんだってできる気がしてならない。


「そうと決まれば、まずは西園寺さんにこれを届けないとな。テレポート!」


 結局、俺は転移魔法を使ってドローライトへ向かうことにした。再び歩くのが少し面倒になってしまったからだ。

 もちろん、気配は完全に遮断したのでバレることは絶対にない。






「うん。十枚分のサイン色紙を確認したわ。これでもう出版までにやらなければいけない仕事は全てお終いよ。お疲れ様。デモドリ勇者先生」


「恥ずかしいからペンネームで呼ぶな」


 ソファに腰をかけて足を組んだ状態で、西園寺さんは俺が渡したサイン色紙を確認していたが、ものの数秒で確認作業を終えると、揶揄うような口調で俺のことをペンネームで呼んだ。

 ちなみに作品タイトルは『勇者ネイルの冒険譚』と非常にシンプルなものだ。長文タイトルが主流となっている現代のラノベの流行とは、真逆をいくタイトルと言っていいだろう。

 だからこそ、良い意味でも悪い意味でも目立つのだ。


「ふふっ。別にいいじゃない。そんなに変な名前でもないでしょ? それより、出版まではやることがなくなってしまったけど、何か質問とかあるかしら?」


 西園寺さんははぐらかすように軽く笑うと、手に持っていたサイン色紙をテーブルの隅に置いた。

 読者プレゼントやらなんやらで必要だとは言っていたが、果たして応募がくるのだろうか。不安で仕方がない。


「あぁ。そういえば一つ聞きたいことがあったんだが、ブンゴージェイケーって知ってるか?」


「当たり前じゃない。彼はは田中さんの最大のライバルなのよ? 幾つか賞も取っている有名人だしね。まさかラノベ業界に切り込んでくるとは思わなかったけど。彼がどうかしたの?」


 西園寺さんは一切の迷いが見られない口調で答えた。

 やはりかなりの有名人だったようだ。

 そして、西園寺さんはブンゴージェイケーが俺のライバルと言った。これで確定だ。

 ドローライトよりも規模が大きい集英組から出版される『暗殺チート』の作者はブンゴージェイケー。いや、東野朱莉だ。

 マンションで話を聞いていた時点である程度察してはいたが、それが事実だとわかるとやはり少し驚いてしまう。


「いや、少し気になっただけだ。あ、もう一つだけ聞いてもいいか?」


 西園寺さんがブンゴージェイケーのことを”彼”と呼んでいたことには、あえて触れないことにした。


「ええ。構わないわよ。今はお昼休憩中だし、時間はたっぷりあるもの」


 西園寺さんはそう言うと、冷えた麦茶が並々と注がれたコップに口をつけた。

 

「イラストの進行具合はどうだ? 俺の都合で千春ちゃんに迷惑がかかっていないといいのだが……」


「この前電話した時は、もう最後の仕上げだけで完成するって言ってたし、多分心配ないわね。それに、母親である美麗さんは締め切りをしっかりと守る性格だから、今週中にはイラストが送られてくると思うわよ」


 迷惑をかけていないか心配だったが、問題はなさそうだ。

 しかし、次回からはもう少し早い段階から刊行時期について相談しておく必要がありそうだな。


「わかった。色々とありがとう。また何かあったら連絡を頼む」


「あら、もう帰るの?」


 俺がソファから立ち上がって背を向けると、西園寺さんは疑問に満ちた声をかけてきた。

 まあ疑問を持つのも無理はない。個室に通されてサイン色紙を渡して、まだ十分も経っていないからな。


「ああ。やることができたんだ。またな」


 俺は体半分を西園寺さんに向けて、ひらひらと手を振りながら部屋を後にした。

 静かに扉を閉めてから長い廊下を歩き、エレベーターへ向かう。

 一つ角を曲がった先に受付があり、その先にエレベーターがあるのだが、何やら受付の方から記憶に新しいある声が聞こえてきた。


「えっ……ドローライトは私みたいな有名人の持ち込みを断るの? ラノベ界に現れた超新星よ? それとも私のことを偽物って疑っているわけ?」


 俺は角を曲がって現場を見てすぐに誰の声か理解した。


「何してんだ、あいつ」


 そこにいたのはブンゴージェイケーこと東野朱莉だった。

 持ち込み云々についてはよくわからないが、言い争いをしていることは確かなようだ。「やれやれ」と言った様子で言葉を紡ぐ東野に対して、受付のお姉さんは真顔で微動だにしない。


「はい。我が社は平等と公平性に重きを置いていますので、あなたのような名の知れた方の持ち込み原稿であっても、お断りさせて頂いております。何より、貴女様が本物のブンゴージェイケー様だとしたら、我が社とはライバル関係にあるはずです。申し訳ありませんが、首を縦に振ることはできません」


「ふーん。わかったわ。私の提案を断ったことを後悔しなさい。来月の第二月曜を楽しみにしているわ」


 軽く遇らうような大人の対応を見せた受付のお姉さんの言葉を聞いた東野は、明確な余裕を孕んだ笑みを浮かべていた。

 ったく、見てられねぇよ……。


「おい、東野。お姉さんが困っているから、その辺にしておけ」


 俺は背後から東野に声をかけた。

 東野は大きな声に加えて目立つ銀髪なので、周囲の人が少し怖がっていた。


「え? あ、タナカじゃない。あんたどうしてこんなところにいるのよ?」


「俺のことはどうでもいいから早く帰れ。お姉さん、今回は俺に免じて許してください。早急にこいつのことを帰しますんで……」


「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ!」


 俺は困惑する東野の両腕を片手で引っ張りながら、受付のお姉さんに軽い謝罪をした。

 東野は得意の武術を活かして暴れていたが、掴まれたら逃げられないことを察したのか、すぐに大人しくなった。


「わかりました。デモドリさんは彼女とお友達でしたか?」


「顔見知り程度ですよ。それじゃ、また今度」


 俺は受付のお姉さんの質問に受け答えしつつ、東野を道連れにエレベーターに乗り込んだのだった。

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