第3話 日本でも魔法は使えます

「預金残高2,000円って……いよいよだな……」


 銀行に赴いた俺はATMの前で立ち尽くしていた。


 ハローワークで知ったのだが、今は2020年の5月らしい。

 このまま仕事も見つからなければ、俺は来月には順調に飢え死にしていることだろう。


「取り敢えず、食費と——」


「——両手を上げろ! 一歩も動くな! 少しでも変な動きを見せたらすぐにこいつが火を吹くからな!」


 それは突然訪れた。

 俺が金を下ろそうと数字を入力している時だった。

 銀行の入り口が壊れそうな音ともに開かれると、そこから全身黒ずくめで覆面を被った二人組の男がズカズカと侵入してきた。


「……」


 俺はゆっくりとATMから離れて壁際により、そっとしゃがみこんで両手を上げた。

 何の力も持たない俺は無力なので、大人しく従うしかないのだ。


「全ての金をここに詰めろ! 急げ! 早くしろ!」


「は、はいっ!」


 リーダーだと思われる一人の男が、カウンターの先にいる数人の銀行員に向かって銃で脅し始めた。

 そしてカウンターに大きなバッグを置き、そこに金を入れるように首で指示を出している。

 見た目と行動の通り、やはり銀行強盗だったらしい。


 最悪だ。せっかく久しぶりの日本だというのに、何でこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ……。

 それにリーダーの男はかなり酒とタバコのにおいが酷いな。


「くそ! 急ぎやがれ! 早くしねぇとこいつの頭を吹っ飛ばすぞ!」


 数分経っても中々金が用意されないことに手下の男は焦りを感じたのか、背後にいた一人の男の子の首を片手で絞めると、こめかみに銃を突きつけた。


「うわぁぁぁん! ママぁ! たすけてよぉぉ……っ! 怖いよーー!」


 男の子は泣き喚いて母親に助けを求めるが、このような状況では流石の母親も容易に手を出すことはできない。悔しそうな顔をして涙を流している。

 それは俺も同じで、日本では魔法が使えないので——って、いや待て! 俺は魔法を使えるじゃないか! 

 帰還した喜びがあまりにも大きすぎて、その事実をすっかり忘れていた。

 俺は儀式をすっ飛ばして帰還したから、普通通り魔法を使えるんだ! どうしてもっと早く気がつかなかったんだ!


「ふふっ……」


 俺がニヤケを押さえながらそんなことを考えていると、俺の隣にいる若い女性がひっそりとスマホを取り出して、素早く指を動かしてから耳にスマホを当てていた。


「も、もしもし……警察ですか! イースト銀行で強盗が——キャァッ!」


「——なにしてやがんだ! てめぇ殺されてぇのか!? リーダー! すぐにサツが来ます! 早いとこトンズラしましょう!」


 手下の男は捕縛していた男の子を力任せに放り投げると、通報した張本人である若い女性ににじりより、眉間に銃を突きつけた。


 どうやら若い女性は警察に電話をかけていたようだ。

 その度胸と勇気は認めるが、その行動はあまりにも軽率でリスキーだ。

 これはアニメや漫画ではなく……現実だ。


「くそっ! 仕方ねぇ! 早いとこ車に乗り込むぞ!」


 リーダーの男はまるで重量感を感じさせないバッグを肩に下げると、手下の男を置いて外へ走っていった。


「へい! すぐに向かいます! はぁ……てめぇのせいで計画が台無しだ。どうしてくれんだ? あぁん!?」


 しかし、手下の男はリーダーの男にはついていかず、その場に留まると、警察に通報した若い女性の胸ぐらを掴んで怒声を上げた。

 頭に血が上っているのか顔は真っ赤になっており、銃を握る手には力が入っている。

 

「や、やめてください……!」


 若い女性は手下の男から顔を背けて、怯えたような表情をしていた。


 ったく、強盗なんかしておいて、通報されたら逆ギレかよ。盗人猛々しいやつらだな。

 こんなチンケな二人組が警察からは逃げられるとは思わないが、流石に俺も腹が立った。

 ここは文字通り本物の魔法を使って制裁を加えるとしよう。


「俺ァどうせこの後捕まっちまうだろうしよ、最後くらい有名になってもいいよな? 爪痕を残しても許されるよな? てめぇを殺しても大丈夫だよなァ? 可愛い女の叫び声はさぞ気持ちが良いだろうなァ!」


「だ、誰か……! 助けて……」


 手下の男が引き金に手をかけると、その音を聞いた若い女性が涙混じりに助けを求める声を出した。

 

 この男は人殺しをして自我を保とうとしているのか?

 銀行強盗に手をかけたただのチンピラかと思っていたが、実は結構なサイコパス野郎なのかもしれないな。


「助けを求めても無駄なんだよ!」


 誰もが息を呑んだ。目の前で起こる理不尽な死から目を逸らした。無力な自分を恨み、やるせない気持ちを胸に宿した。

 このまま事が進めば、今のこの場にいる人々は一生胸に残るトラウマを植え付けられるのだろう。


 だが、安心してほしい。

 そんなことは俺が許さない。

 

「じゃあな……死——」


「——スリープ」


 手下の男が引き金を引こうとした瞬間、俺は小さな声で魔法を発動させた。

 

「ぁ……ぅぅ……」


 手下の男は若い女性からずっと手を離してふらふらと足をよろけさせると、その場に眠りにつくように倒れ込んだ。いや、強制的に眠らされた。


 周囲の人々は何も分かっていない様子だ。

 突如として手下の男が倒れたように見えたのだろう。

 当の本人である若い女性は目を見開いて俺のことを見ていたが、俺はそんな視線に全く見向きせず、素知らぬふりを続けた。


「……」

 

 静寂が訪れてから数十秒後。漸くと言わんばかりにパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。

 こんなところにこれ以上いたら警察が来て面倒ごとに巻き込まれるので、俺は静かに立ち上がって外へ続く扉に無言で向かった。


「あ、あの! あなたは……?」


 結局金を下ろせなかった俺の後ろから、若い女性の透き通るような声が聞こえてきたが、追及されるのは嫌なので俺は振り返ることなく足を進めた。

 

「穏便に済んだな」


 俺は銀行から程近い裏路地に気配を消して入り込んだ。

 とにかく、人が死なずに済んだので良しとしよう。

 それよりも。俺からすれば日本でも特に不自由なく魔法が使えることがわかったので、今回の経験は素晴らしい収穫だと言える。


 魔法さえあれば何でもできるし、まずはサクッと金を稼いでからその後のことを考えるか。

 

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