たのしい いせかい せいかつ⑤
窓にかかったブラインドは、おれが知っている形をしている。
招かれた会議室のような部屋で、おれは白いテーブルを挟んで座ることを
ジッと会話が始まるのを待つ。スティールは手ぶらだ。
「外に出る前に面談をするのが決まりでね」
「わかった」
スティールはテーブルの上で指を組み、「質問は基本的になんでも答えるから、肩の力を抜いてね」と微笑んだ。
「まずキミの名前は『
頷く。
事務的に年齢、性別、住所や経歴を言わされた。
「――――わかった。ありがとう。自己認識はしっかりしているようだ。次はきみの状況について話そう」
白い壁に画像が投影される。
それなりに栄えた街にならよくあるような外観のマンション。
――――おれの、家だ。
「リン。きみの記憶を見せてもらった」
パチパチと画像が切り替わる。
子供たちが黒板に向かって座っている小学校の教室と、机を見下ろす視点の画像。(答案用紙に書いている名前は「こじま りん」だった)
斜め下から見上げた構図の男の画像をよくよく見れば、自分でも忘れかけている父親だったし(そういえばこういう野暮ったい灰色のポロシャツをよく着ていた気がする)、中学の保健室の窓から見える裏庭だとか、よくフラフラした街だとか、就寝前のものだろうか。自宅ベッドのポールについた傷なんかに焦点があっている時系列不明の画像もあった。
「これらの画像は、実際は動画として保存されている。ウチには、記憶を記録として抜き出して保存しておく技術があるんだ。おれはこうした記録を確認して、きみの心身の健康を保つために、こちらが留意すべきことがないか考えるのが仕事だ。このデータは動画としてデータベースに保存されるけど、担当である自分以外の人間には、有事と認められたときにしか見られることは無いというのを強調しておく」
伺うような視線が注がれているのを感じていた。
「……よくこのあたりで激昂されるものなんですが。……大丈夫? 」
「なんでいきなり敬語? いまさらお役所っぽい口調にしなくていいんだけど」ため息交じりに、テーブルの下で足を組む。
「―――――これに関しては、自分でも思っていたより冷静で驚いたくらいだ。まあ……最初が拉致だったわけだし、変なクスリを注射されてたりしてんじゃねーかと思ってたから、予想外にフレンドリーな対応に、様子見してるところだ」
「驚いたな。冷静だ。ちょっと出鼻をくじかれたよ。――――さっきのような『記憶を覗く行為』は、ウチの組織で保護した人間には例外なく行われることで、ここで暮らす大多数の人間が、平等に同じ処置を受けていることも強調しておくね。これはこの『国』の国防のために必要な調査で、情報の改ざんを防ぐために、本人には事後承諾ですることになっている。
もっと詳しく言うと、記憶を覗くのは倫理的に問題があるという認識はあるんだ。だから、ある程度の資格が無いと閲覧許可は出ないし、これからはキチンときみ本人に逐一許可を得ることになる。書類に署名を貰うよ」
「はいはい。ま、犯罪は起こしたことないし? 探られて困る過去は無いからな。それに、病院で裸になっても恥ずかしいとか思わないタイプなんだ。ついでにわざわざ服の趣味を探してプレゼントしたりしてくれたわけだろ? 疑問が解消されて、むしろスッキリだね」
スティールの口元が笑顔の形になった。
「ありがとう。まあでも、不快だと思ったらぶつけてくれていい。こちらはそうした感情を受け止めるのも仕事だ。――――次は、きみの身体的な状況の説明だけど……」
●
青空が広がっている。おれは故郷より強いように感じる日差しに顔を背けながら、数歩進んで振り返った。
洋館風の、煉瓦のビルが聳え立っている。窓ガラスに空と雲が映り込み、中は見えないが、自動ドアからは絶え間なく色んな人種の人間が、出たり入ったりしていた。
「この世界環境に適応できているのは、すでに検査済みだよ。リン、きみの適応度は高い。望めば現地派遣職員としてじゅうぶん働ける数値だ」
「あー……まあ、そのへんは追い追い考える」
「うん。ゆっくり考えるといい。どちらにしろ、三年から五年は生活に困らなくなるまで支援される制度なんだ。この世界では、現地派遣職員は二十人にひとりくらいの割合だし、どちらを選んでも、きみなら仕事は引く手あまただろう。よく考えて進路を決めてくれ。そのために必要なものは、なんでも言ってくれていい。よほどのことがない限りは申請が通るからね」
スティールは、相変わらず胡散臭い男だったが、すくなくとも声は、誠実な響きを持っていた。
考える。おれは、いつだって考えてきた。
おれが望むのは『立ち位置』だ。安全、平穏、平安、苦のない生活……。土の下にいる虫のように生きていたい。
付いて回る変化をいなすためには、他人に寄生することもいとわない。『自由』という言葉には、溜息が出た。おれにとっての自由とは、対価あってのシロモノで、贅沢な犠牲のもとに存在する『都合のいい言葉』だったから。
あたりを歩く人々は、ほんとうに色んな姿をしていた。
ほんとうに、おれの『力』は効かないのか。試してみたい気持ちはあるが、それは今ではないだろう。
よくよく考えてみなくても、おれが『前』いた世界は、どちらとも知的生命体といえるのは人類だけで、人類による科学主体の文明の歴史があったというところで共通していた。
忌まわしいこの美貌が通ずる世界だったからこそ、おれはそれを利用できたのだし、身一つでもなんとか生き延びることができたのだ。
おれは運が良かったというのは、やや認めにくい現実だったが、そうなのかもしれない。
生き辛い故郷に、いまさら執着はなかった。
普通になりたいとは言わない。平穏でいたい。そのためにおれは、ギャンブルのような選択を繰り返してきた。
賭けるのは、いつだって一秒先のおれ自身だ。美貌も、ファッションも、おれ自身をあらわすアイコンではない。健康や特技と同じく、
ぺろりと乾いた唇を舐める。肌が渇いている。スキンケアがしたい。
『自由』に必要な対価は、何か。探さないと。
「食事をしようか。ここは屋台の文化が発展していてね。それぞれがお気に入りの店を持ってるものなんだよ」
「奢りなんだろうな? 」
「きみは無一文なんだ。当たり前だろ。これも経費で落ちるんだよ」
「しばらくずーっとタダ飯で豪遊できるってわけだ? 」
執着が無いのは、おれの長所だ。
「悪くねぇじゃん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます