●『記憶』●

「記憶を持ち越すのも、どうやら誰でもってわけじゃあ無いらしい。これは条件がまだよくわからない」


 空になった自分の湯呑におかわりを淹れながら、ニルは言った。

 棚から焼き菓子も取り出してきて、晴光の前に置く。

「糖分補給」

 かじると、卵とはちみつの味がした。ねっとりしたいドライフルーツが入っている。

 もそもそ口に運んでいると、ニルも一枚手に取って、二口くらいで胃に収めてまた口を開いた。


「『誰を殺すと時間が巻き戻バグるか』については、いちおうの結論が出た。ウイルスだ」

「ういるふ? 」

「そう、ウイルス。まあ、実際は違うんだろうけど、便宜上べんぎじょうそう呼ぶのが分かりやすい。『バグる人』のことを、僕らは『感染者』と呼んでる。どちらかといえば、コンピューターウイルスの意味合いのほうに近いかな。感染者には、この世界を狂わバグらせるプログラムが仕込まれてる。そのプログラムは、感染者の死亡と同時に発動するんだ。そこで、僕らが立てた仮説」


 晴光は口の中の菓子を茶で押し込んだ。ニルは指を一本立てた。


「記憶を持ち越す人は、このウイルスの抗体を持つようになったんじゃないか? ってこと。何度もこの世界が『巻き戻バグる』うち、抵抗力が生まれた一部の人間だけが、一時的に前回の記憶を持ち越すようになる」


「五回目でまた忘れるのは? 」


「ウイルスのほうも成長するってことじゃないかな。例えばインフルエンザってね、毎年同じってわけじゃないんだ。ウイルスというのも、繁殖して代替わりするんだよ。そうやってだんだん、弱点を克服する進化を繰り返すわけだね。他の生き物と同じように」


「そういえば、今年はA型だとかB型だとか言ってたな……」


「生物には突然変異がある。きみの世界の歴史にあったスペイン風邪は、突然変異したインフルエンザウイルスだった。先天性異世界人も、その多くが突然変異体だ。エリカみたいに、親から変異した遺伝子を受け継いでいる人もいるけどね。

 もともと管理局にいる異世界人っていうのは、環境に『適応』しやすい個体だけが集まってる。『ぼく』たちも、生まれつき適応する力は強い種族だし。そう考えると、こうして近い場所で三人も『適応』した個体が発生していることにも説明がつく」


「はへぇ……その仮説、エリカと二人で考えたのか? 」

「いいや。僕らの前にも、『適応』した人たちがいたんだよ」

 ニルは湯呑を傾けた。

「あの人たちも、もう忘れちゃったけどね」

「そっか……。あのさ、おれ、まだ確かめてないんだけど、ファンもまだ覚えてんのかな」

「どうかなぁ……僕がループに入ったころには、もう記憶があるみたいだった。『前』は四回目か五回目だったはずだよ」

「じゃあギリ、覚えてるかもしれないのか」

 晴光は勢いよく立ち上がった。

「おれ、聞いてくる! 」

「待て待て待って」

 ニルの手が晴光のパーカーのフードを掴んだ。


「まだ何かあるのかよ」

「あるある。僕らの目的は、このループを終わらせること。晴光も経験したあの日から先、それからずっと先へ、ループを起こさず進むことだ。

 あのね、なんで僕が前回、両腕両足切り落としたと思う? あの時間、あの期間、僕とエリカはアリバイが必要だったんだ。『絶対に動けるはずがない』っていうアリバイがね。だから僕は今回エリカと離れたし、きみたちとも連絡を取らなかった。きみたちに近づくってことは、エリカに近づくってことだからね」

「……おれたちの他に『適応』した人に、何か問題があるってのか? 」

「正解。『覚えてる』のは第一部隊セイズ隊長。それでエリカは、第一部隊に監視を受けてる。六年前からずっと。知らなかっただろ」

 晴光はぎこちなく頷いた。


「六年前に何があった? 」

「……アン・エイビー事件? 」

「そう。で、エリカの父親の話、知ってる? 」

「親の話…………? 異世界人だってことしか知らないけど」

「そう。局の職員じゃない異世界人で、行方不明なんだ。エリカのお父さんの名前を『アズマ シオン』。彼は六年前、この『本の国』で起こったアン・エイビー事件に関与しているとされている。あの事件では、『召喚被害者』に紛れてたくさん外部の異世界人が国内に侵入しただろ。でもそれを手引きするには、アン・エイビーだけじゃあ難しい。協力者がいたはずだ。その容疑者に上げられているのが、エリカのお父さんってわけだね。第一部隊は、いつかエリカに、アズマシオンからの接触があると、そう考えて、監視を始めた。そんなとき、公安組織である第一部隊のトップが『バグ』に気が付いた。……するとどうなったと思う? 」

「……エリカが『ウイルス』を持ち込んだと思われた? 」

「ちょっと違う。『エリカがウイルスを操っていると思われた』だ。だから『前回』、エリカと、『エリカの協力者』である僕には、アリバイが必要だった。昏睡状態になった状態で『巻き戻り』が起きれば、さすがにあちらも、エリカが『巻きこまれた側』だと気づくだろうって思ったんだけど……どうやら、根本から考え方が違ってたみたいだ」


 ニルは、「ほら、最初から説明するとややこしい話だろ? 」と微笑んだ。


「そもそも、アン・エイビーの協力者だったのは、第一部隊長のほうだったんだ。エリカはその隠れ蓑に使われただけ。話はシンプルだったんだ。

 あのね、晴光。


 ウイルスをこの世界に持ち込んだのは、セイズのほうだった。セイズがこの世界をこんなふうにしたんだ。

 ループは、セイズがこの世界に起こしたテロ行為なんだ。目的も分からない、けれど、悪意に満ちた攻撃なのは間違いない。

 セイズにとっては、僕らのほうが『意図しなかった異常事態』なんだ。セイズはこうした異常事態を、排除したがっている。目的の邪魔になるからね。

 僕はセイズからエリカを守りたい。もちろん、きみにもファンちゃんにも傷ついてほしくない」


 丸い目の中にある黄色い瞳が、じっと晴光を見る。

「セイズの監視は、きみが気付かなかったとおり、どこにあるかが分からない。ファンちゃんに確かめるときは、慎重にするんだよ」

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