第8話 綺麗事

 絶句するクラスメイトをよそに、なぜか大統領だけは笑っていた。


「これは…… 遠藤さん、『右手を挙げて』ください」


「ハア? なんでそんな変なこと……」

 言い終わる前に、遠藤の右手が見えない何かに引っ張られたように上がっていく。

 左手で押さえているのに右手が上がっていくその様は、催眠術とかホラー的な何かとは全く違っていた。


「石よ、上がれ」


 足元の石ころに向かってそう言うが、今度は反応がない。


「なるほど…… 無生物には効かない、遠藤さんの様子を見ると右腕の伸筋群が緊張していることから、運動神経に働きかけているようですね。言葉か、視線か、何が作用したかまではわかりませんが」


 さすがは医者志望の分析で、有田は納得したように頷いている。


 すごいな…… 人間なら言った通りに動かせる力か。


 制限があるというのも、中二心をくすぐる設定だ。

 だが周囲は感心するというより、むしろドン引きしていた。


「なに、あの力……」


「脱げって言われたら脱がされるってこと? マジサイテー」


「っていうか、リヒトってその本人の願望が反映されるんでしょ? ってことは有田って、ヘンタイ?」


 周囲のざわめきが少しずつ大きくなっていく。

 はじめは主に遠藤やそのグループが属しているような派手目の子たちだけだったが、スクールカーストが下の女子にも声が広がっていく。


 ある一人がやらかして、周囲がそれを糾弾する雰囲気を作って、何も反論できないような感じにする。

 これは底辺がやられたならたちまちいじめになるやり方だ。

 だが医者志望は違っていた。常に頑張っている彼は、違った。


「医者になれば」


 まずよく通る声で周囲の注目を自分に向ける。うまいやり方だ。

 これが僕なら、慌てて反論してしどろもどろになって「何言ってんの?」と言われて終わりだっただろう。


「事故の痛みで暴れる人を治療することもありますし、抵抗する子供に注射を打つこともあると聞きます。このリヒトはそんな時に役立つでしょう」


「え~? なんか言い訳くさくない?」


 遠藤がにへらと笑いながら野次を入れる。

 だが有田は動じることはない。言葉の調子を緩めることなく、続けていく。


「私も医者志望です、医療の世界は綺麗事はかりではないことくらい知っています」

額や鼻の頭に汗が光っている。

 そのためかずり落ちた眼鏡を、有田は左手の指先で押し上げた。

 計二本の、指先で。五本あるはずの指のうち親指と人差し指以外は、根元から欠けていた。病気で生まれた時から指の数が少なく、小さいころは虐められていたらしい。


「いいすぎた、ごめんって」


 その気迫と指に押されたのか、遠藤が珍しく素直に頭を下げた。

 リヒトを使えないと思っていた、有田が使えるようになった。


 それを見て、クラス内からはある雰囲気が醸し出される。具体的には、カースト下位から。でも普段何も言わない立場だから、何も言えない。


 聞きたくて仕方がないはずなのに、口を開けない。


 でも僕は、どうしても我慢できなくて。口を開いた。


「なら僕らでも、使えるようになりますか」 


 たちまち空気が微妙な感じになる。こいつなに出しゃばってんの? って感じか。

 でも何人かは使えない子がいて。彼らは食い入るように大統領の言葉を待っていた。


「そうですね……」


 大統領は髭の生えた顎に手を当て、少し考えこむ。

返事を待つ時間が、すごく怖かった。


「個人差がありますし、すぐに使える方ばかりとは限りませんので…… それに先ほどの彼のように、言語や特殊な道具を介しさないと使えないリヒトもあるそうです。時間をかければ発見できるかもしれません」


 大統領の言葉にリヒトを使えないクラスメイトは安堵したり、目を輝かせたりした。


 僕も凄く安心した。心の底から安堵できた。

 僕たちの様子を見て大統領は柔らかく微笑んで、言った。


「修行すれば、もっとすごい技が使えるようになります」


「マジか……」


 剣をもう一度抜いた飯崎が拳を握りしめて呟く。


「それなら、やってみようぜ! 小難しい理屈抜きにしてよ」


「それはいいけど、文化祭までには帰れるー? 明日なんだけど」


 遠藤がスマホをいじりながら呟いた。


「ご安心下さい!」


 大統領が遠藤の言葉を遮るほど、強く肯定した。


「隣国の魔王が、召喚した人間をほぼ同時刻に返すことができる、そのようなリヒトを持っていると聞きます」


「その話、マジ? 嘘だったらマジでシメる~」


「ええ、確かな情報です」


「となると、元の世界に戻るには……」


「隣国の魔王を倒し、そのリヒトを使わせるしかありますまい」


「おいおい、ふざけんなよ」


 飯崎が鞘から剣を乱暴に引き抜いた。


「てめえらだけじゃ戦えないから、関係ねえ人間呼び寄せて、殺し合いをしろだ? それで勝てねえと帰れねえ?」


「そうですね……『正直に話しなさい』」


 有田が眼鏡をかけ直しながら大統領と目を合わせ、言い放つ。

 だが何も起こらない。

 どうやら有田のリヒトでは精神に作用するような命令はできないようだ。


 だが他のクラスメイトはすでに大統領に敵意を向けていた。肌がピリピリするような、嫌な感覚。

 飯崎なり誰かが手を振り上げれば、それが一斉攻撃の引き金になるだろう。

 でも、そんな中でも大統領は余裕の態度を変えなかった。


 僕は一触即発の雰囲気に呑まれそうになっているのに。

 なぜ? 大統領もリヒトが使えるのか? さっきも有田のリヒトをどうやって使うか見抜いたが、関係あるのか?


 大統領一人のオーラに吞まれているようで、徐々にクラスメイトの空気が変わっていく。

 それを見て、ほんの一瞬だけ。

 大統領が歪み切った笑みを浮かべた。だがすぐに穏やかな表情に戻る。


「そんなことをされなくても、正直に話しますよ。あなた方が誰一人死ななくて済む、戦争も起こさなくて済む方法を」


「そんな方法が、あるの……?」


 青梅がおずおずと声を上げた。 


「ええ。抑止力、と言う奴でしょうか。皆様に強くなっていただき、ゲッペルス王国との交渉に臨みます。我らの要求は魔王の退位と民衆の解放、そして皆様の帰還です」


「それくらいなら……」


 とりあえず戦争に参加しなくてもいい、そう聞いてクラスの雰囲気が弛緩する。


「なら俺たちと大統領の目的は一緒だな! リヒトを使いこなして、魔王を倒して元の世界に帰ろうぜ!


 飯崎の発言に、クラス内の空気が一つになるのを感じる。


「うん。そうだね…… 怖いけど、やってみるよ」


 青梅はおさげにした髪をいじりながら、おずおずとうなずいた。

 普段気弱な青梅が同意したためか、若干残っていた反対する空気がなくなっていくのを感じる。

 みんなで話し合って、時には衝突して、クラス一丸となって目的に突き進む。


 こういうの、大嫌いだ。


「話がまとまったようですね。とりあえずはリヒトの修業をされるということで。この暑い空の下、喉が渇いたでしょう」


 大統領が軽く手招きすると、いつの間にかメイドさんや執事たちが透明な液体を入れたグラスを用意していた。結露しているグラスは、銀色に輝くワゴンの上に置かれている。


「お飲み物を」


 執事は女子に、メイドさんは男子に一人ずつ配っていく。

 ジャニーズとアイドル並みの容姿なだけあって鼻の下を伸ばしているクラスメイトも多い。それを見て大統領はなぜか微笑んでいたが、どういう意味かは読み取れない。


「これ、マジうま」


「ヤバい~、ただの水じゃなくてちょっと酸っぱくて甘い? のに全然べたつかない、」


 僕も飲んでみるが、柑橘類のしぼり汁にハチミツを加えたような味だった。


 わずかに甘くて、爽やかに酸っぱくて、でも喉に残らない。 


 遠藤たちがスマホを取り出して写真を撮り、ついでにメイドさんや執事さん、大統領の写真も撮る。


 中にはなれなれしくメイドさんとツーショットを撮るクラスメイトもいた。

だが大統領の客人ということで逆らえないのか、スマホという道具に警戒しているの か拒否するメイドさんはいなかった。

 クラスメイト、執事さん、メイドさんのそんな様子を大統領は微笑と共に見守っている。

 よくわからないところはあるけれど、はじめリヒトが使えなかった有田にも、未だ使えない僕にも気遣った言動。

 目的を包み隠さず言う、真っ正直な言葉。年が少し上なのに、クラスメイトの空間にあっという間に溶け込んでいる。

 でも僕は、最初の言葉がずっと心に引っかかって心を許せなかった


『成功か。不正を働く輩ばかりと思っていたが、たまには役に立つものだな』


 誰が僕たちを召喚したかはわからない。だけど、人のことをあんな風に言う人間を、僕はいい人間とは思えない。

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