第6話 リヒト
鼻の奥に、むせかえるような土の香りが飛び込んでくる。
日本ではありえないほどに澄んだ気持ちのいい風が肌をくすぐり、整髪料を中学時代につけても全然髪が整わなかったのでそれ以来ろくに手入れしていない髪を揺らす。
どうやら僕はうつ伏せに倒れているらしい、顔を上げて起き上がった。
「何が起こったのです?」
「口に砂が入っちまったぜ、剣道の部活で野外稽古やったわけでもないのによ」
「マジサイアク~」
「な、ななな、なにが、起こったんだ?」
「馬奈木くん…… みんな、だ、大丈夫かな」
倒れていたのは僕だけではなかったらしく、他に倒れていたクラスメイトがざわめきながら次々と起き上がる。
だが異常は、みんなが倒れていたことだけではなかった。
僕たちは皆、青空の下にいた。野球部のグラウンドが丸々入るほどの広さを持つ校庭がすっぽり入るほどの広場が、少し苔むした石造りの城壁で囲まれている。
広場は草がまばらに生えているだけの広大な敷地で、運動をするのに適した空間と
いう感じがした。
だが隅には高い木の支柱が木組みの台と共に二本据えられ、支柱の間、その情報に鈍く光る何かがあった。
よくわからないけれど、ひどく気持ち悪い感じがして思わず目をそらした。
秋だったはずなのに今は暑い。風零高校の敷地にはこんな広場はない。
風景が歪んで、全く別の場所に来てしまったような感覚。夢かパラレルワールドか、はたまた異世界召喚か。
まあ異世界召喚ということにしよう。カッコいいし。
「成功ですか。不正を働く輩ばかりと思っていましたが、たまには役に立つものですね」
いつの間にやってきたのか、見知らぬ人が僕らのすぐそばに立っていた。
異世界召喚した僕たちを出迎えたのは王女様でもなく、魔法使いでもなく。
高級そうなスーツに身を包み、ネクタイをきっちりしめた三十歳くらいのイケメンだった。
整えられた銀髪と短い顎髭、鷹のように鋭い視線にスーツ越しにもわかる筋肉。
でもその銀髪と顎鬚は、なぜか彼には不釣り合いな気がした。
毛根の色が同じだから染めているわけではないだろう。
ただ、見ているとなんとなく違和感があった。
その背後には執事服のイケメンと美人のメイドさんたちが整然と控えている。
クラスで作成していた物とは比べ物にならないクオリティーのメイド服や執事服に身を包んでおり、年のころは僕たちと同じくらいで、美少年美少女ぞろい。
ジャニーズとアイドルグループをまとめてスカウトしてきたのかと思うくらいの顔面偏差値。
そして歴史の教科書で王族が身につけるような瀟洒な指輪やアクセサリを、一人残らずその首や指に付けている。これだけの顔面偏差値だと、当然なのだろうか。
彼らは一様にすました表情で背筋を伸ばし、軽く目を伏せている。
だがメイドさんの中に一人だけ、他の人と雰囲気が違っている子がいた。
ルックスも姿勢も遜色ないのに、どこか彼ら彼女らの中で浮いている感じがする。
よく見ると彼女だけが他のメイドさん執事さんが身に着けている装飾品をつけていない。
にもかかわらず立ち姿は一番綺麗だった。
気品がある物腰が、孤独感のようなものを感じさせるのだろうか。
そのメイドさんは目線を一瞬だけ僕らから逸らす。その先には、白い塔がそびえ立っていた。
宮殿から少し離れたところに、白い槍が空を刺すように鋭くその存在を誇示している。
スーツを身にまとった銀髪のイケメンが軽く咳ばらいし、抑揚が適切で耳によく残る、伸びのいい声で口火を切った。
「わたくしがこのヘルムート共和国大統領、ヴォルフ・アードラーと申します。我々はあなた方を歓迎します」
空気が、変わった。
突如見慣れない空間に連れて来られて、クラスメイトは不安と混乱に包まれていた。
だがいきなり、見知らぬ大人からよくわからない言葉と説明を突き付けられて、頭上に疑問符を浮かべている。
「とりあえず、何が起こったのかの説明からお願いします」
有田が眼鏡をずり上げながら、そう言った。
クラスメイトからはまだざわめきが収まらない。
ヴォルフ大統領はクラスメイトの視線を一身に浴びながらも全く動じた様子がない。
自信に満ち溢れたオーラを全身から放ち、僕らと目が合うとにこやかに微笑む。
その迫力に気圧されたのか、話の内容に対する不安と期待か。
ざわめきがいつの間にか無くなり、場は水を打ったように静まり返った。風が頬を撫でる感触と土ぼこりの匂いだけが感じられる。
僕らが黙ったのを確認して、大統領はよく通る声でしゃべり始めた。
「皆様、この共和国は危機に瀕しているのです」
一応は聞く姿勢を見せるクラスメイト。
「一年前。このヘルムート共和国は民衆を苦しめた魔王を滅ぼし、王にへつらっていた貴族を倒し、自由で平等な、差別のない世界を目指す民主主義がしかれました」
次々に出てくる物騒な単語に、クラスメイトが軽く引いていた。
怖いな…… 革命家か独裁者みたいだ。
火炎瓶とかビル爆破とかデモ隊鎮圧とかSNS炎上とか平気でやりそうなやつだ。
その魔王とか貴族には自由も平等も適用されないらしい。
「そして共和国として生まれ変わった国の下、民衆の選挙の下で新しく選ばれたリーダーがこの私というわけです」
「しかし未だ魔王による圧政に苦しめられている隣国、ゲッペルス王国がある。皆様にはゲッペルス王国を解放する旗頭となっていただきたいのです」
大統領は胸に片手を当て、もう片方の手を大きく広げて訴えかけた。
こういうのは映画や動画で見たことがある。ヒトラーが大観衆の前で演説をして、それに大衆が熱狂して世の中を動かしていく。
だけど目の前にいるのは令和の学生だ。
マジメなタイプは苦笑いを浮かべ、ちょいワルは指さしてせせら笑い、ギャルはスマホをいじり始める。
「電波入んないんだけど…… マジサイアク」
ギャル遠藤に至っては人が話している最中でも構わず、しゃべり始めた。
再び場はざわめき始め、それはそのままイケメン大統領へ糾弾へと繋がっていく。
「それは戦争への参加を促す発言、と受け取ってよろしいでしょうか?」
「木刀で頭叩き割るぞ?」
「有田とか飯崎のいうとおりだしぃ。何で人殺しに加担しないといけないの~? めっちゃウザい」
だが大統領は動じなかった。
すごい、僕ならとっくに心が折れている。
「旗頭とか、そんなこと、やってられないって、な、青梅?」
「う、うん…… 怖いのは、嫌。帰してほしい」
普段こういう時は口をつぐんでいるカースト下位でさえ、不安を紛らわせるかかのように反対意見を述べていく。
大統領を共通の敵にしてクラスメイトが一致団結していく。
こういうのは嫌いだ。
僕は大統領からもクラスメイトからも目を離し、執事さんとメイドさんを眺めた。
この暑いのに汗をぬぐうことすらなく、直立不動で立っている彼らがなんだか可哀想になってくる。
「もちろんタダでとは申しません。そこの君」
「あ?」
大統領に指さされて指名された飯崎が声を荒げる。
「適当に手を突き出してください」
言葉通りにジェスチャーした大統領につられてか、飯崎は同じようにする。
すると、飯崎の手の中に無数の光の粒が細長い形を作り、剣のような形になる。
突如目の前で繰り広げられる非現実的な光景に、クラスメイトがざわめき始めた。
「そのまま強く念じて」
目を輝かせた飯崎が気合を入れるように手に力を籠める。
剣道で鍛えられた前腕に、筋肉のスジや血管が浮かんだ。
光の粒はさらにはっきりとした形を作り、やがて一振りの剣となって彼の手に納まった。
「マジすげえ……。なんだこの剣?」
飯崎は目を輝かせながら、剣を剣道の素振りのように扱っている。鋭い刃が空気を切り裂く音がここまで聞こえてきた。
「竹刀よりだいぶ重いがよ、触れねえことはねえ。それになんつうか、今まで持ったどんな竹刀や木刀より手になじむ感じがするぜ…… やべえ、とにかくやべえ」
「あなたの手に収まった剣。それこそが、『リヒト』と呼ばれる力です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます