三章 愛すべき友へ

●愛すべきこの世界●

 ニルとは、同期であるエリカ・クロックフォードとの付き合いで知り合った。


 エリカは、晴光よりも四年早くこの世界に保護されて、定住することとなった異世界人だ。

 話の端々に訊くところによれば、彼女の故郷とはいわゆる『剣と魔法のファンタジー』な世界で、彼女自身も自分を称するのに、まず『魔女』という単語カテゴリを使う。

 「好奇心を第一の欲とする、考える肉のような種が魔法使い族よ」とは、エリカお得意の皮肉的説明だ。


 当時、まだ小学生くらいの少女だったエリカには、とうぜん保護者が必要だった。

 管理局にはそういうとき、『郷家さといえ』を探す場合がある。

 一時的に保護者となる、条件に合った一家、ないし、しかるべき役目をおった大人のもとにある集合住宅である。

 つまりニルの実家が、エリカの郷家になった一家であった。



 晴光は記憶を辿り、静かな『本』居住区、白壁地区と呼ばれる住宅街を歩いていた。

 街を動脈のように通る大通りから、毛細血管のように広がる道沿いにある、閑静な住宅街である。


 みちはゆるやかに上り坂だった。

 晴光の肩ほどの高さの白い漆喰の壁で、どの家も囲まれている。平屋か二階建ての木造家屋で、日本家屋のそれとは形が異なる、鴉の塗れ羽のような色の瓦屋根が乗っていた。

 角を曲がると、坂の上に見慣れた門柱と屋根の端が見えて、晴光の胸へ緊張が一気に重くのしかかった。


 ニルの家は、女系の大家族だ。祖母を家長に、父と母、そして四人の姉がおり、長女の夫とその子供たちも同居している。そのためつくりは平屋だが、あたりの家よりは二回りほど広い敷地を持っていた。


『うち、代々管理局ゆかりの仕事につくんだよねぇ。だから郷家の申請も、いちおうしてたんだよ。そうして初めてやってきた異世界人の子がエリカだったってわけ』


 世間話でそうこぼしたニルを、晴光は忘れていない。

 しかし不思議なことに、『ニルがいない世界』の記憶もしっかりあるのだから、頭がおかしくなりそうだった。


『あ、門のところに呼び鈴とか無いんだ。訪ねてくるときは、中に勝手に入っていいからさ。玄関か勝手口に誰かいるから、直接声かけてよ』


 いつか言われたとおりに、晴光には低すぎる門扉をくぐる。

 家庭菜園で栄えた庭は、彼の祖母の手によるものだ。

 ちょうど緑色に埋もれるようにして、剃り上げた頭に布を巻いた老女の丸くなった背中があった。

 何度か食卓に招かれたり良くしてもらったが、『今』の晴光の記憶では、初対面だと知らせている。


『ばあちゃんは耳が遠いから、大きい声でね』

 ハサミを握って果樹の手入れをしている彼女へ向かって、晴光は大きく息を吸った。



「――――あの! おばあさん! お孫さんのニルはゴザイタクでしょーかっ! 」



 背後で、キイ、と、門扉が軋む音がした。

「……晴光? 」

 黄色い瞳を瞬かせて、見慣れた顔が、土濡れの野菜ボンを抱えて立っている。


「――――晴光、きみ……覚えてるんだね? 」

 かすかに眉を寄せたニルは、晴光に確かめるように言った。



 ●



 出された茶は、かすかに香ばしい香りがした。ニルがいつも淹れるそれだった。


 大家族の生活感が漂う食堂に通された晴光は、コップの中にある波紋を見つめながら、ニルが向かいに座るのを待った。

 ニルは気まずそうに茶をすすり、ふうと息をつくと、「何から話したもんかな……」と口の横をぽりぽり掻いた。


「とりあえず、最初から」

「……最初からだと、ちょっとね。ややこしい話だからさ。うーん、晴光ってさ、ゲームするよね? 」

「するけど」

「うん。じゃあ、説明がちょっと楽かも」


「あのね」と、ニルはあいまいに微笑んで口火を切った。






「この世界には『誰かの命に強制リセマラされるスイッチがあるバグ』があるんだけど、から、『弱くてニューゲーム』を繰り返す僕らにも、いつリセットされるか分かんないんだ。

前回は偶然にもリセットボタンが僕だったわけだけど、今回もそうって保証はないし、リセットは。あと復帰リスポーン地点には個人差があるよ。以上! びっくりだよね! 状況はわかった? 」




 晴光は、ぽっかり開いた口に水分を取り込むや叫んだ。


「…………な~~~~~~んも分かんないんだけど!? 」



「わかった。じゃあもうちょっと分かりやすい言葉で……」

「いや言葉選びがどうとかじゃなく! つまり、つまり……つまりだな!? 『前回』? ニルが『死ぬまえ』? すくなくとも、エリカとファンは……それを知ってた、ってことで……そんで、そんでだな、エリカがニルを『知らない』って言ったのは……」

「ありゃ。よりにもよってそこかー」

「エリカは五回、繰り返してたから、『前』の記憶が無いって、そういうことで……。でも、でもそれってさ、そんなんおかしいじゃん! 」


 晴光はテーブルを叩いて立ち上がった。真正面から見た友は、困ったように笑っている。それが晴光には、何か誤魔化すような顔に見えた。


「なんッで、エリカはニルのこと覚えてないんだよ! おかしいだろ!? だってお前ら、あんなに、一緒で……仲、めちゃくちゃ良かったじゃん……」

「仲が良かったから、二人で決めたんだよ。僕たちはお互いを信頼してた」

 ニルは、すべてを分かっている顔で微笑んでいた。


「……僕らはね、晴光。このループを、いいかげん終わらせたいんだ。そのために、たくさんたくさん準備した。『前回』はそのために、エリカの記憶と僕らの手足、あと僕の命かな? それもまとめて犠牲にすることにした」

 ニルは手のなかにある湯呑をもてあそぶ。落とされた視線は遠く、言葉は淡々と、慈愛に満ちていた。


「だから今回は、僕らは『出会わない』ことにしたんだ。

 言っただろう? リスポーン地点には、個人差があるって。僕はエリカと出会う前、十年前に『思い出すリスポーンする』んだ。そして僕は、その十年を、もう三回繰り返している。いいかげん、うんざりなんだよ」

 視線に射竦められて、晴光は硬直した。



「――――このループを終わらせるのを、晴光も協力してくれたら、嬉しいな」

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