『ファン』

 ファンが住む寮では、六年前の事件で保護者を亡くした子供たちが中心に養育されている。

 下は六歳から、上は十五歳まで。

 『本』で成人とされるのは十四歳だったが、成人後の一年間は、身を立てる猶予ゆうよとしてもうけられている『準備期間』だというのが、暗黙のルールだった。


 ファンは今年の春に十四歳になった。

 一般的に『本』は成人を迎えると、何かしら進路の選択を求められる。

 大きく分けて、生家の仕事を継ぐか、紹介をもらって奉公へ行くか、学と技術を納めて、管理局に関連する仕事を得るかだ。


 ファンは一番最後を選んだ。

 亡くなった父も、管理局で職員の『ドナー』をやりながら、第五部隊の行政窓口で働いていたから、というのも理由のひとつにある。


 管理局では、職員のサポートをするのは『本』の人たちだ。

 彼らは温和でどんな人物にも共感性が高く、頭の回転が速い。長い愚痴も、じっくりと聴く忍耐力がある。器用で技術の習得も早く、知識を取り入れることに意欲的で、根気がいる作業にも向いているとされた。

 そんな『本』たちの中で、もっとも管理局職員に寄り添うのが、『パートナー』と呼ばれる異世界への同行業務である。

 ファンが目指すのが、この『パートナー』の候補生だった。


『パートナー』になるためには、管理局が定めた資格をいくつか取得しなければならない。

 資格を習得するためには、管理局が実施している選択制のカリキュラムで単位を取らねばならず、単位の数で得られる資格が変わり、それによってパートナーになれる職員との相性が変わる。


 十二歳から二年かけて、管理局で受講してきたカリキュラム。

 ファンが選択しているのは、外科と内科、薬術、人体解剖、植物学である。

「『人体強化』による肉弾戦が中心の職員とパートナーを組むには、どの資格が必要になりますか」と、ド直球の相談をして取った単位だ。


 退寮まで一年を切ったファンは、同時に、カリキュラム終了も近かった。

 同じクラスの生徒たちは、次々とパートナーが決まっている。

 パートナーが決まらなくても、資格が無くなるわけではない。こればかりは相性の問題だ。他の仕事をしながら、パートナー候補として待つこともできたが、そうした人たちは他に手付たっきの当てがある人ばかりだった。

 つまり、孤児で後ろ盾のないファンは、あまり選びたくない立場である。


 リスクは、最初から承知の上だった。

 突き動かしたのは、恋心と使命感。

 晴光を直接的にサポートできる資格を取っておくのは、彼女なりの決意あってのこと。

『好きな人を護りたい』

 ばかに重くて濃厚な、希望という名の、少女の執着ゆめである。




 ●




 ファンは夢を見ていた。


 しんしんと降る雪。履き慣れない長靴は、珍しい降雪の予報に、母が慌てて買ってきたものだった。

 刺すような冷気を突っ切って、寒さで人気のないみちを早足で進む。

 昨晩帰らなかった父の姿を探して、視線は絶えず動いていた。

 雪のせいか、その後に起こったことのせいか。どうやってそこへ行ったのか、ファンは憶えていない。

 気が付けばあたりは林になっていて、傾斜のあるけもの道を、滑らないようゆっくりと歩いていた。

 無秩序な雑木林だ。そんなところに、とつぜんコンクリートの壁が見えた。

 寒すぎて体の節々が痛くなるなんて、ファンは知らなかった。ガラスの自動ドアには鍵がかかっていなかったので、無人のそこにファンは吸い込まれていく。

 殺風景なロビーだった。四方が灰色で、受付にも人がおらず、どこかガランドウな印象をもった。

 ロビーの先は横に伸びたように、オレンジ色の誘導灯だけがついた奥へ、長く伸びている。

 独特の臭気がしていた。これに似たものを、ファンは記憶から見つけ出すことができなかった。他人の家は、いつだって知らない匂いがするものだと、自分を納得させた。


 人を探して、ファンは歩を進める。

 つき当り。

 行き止まりだと思っていた灰色の壁は、自動ドアだった。

 ビニールでできたカーテンに顔ごと突っ込む。声をあげてしまった瞬間に「いけない」と思った理屈を説明できない。つんのめって、たたらを踏んだ長靴の裏が、何か柔らかいものを踏んでいた。

 暗闇の奥を隠すように垂れていたビニールが揺れるさまを振り切るように、ファンは踵を返した。

 薄く積もった雪の上をざくざくと踏み出してはじめて、自分の靴跡が赤いことに気が付いた。

 坂をなるべく下り、どうにかやっと知っているみちに出た。

 家まであと少しというところで、恐怖がファンの胸を潰さんばかりに襲ってくる。

 震える体で家に帰ると、母が強く抱きしめてくれた。

 そのころには、靴についた赤も、雪がすっかり拭い去って分からなくなっていて、父はやっぱり帰ってこないまま、静かに夜が明けて、目が覚めたら、玄関で湯気を立てる血だまりと、そこに座りこむように沈む母がいて。


 そんな母にまたがるように立つ、女がいて。


 ――――アン・エイビーは、その日、そうしてファンのところへやってきたのだ。




 何度も見た悪夢に、悲鳴を殺して覚醒するのは、もう癖だった。

 消毒液の匂い。白い壁紙が見える。清潔なシーツの下にマットレスの弾力を感じた。

 掛け布団を慎重にめくりながら、冷や汗で濡れた身体を確かめるように起き上がる。


「わ、わ、わたし――――ここは……」

 空調の音が耳に刺さる。自分の声が、虚空に吸い込まれるようだった。

 そのとき、控えめなノックの音が響く。

 ベッドの上で身をすくませたファンの返事を待たず、扉がゆっくりと開いた。


「……やあ。ご機嫌はいかがかな」


 瞳が金色に輝いている。

 スティール・ケイリスクは、優しげに少女に笑いかけていた。



 ●




「……こうなりましたか」


 『視』えた未来に、ビスは小さくこぼす。


 時刻にして、10時8分。

 ―――― 一日は始まったばかりである。

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