ラブホテルの怪

「私,事故物件とか大好きなんですよ」

 そう言うとすっかり酔っぱらった女は不自然な間取りがどうの心理的瑕疵がどうのといった蘊蓄を語りだし、対面に座る男はそれを「悪趣味だなぁ」などと思いながらビールを飲んで聞き流した。もちろん二人は事故物件の同好の士などではなく、マッチングアプリで知り合ってつい一時間ほど前に初めて会っただけの仲である。

 数か月放置された死体のシミの話などを饒舌に聞かされて下心がすっかり減衰した男はいよいよどうやってこの場を切り上げるかを考え始めたが、しかし続く女の一言で気を持ち直した。

「実はこの辺に昔強盗殺人事件があったっていうラブホテルがあるんだけどさ、さすがに一人じゃ行くの怖くて……一緒に来てくれない?」


 こうして男が女に連れられて来た部屋は、少し古く狭いだけのごく一般的なラブホテルの部屋という感じの空間だった。しかし今いるこの部屋が当該の殺人が起こったという部屋かもしれないかと思うと少し雰囲気が変わって見え、幽霊の類を信じない男ですら背筋が寒くなる思いをする。

 一方女の方はと言うと、部屋に入るや否やもともと酒で高かったテンションがさらに向上し、やたらと男にボディタッチをしてくる回数が増加した。

「なんか雰囲気ある~、今にも何か出てきそう。もし本当に怪奇現象が起こったら守ってくれるよね♡」

 腕を絡めながらそう言ってくる女の感性を男は正直疑っていたが、ボディタッチ自体は悪い気はしなかったので一緒に愛想笑いを浮かべていた。その間も女はベッドの下を覗いたり壁にかかった絵画の裏を見たりしてはしゃいでいる。

 しかし結局一通り行為を済ませ0時を回った頃になっても、何一つ女の期待するような怪奇現象の類は起こらなかった。

「結局何も起きなかったね」

「この部屋じゃなかったんじゃない?」

「じゃあ今私が貴方を殺してここも事件現場にしちゃおうかな」

「冗談でもそんなこと言うのはやめてくれ」

「嘘嘘、ごめんて。じゃあおやすみ~」

 そう言うと女はすぐに寝息を立て始める。男も心身ともに疲れていたので、はぁとため息をつくと、スマホのアラームをセットし暗い部屋の中で目を閉じた。


 けたたましい電話の音が鳴り、男は目を覚ました。寝ぼけた目をこすりながら受話器を取ると、チェックアウト十分前を告げられる。

 スマホのアラームが鳴らなかった違和感を知覚する前に、男は女がどこにもいないことに気づく。

 昨日の女の発言を思い出し、まさかここを事件現場にするために自殺でも図ったのではないかと焦った男は玄関に向かった。女の靴は既になかったが、男の靴もなかった。デートだからと昨日張り切って卸した、まだ綺麗だったちょっと高級なブランドのスニーカーが。

「……え?」

 部屋をくまなく探すと、男の財布もスマホもカバンの中の金目の物もすべて忽然と消えていた。アラームが鳴らなかった意味を今更ながらに男は理解した。

 きっと彼女は、幽霊に憑かれてどこかに連れ去られてしまったんだ。普段幽霊の類など信じない男はそう現実逃避し、背筋を震わせた。

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文系エッセンス:文学 睦井総史 @MutsuiSouji

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