第33話 飴と鞭

「……で? 何のようだ? 俺のことを犯罪者扱いした挙句、のこのこと部屋にまで入ってきやがって。ネメフィはベッドで寝かせてきたから簡潔に用件を述べたらすぐに出ていけ」


 俺はリビングに敷かれたカーペットの上で正座をしている少女の姿を上から見下ろした。

 少女は不満げな唸り声をあげており、頬を小さく膨らましていた。

 

「し、仕方ないじゃない! あんな状況で吐いちゃうなんて誰が予測できるのよ! それにあんたの言動も大概よ! 『絶対に口を開くな』だとか『もう……終わりだ……』だとか怪しすぎよ! その時にはっきり言えばよかったじゃない!」


 少女は正座を維持しながらも、自身の太腿を手のひらでパンパンと叩きながら遺憾の意を唱えていた。

 すかしたような表情を浮かべながら低い声を作って俺のモノマネをしているようだが、どこか馬鹿にしている気がしてならない。


「それを言ったら君は信じたのか? どうせそれっぽい理由をつけて俺のことを追い詰めるくせに何を今更」


 結局、ネメフィは我慢できずにゲロってしまうし、そのことがこのフロアの全ての住民にバレてしまった。引っ越してきたばかりだというのに本当に災難だ。

 さらに、辺りに人がいたせいで魔法も使えなかったので、俺はマンションの管理人を呼ぶ羽目になったのだ。


「うぅっ……」


「……わかった。この件は確かに俺にも非があった。悪かったな。で、どうして君は俺に廊下で話しかけたんだ? 何か用事があったんだろう?」


 俺は首を垂らしてへこんだ様子をしていた少女を見兼ねて適当なフォローを入れた。

 明らかに俺よりも年下に見えるし、このフロアのどこかの部屋で家族と一緒に住んでいるボンボンに違いない。好感度が下がっては良くないので、うまい具合に飴と鞭を使い分けていく。


「別に用事なんてないわよ。私はあんたが不審者だと思ったから声をかけただけ。っていうか、私には東野朱莉ひがしのあかりって名前がちゃんとあるの! 君とか他人行儀な呼び方はやめてよね!」


「いや、他人だろ。早くママとパパの元へ帰って寝ろ。それに、明日は月曜だし学校があるんじゃないか?」


 銀髪の少女の名前は東野朱莉というらしい。これからは適当に東野とでも呼ぶとしよう。特に覚える必要もないが、進化しすぎた俺の記憶能力が高すぎて自然と覚えてしまった。

 まあ、フロアも同じだろうし悪いことではないだろう。


「私は一人暮らしのフリーランスで学生じゃないわよ! というか、何か困ったことがあったら私に聞きなさい! あんたのことは好きでも嫌いでもないけど、このマンションの先輩として教えてあげるわ! それじゃあ、お邪魔しました!」


 東野は嵐のようにドタバタと音を立てながら過ぎ去っていった。

 不敬で非常識なやつかと勝手に思っていたが、挨拶やら何やらは普通にできるらしい。

 それにしても、東野はこのマンションの先輩と言っていたな。まだ若いというのに一人暮らしをしているなんて大したものだ。


「はぁ……疲れたし、横になるか」


 俺はリビングにあるL字型のソファで横になった。

 たった一つしかないベッドはネメフィに占領されているため、俺の休息場所はすっかりここになっていた。

 あまり必要ないが、仮眠でも取るとしよう。

 次に起きるのが数時間後だとすると、もう夜になっているか。

 出かけるのはまた明日だな。






「しょっぴんぐぅー! しょっぴんぐぅー! お洋服、お肉にお魚さん! 今日は太陽もキラキラしていて最高の天気だねっ! 僕はこんな陽気が大好きさー!」


 ネメフィが手と足を楽しげな様子でブンブンと振りながら言った。

 家を出発してからずっとこの様子だ。

 昨日、テレビでやっていた日曜映画祭りのミュージカルに影響されているのだろう。雑で心地良くないリズムを勝手に作り、取ってつけたような薄いセリフを並べている。

 

「……ただの買い物でこんなに楽しくなれるなんて子供はお気楽でいいな」


 と言っても、俺も魔法が使えるだけの暇人なので、誰かに何かを言えるような人物ではないのだが。


「もう! 僕は子供じゃないよ!」


 ため息混じりの俺の言葉に、ネメフィはぷんすかとした様子で即座に反応した。


「魔王とはいえ十歳はまだ子供だ。ほら、はんたいのとおりを見てみろ。あの子たちはお前と同じくらいの子たちだぞ。みんなこれから学校に行くんだ」


「……楽しそう。」


 ネメフィはその場に立ち止まると、さっきのルンルン気分から一転して憧憬のような感情が込められた眼差しを作ると、絶賛登校中の小学生たちを見つめてポツリと呟いた。


「ネメフィも行ってみるか?」


「僕も通えるの?」


 もちろんネメフィでも学校に通うことはできる。

 手段と方法は秘密だが、俺はネメフィが一日本国民と認められるための書類をしっかりと偽造したからだ。


「ああ。でも、小学校は子供しか行けないからなー。ネメフィには無理かなー」


「うっ! ぼ、僕は……」


「んん? 僕は……なんだ?」


 俺が胸の前で腕を組みながらネメフィのことをチラチラと見ると、ネメフィは拳をギュッと握って何か言いたげな表情を浮かべていた。


「僕は子供だよ! だから学校にも行けるもん!」


「よし。そうだな。ネメフィは子供だ。というわけで、今日は食材と衣服を買い足すついでに、学校で使う道具を調達しよう」


「……うん」


 俺はネメフィの透き通るように綺麗な金髪を軽く撫でた。

 ネメフィは最初の数秒間こそ、子供と言われたことに対してムッとしていたようだが、すぐに恥ずかしいという感情に切り替わったのか、顔がほんのり赤らんでいた。


「おいおい、そんなにしおらしくなるなんてお前らしくないぞ」


「うるさいっ! ほら! 早く行くよー!」


「はいはい。危ないから走るなよー……って、聞こえてないか」


 ネメフィは途端に我に返ると、ばたばたと勢いよく走っていってしまった。


「まあ、楽しそうで何よりだな」


 ネメフィは魔力、地位、権力の全てを失って異世界から日本に単独でやってきたので、悲観的な様子を見せないというのは俺にとっても嬉しいことだ。

 それに、ネメフィが小学校に行ってくれるだけで俺一人の時間が増えるので、この展開に持っていけた自分を褒めてやりたいくらいだ。

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