ビス・ケイリスクの多忙なる日③
「何考えてるんですか! 隊長は『感染』してるんですよ!? 今まで接触に気を使い続けてきたのに、なんでいきなり直接やってくるなんて……! 馬鹿なことを! 」
「自分はセイズの監視を遮断することができます。今この瞬間も、セイズの意志は介入していない」
「あったりまえですよ! それがわかってるから家に入れたんです! けれど道中を他の感染者に見られていないと言えますか! 」
「感染者に見られない時間帯とルートを通ってきました。リスクは承知です。必要なことをしました」
「あなたがそう言うならそうなんでしょうが……! 」
ニルは頭を抱えてうなった。
キッチンで椅子に座って紅茶を飲んでいるエリカが、その様子を見て言う。
「ねえニル、あんたなんで、このおちびさんを『隊長』って呼んでるの? 」
「……それはまた今度説明するから……」
「あらそう。待ってるわ。あなたは? お茶飲まれます? 朝食もご用意できますわ」
「お気遣いなく」
「では召し上がって。――――ニル、あんたもテーブルについて。お腹減ってるから朝からプリプリしてんのよ」
「でもねエリカ、きみにも分かるだろ」
「あら、いつもあんたが言ってることよ。『大事な話は空腹のときにしない』。忘れたの? 」
ベーコンエッグときつね色のトーストとバター、くし切りのトマト。今日の朝食担当は、先に起きていたエリカのほうだった。
咀嚼音だけが響く。無言の朝食だ。
「……今更ですけど、時間は大丈夫なんですか」
「問題ありません。帳尻は合います」
「食後、何か飲まれます? 」
「エリカ」
「何よ。喋ると喉が渇くでしょう。飲み物をすすめるのは家主のマナーよ。あんたはこれでしょ」
と、エリカはため息をつくニルの前に、家で一番大きいマグカップを置いた。なみなみと注がれた、べっ甲色の液体が湯気を立てている。
「ビスさんのお好みは? 」
「この人は牛乳が好き」
「……知ってたんですか」
「前々々回に自分で言ってましたよ」
「そんなに前じゃわたしは知らないわけね。さあどうぞ、ミルクです。お話をどうぞ」
ビスの視線が、エリカとニルを交互に見る。緊張の面持ちのニルの隣で、エリカは頬杖をついて、にっこりしている。
微笑みの延長線をどこに収めるか、ビスの視線は少しだけ泳いで、テーブルの木目に着地した。
「……では、順を追って」
●
ビスの兄が『感染』したということを告げたとき、エリカが当然の疑問を口にした。
「ビスさんたちの能力って、ただのテレパシーじゃないんですよね? 」
「記憶を見ます。その範囲は個人差があり、父は自分に起きる未来を見ることができました。兄は自分の未来も少し感じますが、感応するほうが得意で、他人の過去と、あまりやりませんが現在の思考の先を少し見ます。
僕は、自分に起きる未来と、視界に入った人間や場所の過去、あといくらかの思考操作を自分に使えます」
「『セイズ』に感染しているんですよね? それを防いでいるのは? 」
「説明がむつかしいのですが、自分が相手を『視』ると、脳の中に情報というゼリーが詰め込まれた透明なバッグがあって、僕の『眼』がバッグに守られたゼリーにアクセスできる端末になるんです。この端末である眼には、『アクセス』する他に、外からのアクセスを察知する能力もあって、妨害する電波を流して遮断することもできます」
「でもそれだけじゃあ、あっちがアクセスできないことに気が付きません? 」
「おっしゃる通りです。ですからこちら側から『セイズ』にアクセスして、妨害されていることに気が付かないようにしている、というのが現状です」
「セイズのネットワークにハッキングして、監視カメラの映像をすり替えているということですか? 」
「そ……そうです。まさしく。『感染』じたいを無かったことにはできません」
「それをお兄様にはできないんですか? 」
「兄の『眼』は、僕よりもできることが限られています。自分で防ぐことはできません。
僕が兄にハッキングしても、セイズは異常に気が付いて動きます。僕がセイズに気取られずにいられたのは、ごく短時間の『すり替え』だったことと、同時に未来を観測して安全なルートを確認していたからです。
仮に兄にこれをすると、僕のほうのセキュリティが手薄になり、セイズはやはり異常に気が付くでしょう」
「『未来を観測する』と言いましたね。それは常に? どのような形で? 」
「常時発動しています。未来には枝分かれした無数の選択肢があり、一番可能性の高い太い枝を観測しています。変化があれば、都度、ファンさんを通じてニルくんへ報告していました」
「……ニル、こんな完璧にスパイ向きのすごい能力者、どこで見つけて信頼を勝ち取ったの? 」
「色々あったんだよ」
ニルはあいまいに微笑んだ。
「話を戻しましょう。お兄様が『感染』したら、どうなるんです? 」
「早晩、周 晴光さんの『記憶調査』が行われる段取りになります。その担当記憶調査員が兄です。けれどそれは、僕が代わりに担当を変わる流れに変えれば、記憶からこちらの情報は守られます。問題は、変えた後。
僕が見た未来では、そのかわりに兄……いいえ、セイズは、保護している『召喚被害者』の元に行く。すると彼は、彼らの記憶を再度『視』て『あること』を試したくなることでしょう」
「『あること』とは? 」
「考えたんです。なぜいまさら、セイズが兄に『感染』したか。
兄は記憶調査員です。『召喚被害者』の二人は、セイズのさらに裏にいる人物が用意したものです。……そのあたりの情報共有はされていますか? 」
「してます」
「いいでしょう。セイズは、直接この人物に接触ができません。この世界の外にいるので、この世界を出られないセイズは、そのつど職員を派遣し、指示をもらっています。やすやすと情報共有ができないんです。
晴光さんが記憶提供を行うのと同じタイミングで、セイズはあの二人に隠された秘密に疑問を持ち、それを確かめるために、『記憶』を直接覗きたくなる……。
実際にセイズは気付くことでしょう。仕組みの真実に辿り着く。その『真実』にセイズが気が付けば、僕らの目的達成の道が
そこで言葉を切り、ビスは飲み物で口を湿らせた。
エリカは少し考えて、不思議そうに眼を瞬く。
「……もしかして、その『仕組み』がどんなものか、話す気は無いんですか? 」
「ええ。話せません」
「なぜ? 」
「未来が変わるから、です。正確には、あなたの行動が。けれど、あなたには信頼してほしい」
エリカは呆れた顔をした。
「あ~、なるほど。能力の質問にたくさん答えてくれたのはそういう……。わかりました」
「未来の選択に必要なんです。今この瞬間の、あなたとの会話も、その苛立ちも」
「感情的にはなりません。抑えますわ。それで? 続きを」
エリカは淡々とうながした。
「防げないことは、兄がセイズに感染することです。
防ぐべきなのは、まず、ニルくん、晴光さん、僕が死んでしまうこと。次に、セイズをなるべく召喚被害者たちに近づけないこと。これは僕が担います」
そうしてビスは、指を一本ずつ立てた。
「そして、あなた達にお願いをしたいのは、
一つ。ハック・ダックさんと晴光くんに話をさせること。
ふたつ。エリカさん、ファンさん、ニルくんは、今日はなるべく三人でいること。
三つ。何かあったら、ミゲル・アモ隊長を頼ってください。だいたいの未来で、ミゲルさんがなんとかしてくださいます。
それと、アドバイスをひとつ。無意味な行動や価値のなかった選択は、この世界にはありません」
そこで、おもむろにビスは席を立った。
「そろそろ行かなくては――――」
「隊、いや、ビスさん。最後のアドバイスは、誰に向けてですか? 」
ニルがたずねると、ビスは光る瞳を向けて言った。
「すべてに対してです」
「重要な言葉ですか」
「いいえ。忘れていただいても構いません。けれど必要な時には、思い出していただきたい。そういった個人的な言葉です」
●
「ニル、晴光と
扉が閉まるのを見届けて、エリカが言った。ニルは首を振る。
「何もないはず。二日前の食事会でも、そういう素振りは無かったよ」
「そうよねぇ……? 」
「ねえエリカ、あの人、どうだった? 」
「どって? 」
「印象、とか? 」
「鉄仮面だけど、
「さすがの洞察力だ」
ハハ、と、ニルは乾いた笑い声をあげた。
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