第15話 主人公は自分
「——オラオラオラオラオラァァァッッ!!」
部屋に鳴り響くは決してリズミカルで心地の良いものとは呼べないタイピングの音。
部屋に篭り始めて今日で六日目。言い方を変えるのなら、小説を書き始めて六日目だ。
俺は二十四時間を連続で六日間、一回も睡眠を取ることなくノートパソコンと睨めっこをしてきた。
ちなみに、食事は五年以上前から部屋に備蓄していた缶詰と蛇口をひねれば飲める至高の飲み物——水道水だ。
中々厳しいスケジュールだったが、それももうすぐ終わりを迎える。
「はぁはぁ……よし……っ完成だ!」
俺は最後にエンターキーを押してから、しっかりと上書き保存をクリックした。
そして、流れるように背後のベッドに倒れ込み、瞑想するように呼吸を整えた。
「……長かったな」
俺は天井のシミを見ながら呟いた。
相変わらずボロっちいアパートだが、この狭さと適度な汚れが俺に落ち着きを与える。
「勉強した甲斐があったな」
俺は一日目から四日目まではインターネット上に転がる無料の小説を読みまくっていた。
転生ものの王道であり頂点に君臨する、転生したらゴブリンだった件。略して『転ゴブ』や、ダークファンタジーの金字塔、『オーバーロウド』などを中心に、様々なジャンルのWeb小説を読み漁った。
その結果、俺は一つの答えに辿り着いた。
それは何ですぐに気がつくことができなかったのか、馬鹿らしいぐらいの簡単な答えだった。
その答えというのは——。
「——俺を主人公にすれば良い」
そう。俺は俺を主人公にした異世界ファンタジーを描き上げたのだ。
もちろん”田中ニール”という名前は変えているが、街や国の名前、性悪な国王や王女、魔王とその配下の名前や特徴は全て流用させてもらったので、キャラクターの描写という点においては自信しかない。
「……ぁ」
そんなことを思考しているうちに、俺は重たい瞼が小刻みに震えていることに気がついた。
体が疲れている証拠だ。何かを考えようとすると、睡眠欲が脳にまで侵食してくる。
俺はそれに無理に抗うことなく、脳を睡眠への没入させる準備を整えた。
「明日は……西園寺さんのところに行って……それから——あ? 何の音だ?」
しかし、ここで邪魔が入った。
せっかくの気持ちの良い睡眠は、規則正しい機械音によって遮られた。
俺は若干のイライラを抑えながら、音の発生源に目をやった。
「電話か。相手は……西園寺さん? 何の用だ……はい、もしもし——」
「——やっと出た! 田中さん、心配したのよ! 何日も繋がらないし、そっちから連絡もないし、何か事件にでも巻き込まれたのかと思ったわよ!」
俺が眠気を抑えながらコールに出ると、西園寺さんは焦りと怒りと興奮を孕んだ、耳を破壊してしまいそうなほど大きい声を張り上げた。
そういえばスマホをチェックすることをすっかり忘れていた。異世界にはスマホ以前に電子機器が一切ないので、こまめに確認するような習慣が身についていなかった。
「……悪い。少し立て込んでたんだ。でも、それのおかげですぐに原稿を渡せそうだ」
俺は耳からスマホを二、三センチほど離して応対した。
睡魔が襲っている状態だと、少しでも大きな物音を聞くと精神的に気持ち良くないからだ。
「え!? もう!?」
「ああ……だが、今日は渡せそうにない」
俺の目はほとんど閉じていた。
カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいることから、時間的には余裕はあるのだろうが、今の俺の身体と精神の消耗具合を考えると、原稿を渡すのは明日にしてほしい。
無理をすればどうとでもなるが、久しぶりに眠りにつきたい気分なのだ。
「わかったわ。全然急かすつもりはないから、田中さんが持って来れる時で大丈夫よ。ただ、事前に連絡をくれるとありがたいわ。それじゃあ、おやすみなさい——」
西園寺さんは俺の眠気混じりの声を聞いて察してくれたのか、簡潔に言いたいことだけを伝え終えると、俺の返事を待たずに電話を切ったので、俺はスマホの電源を落としてテーブルの上に置いた。
「……寝よう」
そして、俺はまるで死んでしまったかと錯覚するくらい安らかな眠りの闇に落ちていった。
勇者をしていた時はこれ以上の過密日程で作業をしていたが、今回に関しては慣れない作業だったこともあってか、自分で言うのもなんだが中々ハードだった。
まあ良い。今はゆっくりと休息を取るとしよう。
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