たのしい いせかい せいかつ NEXT!③
神社だと思った。
玉砂利の敷かれた庭園に立っている。その庭園の向こうに、よくあるような鳥居が見えたから、えらい立派な神社やなあと、何の疑問もなく思った。
音が遠い。透明で分厚いフィルターがかかっている。
なんとなく鳥居に向かって歩き出した。
(邪魔やなぁ。なんでこんなもん置いとるんやろか)
庭園に点在する障害物を避けて、転ばないように気を付ける。
鳥居の奥の境内に、人影が見えた。
声を上げようと口を開いたとき、「――――しのぶ! 」
脚が止まる。腕を引かれていた。
振り返ってみれば、どこかで見たことがある障害物に、袖が引っかかっているように、そのときの忍には思えた。
「しのぶ? 」
はじめて理解できる言葉に出会ったように、小鳥遊 忍は、まじまじと『障害物』を見る。
よく見ればそれは、三つ年上の幼馴染だ。
金髪のウルフカットに、耳にピアス。一重目蓋で、鼻にそばかす。細身の、女にしては掠れた低い声をした、志村 明という女。
「……忍? 」
確かめるようにもう一度忍を呼んだ明は、あまり見ない表情をしている。その尖った鼻をつまんでやった。「ふぎゅ」
「……おまえ、アキラで
「なんなんやもー! そらそやろが! 」
「そらそっか。……なんや、ほら。めちゃくちゃ呑んだあとに目が覚めて自分ちやのにわからへん、みたいな感じやってん」
「……頭おかしなったんかと思うたわ」
ふん、と明は鼻を鳴らした。腕を組むしぐさには、焦りが見える。
こんな様子は、彼女の父が旅先で事故にあったとき依頼だった。途方に暮れている。
「ここはどこか、わかるか? 」
『ここはどこか』明にそう言われた瞬間に、忍も認識する。
「知らん……場所や。そういえば。なあ、飛行機乗っとったと思うんやけど、いつ降りたんやろか」
「降りてへん。忍、もっと『よう見て』」
不思議だった。明が何か口にするたび、目の前のガラスが溶けていく。体には重力が戻り、肌に温度や風を感じるようになった。
その状態であたりを見渡して……忍は眼鏡の奥の目を瞬く。
「……なんやここ」
確かに。日本庭園の体裁はある。鳥居もそのままだ。
ただ、忍が障害物だと思ったものは、無数に立ち尽くす人間たちだ。
涎を垂らしたり、目がイッているわけではない。ただぼんやりと、まるで待ち合わせでもしているように、庭園に点在して立っている。
「『足元』」
と、明が言った。
「え? ……うわっ! 」
あまり声を上げない忍でも、鳥肌とともに悲鳴が出る。
砂利だと思っていた地面のものは、すっかり肉のない乾いた骨のように見えた。白骨したそれは、眼孔と顎のラインがはっきりわかる。膨大な数の、小動物の頭蓋骨だ。
鳥肌の立つ腕を、シャツの上から抑え込む。すると明と同じような腕を組んだ姿になって、忍はようやく、数秒前までの自分がそれらを『見えていなかった』ことに思い至った。
「なんやここ……気持ち悪い」
「よかった。正気戻ったな」
明は、ほっとしたように少し笑う。
「荷物もあらへん。あたりにおるんは、同じツアーの人やと思う。声かけても正気戻ったんは、あんただけやった」
「隣の席の双子は? 」
「見つからんかった。おる人とおらん人が」
「わかった。ここを離れよう」
明が何かを言う前に、忍は早口で言葉を被せた。「これは誘拐や。まずは動ける俺たちが、助けを呼ぶんや。ええな」
●
185㎝、体重75㎏、体脂肪率15%。元陸上部。
そんな忍の幼馴染は、同じ商店街で向かいに住んでいる志村さんちの姉弟だった。
忍よりも三歳年上の明ちゃんと、五つ年下のむつきくんだ。
近視・色白・ヒョロヒョロしていて喘息持ち。そんな忍を、引っ張って遊びに連れていくのは家族でも同級生でもなくて、『あきらちゃん』だった。
三つ子の魂百までだ。
忍が言わなければ、明はここに留まるかどうか、決断を迫られた。彼女の責任感が、弟たちをかばう。
そういう不器用さのある人に、明は育ってしまった。
そんな明は、忍が強く要望すれば頷くことを、忍は経験から知っている。
(旅行に連れて来たんは俺や)
互いの姿を確認できるように、肩を並べて歩く。鳥居のほうには行かない。庭園のふちに竹林が見えたので、そちらへ向かった。
あのおぞましい砂利道が途切れ、落ち葉がある土の上に出ると、深く呼吸できるようになった。
竹林は思いのほか枝が重なっていて、薄暗い。
その薄暗さが、二人の逃げる姿も覆い隠してくれることを願った。
密集する林を、肩を並べて進むことはできない。
「忍、あかん、うちが先行く。おまえデカいから、置いてかれそうや」
「大丈夫か」
明はなんてことないように笑う。
減っていく言葉数。比例して上がる息。
数時間は歩いたはずだ。日が落ちる気配がないことに救われた。
竹林の一方が途切れた。一メートルほどの低い崖になっていて、その下に、岩場と川が見える。そしてその川の対岸には、あきらかに人工物に見える丸太小屋が見えた。
「忍、あれ。人おるやろか」
「……むしろ人はおらんくて、電話だけ通ってたらええな」
「……確かめよう」
夏の川だ。穏やかな浅瀬で、渡りやすかった。
丸太小屋は、よくある別荘風のそれではなく、まさしく山小屋といった感じで、近くで見ると掘立小屋にも近い。使い古されていて、古風で、そして人の住む気配があった。
こうなっては扉を叩くしかない。
「$#&Ao*~」
朗らかな女性の声がする。
小屋から出てきたのは、長い金髪の女性だった。高い鼻に青い瞳……そして分からない言語。
「……p%#$j#? 」
「が、外国人? 」
民族衣装のようなものを着ている彼女は、個性的なものが頭の横に生えていた。笹の葉のような、長い耳だ。
「忍! あ、あれ……」
明が、今しがた渡りきった川の対岸を指差す。
そこには竹林なんて見えない。壁のようにそびえる、山肌がある。
下から上に向かって植物の緑がまばらに混在し、『今しがた自然現象であらわれた』というには、あまりに年季の入った赤土の壁だ。
「……あの世に来てもうた」
「そない縁起の悪いことを言うんやない」
「せやけど、」
明の語尾が、ゲボッという水っぽい咳で濁った。口を手で覆った横顔が、青ざめて自分の手を見つめている。黒ずんだ血に濡れた手を見た目が、忍の顔とを往復した。
「しの――――」
「あきっ、あきらッ! 」
忍もまた、傾ぐ体を受け止めようと踏み出した膝から下が、地面に吸い込まれるように力が抜けた。めまい。狭まる視界の中で、忍も息苦しさを感じる。
「ア、アキ――――……」
こういう『通説』がある。
世界の境界線というものは、実はひとつの世界のあちこちに点在しているのだと。
その境界線は、たとえば川のあちらとこちらの姿をしている。
二人を保護したこの女性の一族には、【あるはずがない『川の対岸』からやってくる異人】の言い伝えがあったという。
そんな場所だから、事前に管理局がマークしていたというのは――――なんとも必然性を感じる、ラッキーすぎる話だった。
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