『本』の多くは、居住区に住居を構えています。


 日暮れにはまだ早い。ファンの住む寮は、ニルの家からほど近い場所にあった。

 途中のY字路は、エリカたちの家からファンを送り届ける途中の、あの道が見える。


 上り坂の上にある、建てられて四年とたっていない建物は、漆喰の壁がまだ真っ白だ。門ごしにそっと覗き込むと、いきなり190㎝メートルの赤い頭があらわれて、庭で遊んでいた子供たちがビクッとした。

 晴光は、笑い皺をつくって手を振る。

「……ファンお姉さん、帰ってる? 」

 子供の一人がハッとして、「おねええぇぇちゃぁぁああああん! 」と玄関口に飛び込んでいった。

 残った子供は、さっきの子供の兄なのだろうか。じっと晴光を見ている。


「……ファンお姉さんの、パートナーの人? 」

 晴光はあいまいに笑う。

「違うけど、友達かなぁ」

「ふうん」

 それきり会話に興味をなくした少年は、ボールを転がして遊びはじめた。

 手持無沙汰に低い塀に背を預けて待っていると、見慣れた桃色の髪が、坂を上ってくるのが見える。

(しまった、入れ違いか)

 晴光は大きく右手を上げた。


「ファン! おー……」

 い、の語尾は、爆音に呑み込まれた。


 一拍遅れて爆風がここまで届く。白く光った方角は、管理局舎だ。

 高台から、同じく高地に据えられているその建物のようすは、よくよく見えた。

 インクを落としたような真っ黒な『しみ』が、管理局周辺をすっぽり覆っている。

 『しみ』は瞬きの間に急速に広がって、市街地を呑み込んだ。

(そうか、こうなるのか)晴光は、『前』と『今』の境目に起こった現象を視認して理解する。


「――――ファン! 」

 彼女に向かって走り出した。ほんの三十メートルほど先の坂のとちゅうで、爆風で転んだファンが顔を上げて晴光を見た。

「晴光く――――」


 『黒』が迫る。

 どぷん、と、立ち上がりかけた少女の体を『しみ』が呑み込んだ。

 伸ばした互いの手が触れる前に、『しみ』が呑み込む。


「あ」





 ●





「おはよう。あなたの順番、抜かされちゃったわよ。


……って、どうしたの? 」


「……あは、いや、ちょっとさァ……やべーくらい夢見が悪くってさあ……」


 柳眉を寄せ、エリカは唇を小さく尖らせた。

「ちょっと、大丈夫? そんなに悪い夢だったの? 」

「うん、マァ、けっこうキた、な……」

 晴光は、顔を覆った手の下で、ズッと小さく鼻を啜った。


「……悪夢除けのまじないをかけてあげる」

 エリカの手が肩をさすり、額を撫でてくる。濁った声で、晴光はありがとうと呟いた。


「落ち着いた? 」

「……うん。あのさ、エリカ」

「何よ」

「ニルってやつ、知ってる? 」


 困惑している雰囲気がした。じっさいにエリカは、首をかしげて片眉を上げている。


「何を今さら……ニルがどうしたの? 」

「……あいつ、げんきぃ? 」

「そりゃ元気よアイツは。風邪一つひかないんだもの。昨日会ったんでしょ? 」

「うん……じつはさっき会ったばっか……。ごめん、また泣くから……ハンカチ持ってう? 」

「バカねぇ。洗って返しなさいよ」

「ゔん……っ」

「……肩でも貸しましょうか? 」

「ぅん、いらない……ずび」

「バカ……ここは借りなさいよ。でかい図体と素直なところが、貴方のいいところなんだから」

「ずびずび」



 晴光は馬鹿みたいに何度も頷いた。我ながら赤べこみたいだと思った。

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