第5話 色恋
「そういえばさ、右近」
「なん、だ?」
間を持たせるために口を開いたのはいいが、何を話すかを考えていなかった。
とっさに僕はスクールカースト上位組に目を向けて、思いついたことを適当に口にした。
「なんであの二人一緒にいることが多いんだろう」
昨日のホームルームでも絡んでいたし、憎まれ口をたたき合いながらも二人でいるのをよく見かける。
陽キャ同士の軽口のたたき合い、と言ってしまえばそれまでだが。
「そりゃ、付き合ってるから、だろ」
右近が何言ってんだ、とでも言いたげな表情で僕を見る。
「あんなに乱暴に話してるのに?」
青梅が呆れ気味の声で話に割り込んできた。
「口調はそうだけど、雰囲気でなんとなくわかるでしょ」
そう言われてもピンと来ない。
昔からそうだった。
僕は男女間の空気とか、甘い雰囲気に鈍感で。
二人いい感じになっていても黙ってその場を立ち去ることができず、あとで「空気読めよ」と言われたりした。
自分から地雷を踏んだ感じで、空気が気まずくなる。
僕は大体こうだ。自分から話すと場に合わない話ばかりして。うまく修正できる会話スキルなんてないから、場の雰囲気ぶち壊して終わる。
「馬奈木くん、糊が切れたから新しいのもらえる?」
気まずさで粘りつくような雰囲気を打ち消すかのような、青梅のおっとりとした声。
丁度天井の貼り付けが終わったので、青梅に飾りつけの輪を作るための糊を手渡した。
その瞬間、僕の少しだけ日焼けした指と青梅の白くて細い指が軽く触れあう。
あんな会話の後だというのに、軽く手と手が触れただけで少しだけ胸が高鳴る。
顔が熱くなって、顔をまともに見ていられなくて、視線を下げた。
青梅はどんな顔をしているのだろうか。僕と同じように感じてくれたら嬉しい。
でもそれを確認するのが、恥ずかしくて怖かった。
糊の手渡しは一秒かからずに終わり、あとは同じくカースト低位の右近と飾りつけの輪造りを延々と行う。
折り紙を切って輪にして糊でつけるだけの簡単なお仕事です。
後は画鋲で壁に止めていけば出来上がりの、小学校でも見かける簡単な作業。
こういう面白くない作業は自然とカースト低位に回される。
一方、飯崎、遠藤などのカースト上位組は固まって服の採寸、シフト作成など、派手な仕事や時間を決める仕事を笑いながらやっている。
同じ教室にいて、同じ制服を着て、同じ行事に参加するのにそこには決して超えられない壁が存在する。
制度で差別をなくしても、人間同士で差別が消えることはない。
自由で平等な差別のない世界なんてありえない。
文化祭や体育祭でよく言わされる言葉が浮かぶ。
みんなで努力することは美しいという。思い出は一生の宝になるという。
でも努力して、何になるのか。
思い出を作って、何の役に立つのか。
嫉妬と寂しさだけしか残らないのに。思い出なんて、昔から嫌いだった。
文化祭も体育祭も、ついでに伝説の木の下で告白されない卒業式も大嫌いだ。
ふと。左手の小指の付け根にねっちゃりとした感触を覚える。
腕を回して確認すると、どこで付いたのか糊がたっぷりと付着していた。
白く濁った液体が手についているのはいじめの原因になるから、早くとってしまおう。
そう思い、ポケットからシワが寄ったハンカチを取り出す。
同時に、何の前触れもなく、景色が大きく歪んで見えた。
まっすぐなはずの窓枠が溶けた飴のように輪郭すら歪み、目の前にいる右近のやせた顔がニコ動の変顔特集みたいにぐちゃぐちゃになっている。
「なんだよ、これ」
「眩暈かな……」
「どうなってるの……」
視界が突如歪んだのは僕だけではないようで、クラスメイトが口々に騒ぎ出す。
さっきまで明日の文化祭に向けて賑やかだったクラス内は、今や混乱のるつぼと化した。
「みみみ皆さん、落ち着いて! 落ち着いてください!」
普段クラスのまとめ役が、一番落ち着いてない。
驚愕、恐怖、悲観。様々な感情と声が景色よりぐちゃぐちゃに、場を埋め尽くしていく。
それが、僕を、僕らを除け者にする人間のそんな声が。どこか心地いい。
そうしている間にも、歪みはどんどんとひどくなっていく。
もう景色は溶けた絵の具が混じり合ったかのようにしか見えない。
人の顔の判別すらつかなくなったころ、頭の奥でテレビの電源を落としたような感覚がした。
同時に僕の意識は暗転する。
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