●ぼくらの華麗なるバッドエンドカウントダウン●
――――52分前。
人が死んでいる。
ベッドから転げ落ちた姿勢だった。仰向けになった顔が、瞬きを忘れた目が、逆さにこちらへ向いている。
裂かれた喉を逆流した血が口から溢れて鼻の横を伝い、目尻を経由して落ちていく。そのひとすじは、涙のように見えた。
――――児島 凛が死んでいる。
ごくりという、自分の喉の音でスティールは我に返った。
死んでいる。
両親の仇に繋がる、やっと見つけた目印が。
スティールは、そっと部屋の中に踏み込み、しぶきを避けてリンに歩み寄った。ゴーグルを外して細く呼吸を整え、『視』ようと目を凝らして、1、2――――。
ひゅん。
耳に微風。床に打ち付けられてはじめて、スティールは自分を襲った痛みを自覚した。
(しまった。犯人はまだ近くに)
背中がどうなっているのかは分からない。発火したように熱い傷に、全身が抑え込めない痙攣を始める。
傷に対して体は素直に反応をはじめたものの、脳のほうは驚くほど、やけに冷静だった。身近に迫る『死』に、まだ理解が追い付いていないのかもしれない。スティール自身にも、判別できなかった。
おあつらえ向きに、倒れ込んだ先にリンがいた。うつろな黒い瞳が、こちらを向いている。
スティールは『視』た。輝く波紋を描く碧眼が、金に変わる。
――――1、2、3秒。
流れ出す血が濡れた床に混ざっていくころ、スティールの両眼は色と光をなくし、暗い灰色に沈んだ。
ビス・ケイリスクはそれを、じっと隣で見守っていた。
●
――――240秒前。
目を開けて、隣のベッドを見て、時計を見て、差し出されたメモを見て、メモを差し出した人の顔を見て、動けない体を自覚して……ニルは失敗を悟った。
黄色い瞳が少女の赤い瞳を見返す。潤んだ少女の両眼が、涙と激情をこらえてニルを見下ろしている。
「ニルくん……」
呼吸器の内側が曇った。
「失敗……したんだね」
「うん……『コジマ リン』ってひとが死んでも、『終わり』にはならなかった。ねえ……ほ、ほんとうに、次はニルくんなの……? 」
「そうだよ。エリカが死んでしまう前に終わらせてほしい」
少女の頬を、ひと筋だけの涙がこぼれる。
「……わかった」
―――100秒。
取り出した注射器で、点滴に薬液を混入させる。
「……それじゃあ遅くなる。肌にも……」
乞われて、腿へも注射した。
「これでいい……? 」
ニルは目元だけで笑む。
「ほんとうに、これでよかったの? わたし……」
「……いいんだよ、ファンちゃん。目的は達成だ。これで今回の僕とエリカのアリバイはできたんだもの……もう行って……見つかる前に……」
「いやよ。わたし、そんなに無責任じゃない」
「……そういう感じ、晴光にも出すといいよ……『次』はね」
「何をしているの! 」
狭まる視界の中、飛び込んできた看護職員が、ファンの腕を引いて部屋から引きずり出した。
「ニルくん! いや! わたし、最後まで見てるから――――」
音が消える。
――――三十秒。
ファンを追って来たのか、汗みずくの晴光が、入口に立ってこちらを見ていた。痛ましいまでに顔を青ざめさせた彼と目が合って、ニルは目だけで謝罪をする。伝わったかどうかは分からない。
――――ニ十秒。
冷たい。
――――十秒。
静かになった。
――――五秒。
その時、児島凛とスティール・ケイリスクは死んでいた。
その時、ビス・ケイリスクは兄の遺骸を見つめていた。
その時、第一部隊長セイズは目を閉じていた。
――――四秒。
その時、第三部隊長ミゲル・アモは、第二部隊長のオフィスの扉を閉めた。
その時、第二部隊長トム・ライアンは、閉まるドアと去っていく友の背中を見つめていた。
――――三。
その時、第四部隊長カマルは、広報の撮影中だった。
その時、ハック・ダックは風呂屋に向かっていた。
その時、デネヴはそれを追いかけていた。
その時、クルックスは、エリカとニルの家の焼け跡を見ていた。
――――ニ。
その時、アン・エイビーはこの世界にいなかった。
その時、エリカ・クロックフォードは瀕死の重体で隣のベッドにいた。
その時、ファンは病室に向かって駆けだした。
――――いち。
その時、ニルは死んだ。
その時、
●
「おはよう。あなたの順番、抜かされちゃったわよ」
「いやぁ、今日だって忘れちゃっててさぁ」
「だと思った」
(なんかこれ、前にもあったな……)
晴光は、エリカと連れだって定期健診の受付で待ちながら、首をかしげた。
今日も同期の美女は、さらさらの黒髪をうなじでまとめ、上品なスカーフを首に巻き、よくアイロンされた藍色のワンピースを着ている。
「昨日、ずいぶん盛り上がったんでしょ」
「ああ……エリカも来ればよかったのに」
「二次会まで付き合うのはごめんよ」
「え? 」
「? なに? 」
晴光は、まじまじと隣の彼女を見た。
「……二次会なんか、あったっけ」
「嘘でしょ。昨日そんなに酔ってたの? 大丈夫? 」
「えーと……う~ん。いや、思い出した。だいじょうぶ」
晴光は眉間を掻いて、あいまいに苦笑した。受付で番号が呼ばれ、その話はそこで終わった。
この月に一度の検診は、適応度の数値が安全値に達しているかを確認するためのものだ。
血を抜かれ、その場で結果が出る。
晴光の数値はあまり芳しくなく「多めにお薬の申請しておきますね」と言われてしまった。
無言のエレベーターで、横目で少女の綺麗な横顔を見る。
「……何? 」
「いや、別に」
「……まだ移植して十年たってないんでしょう? 数値なんて、気にするほどじゃあないわよ」
「あ、そっち? 」
「他の悩みだったの? 」
「いや、悩み……なんて無いと思うけど。なんか今日、調子でなくって。夢見が悪かったのかも」
「ふーん。あそう。まあ、そういう日もあるわよね」
「あ、でも検査のせいかも。適応度が安定しないと仕事に出られねーじゃん。審査もあるし? 」
「必要なことだとは分かっていても、面倒よね。でもデータでふるいにかけるのは、必要なことだと思うわ。仕事中に倒れられたら本人も周囲も困るもの」
「データがあれば、検証ができる? 」
「ええ。つまりはそういうこと」
「そーいうふうに言えんのはさ、エリカが解明する側の人間だからだって。おれは自分の一部が知らないところで実験に使われてると思うと、なんか怖いね」
「あらゆる勉学はグロテスクなものよ。芸術家だって、自分の精神を解剖しているようなものだもの。宗教家なんて特に、精神を解剖して言語化するわけだから、そうとうな外科医よ」
「難しいこと言うよなァ」
「性分なのよ。お気になさらず」
「気にしてねえよ。面白い話なのは分かるし」
エリカは片眉を上げ、唇の端を上げる。ブラックコーヒーのようなシニカルな笑みである。
「ありがとう。あなたってアレね、んー、なんていうんだったかしら」
「……悪口? 」
「いいえ。むしろ称賛したいの。あなたって、おっきくて優しい動物みたい。そうね。接する人の気持ちを上向きにする人だわ」
エレベーターの扉が開き、エリカはステップを踏むようにして光が差すロビーへと足を踏み出す。晴光も後を追った。
「何があったか知らないけど、わたし、あなたといて得した気分になったわ。あなたって、そういう人なのよ。だから『らしく』ないと、なんだか気が狂っちゃう。元気出してよね」
「……ありがとう。あのさ、これから時間あるか? よかったらニルもいっしょに、また夕方にでも飯行かね? 」
「別にいいけど。でも晴光、ニルって誰? 」
「え? 」
「わたしも知っている人? 誰かのあだ名とか? いやだ、そんな顔しないでよ 」
「いや……知らないわけないだろ。だって……」
「悪いけどわたし、そんな人ほんとうに
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